静岡古城研究会副会長:もっちーのブログ

静岡古城研究会副会長:望月のブログです。主に静岡県内の中世城郭関係の情報を発信します。※当ブログはリンクフリーです。

興味深い本(『戦国の城の一生』)が出ました

2018-09-23 01:49:50 | 刊行物のお知らせ

このほど、東北学院大准教授で伊豆の国市の韮山城跡整備部会の専門委員も務めておられる竹井英文氏が、吉川弘文館より『戦国の城の一生 つくる・壊す・蘇る』という著書を出されました。

この本は、戦国時代の城郭の築城からその維持管理、廃城、そして廃城後の「古城」の再興など、城の「一生」について、主に文献史料を用いて書かれていますが、著者の竹井氏は城の現地踏査も頻繁に行っており、津久井城など現地踏査に基づく裏付けもしっかり行われています。

城の「生涯」に関しては、今まで破城についての文献はいくつか見たことがありますが、築城から維持管理、廃城、再利用の一連のサイクルについて言及したものはあまりなかったような気がします。城郭の年代観や使用方法について一石を投じる興味深い著書だと思いますので、興味のある方は是非ご一読ください。

 

 

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栃木県の城郭を訪れました

2018-09-03 05:38:56 | 県外の城郭の情報

8月の後半、夏休みを取って栃木県の日光東照宮をはじめとする名所旧跡を訪れました。

城郭遺構の関係も、3つほどですが、観てきましたのでレポートします。

先ず、城ではありませんが、日光東照宮に行きました。日光東照宮は現在「平成の大修理」が大詰めにきており、既に奥の拝殿の部分を除き修理が完了していました。有名な陽明門や「三猿」、「眠り猫」等の彫刻がきれいになっていました。それにしても、以前に比べると海外からの観光客の多いこと。やはり、あの豪華さは外国人には受けるのかも知れませんね。

   

次に行った城は、那須神田城でした。この城は、那須与一でお馴染みの那須氏の居館と伝えられ、東西約130m×南北約160m大規模な方形居館址です。伝説では那須与一以前の平安時代後期から存続したとのことですが、やはり堀や土塁の規模から考えると、最終的には戦国期の改修があったのではないかと思われます。

   

次に、烏山城を見学しました。烏山城は室町時代の応永年間に那須氏によって築かれた城ということですが、その後近世に成田氏・大久保氏などが入り、明治維新まで使用された山城です。遺構は表面上は近世城郭の石垣などが随所に見受けられましたが、堀や土塁など中世の山城的な遺構もかなり残っているような印象を受けました。なお少し離れた民家の入口には、烏山城のものを移築したとされる、立派な門が残っていました。

    

次に、宇都宮城を見学しました。同城はもともと中世の宇都宮氏の築いた城でしたが、近世に本多氏などが入り、ここも近世城郭として戊辰戦争まで存続しています。近代以降、城跡は宅地などになり見る影もなかったということですが、近年になって公有地として城跡の一部は「復元」され、模擬的な櫓が建てられています。公有地化するにあたって「防災施設」としての機能を持たせたとのことで、写真のようにエレベーターや金属製の手すりなども設けられていました。まあ、ある意味城跡を「有効利用」していると言えるのではないでしょうか。

   

最後に、飛山城を見学しました。飛山城は古代に烽火(狼煙)を揚げる「烽家」として機能したのが出土した墨書土器から証明され、中世には下野の国衆である芳賀氏の居城として使用された城郭です。同城は発掘調査の後整備され、堀や土塁などが非常に見やすくなっています。櫓台を伴った横矢掛りなど見事です。曲輪内には発掘調査の成果に基づき、古代の竪穴建物、中世の掘立柱建物や竪穴建物などが復元されています。ガイダンス施設である「とびやま歴史体験館」も、コンパクトですがわかりやすい展示でした。ここは見る価値が大いにある城です。

      

栃木県は、近年圏央道と東北道がつながったおかげで、南の方なら静岡から4時間ぐらい、北の方でも5時間ぐらいで行くことができ、1泊すれば結構色々な城郭遺構が見られると思います。将来的に古城研究会の1泊見学会でも行ってみたいですね。

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駿府城天守台の発掘調査現場を見学しました

2018-08-04 08:34:27 | 報告、その他お知らせ

2ヶ月以上も投稿をサボってしまい、すみません…。

7月下旬、駿府城天守台跡発掘現場の考古学関係者向けの見学会に参加してきました。

現場は天守台の四隅がきれいに検出されており、江戸城の天守台を凌ぐ規模であったことが実際に見てとれます。石垣の積み方は場所によって微妙に違うところがあり、火災や地震などの災害の度に積み直されたことがうかがえます。石垣の中には明らかに火を受けたと思われる箇所もあり、火災の規模が相当なものであったことがわかります。天守台の内部には比較的大きな石に区画された中に大量の栗石が詰められており、南東寄りの部分には大規模な井戸跡が検出されていました。大坂の陣の前に家康によって大規模に改修された駿府城は、「臨戦体制」の城郭の色彩を色濃く残していたと考えられます。

遺物も金箔瓦や鯱瓦の一部、鉛のインゴットなど興味深い物が多く出土していました。

また当日は体験見学会も並行して行われており、石割りや石曳きの実演には多くの見学者が足を止めていました。

来年度は、いよいよ天守台下層の今川氏時代の遺構にまで調査が及ぶよていとのことで、これからも目が離せませんね。

   

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韮山城 天ヶ岳砦の案内をさせていただきました

2018-05-13 23:36:25 | 報告、その他お知らせ

先日、小田原のYさんから、韮山城の天ヶ岳砦のツァーを行いたいので案内をしてもらいたい、というオファーがあり、4月末の連休中に関東方面からいらっしゃった十数名の方々を天ヶ岳に案内させていただきました。

天ヶ岳は、行ったことのある方ならわかると思いますが、標高(128m)の割には険しい斜面が多く、非常に危険な、登りにくい城の一つです。今回のツァーの参加者は女性が半数近くと多く、当初は全員付いて来れるか心配でしたが、城好きの女性のパワーは思ったより強力で、全員無事に天ヶ岳を縦走することができました。

今回の天ヶ岳縦走コースは、比較的登りやすい江川砦の裏から登り始め、岩盤をくり抜いた障子堀を越えて尾根伝いに本曲輪を目指し(途中堀切見学)、本曲輪からの眺めや虎口の構造などを堪能しつつ、堀切が連続する狭い尾根を通り、竪土塁を見ながら斜面を下り、最後の大堀切を越えてしばらく歩いて東側の下り口にゴール、というコースでした。

大きな堀切の険しい斜面を下って登って越える所や、非常に細い尾根を通らなければならない所が連続し、一行の中には悪戦苦闘している方もチラホラいましたが、ほぼ危なげなくクリアし、参加者の皆さんは山頂からの眺め(残念ながら富士山は少し雲に隠れていましたが)はもとより、変化に富んだ遺構の数々を十分楽しんでいただいたようでした。

その後、本立寺の付城跡にも行きましたが、他の付城も行きたいというリクエストが多く、また付城ツァーも秋以降に実施できれば、と思います。

それにしても、(くどいようですが)天ヶ岳は整備されていない上に険しい登り下りが多く、トレッキングシューズ、手袋、杖等の装備をきちんとして、できれば慣れた人と一緒に行った方がよいという、「危ない城」です。加えてイノシシが潜んでいるという噂もあるので、登る際には十分注意して登っていただきたいと思います。

    

 

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柏木屋敷、千福城、南一色城の現状

2018-05-12 22:29:31 | 報告、その他お知らせ

先日、近場であるがゆえに最近行っていなかった、裾野市の柏木屋敷、千福城(平山城)、長泉町の南一色城を訪れました。

先ず柏木屋敷に行きました。柏木屋敷は、一辺が100m以上ある、土塁をもった方形居館の跡として知られていますが、ここは地域の方々のゲートボールやグランドゴルフなどをやる場所と化しています。土塁はまあ何とか残っていますが、心なしか、一昨年来た時より土塁が低くなっている箇所がいくつかありました。内部を「公園」として地域の方々が利用するのはやむを得ないとしても、土塁・堀などの遺構は保護して欲しいものです。

次に千福城(平山城)に行きました。同城は最近地元の方々が少しずつ整備しているようで、樹木や草が生い茂っていた所が要所要所きれいになっており、曲輪や横堀、竪堀等の遺構が見やすくなっていました。曲輪、堀などを示す小看板も所々にあり、ある程度一般の人にもわかるように配慮がされていました。今後の更なる整備が期待されるところです。

  

次に南一色城に行きました。同城は曲輪内が個人の畑となっており、以前心ない城郭ファンが断りなく畑に入って地主さんが迷惑しているような話を聞いていましたが、今回訪れてみると、曲輪の周囲には電線が張り巡らされており、完全に入れない状態になっていました。地主さんのお気持ちを考えれば致し方ないのですが、曲輪の出入り口付近には農耕用の軽車両が入ったタイヤの跡がついており、このままだと遺構がどんどん破壊されてしまうのではないか、と危機感を覚えました。城の北側法面一帯もコンクリートの擁壁に覆われており、長泉町の教育委員会には何らかの対策をして欲しいと思いました。

この他、この近辺には裾野市大畑の大畑城もありますが、それも含め、今後城郭遺構の(少なくとも)現状保存のため、「見守り」をしっかりしなければ、と痛感した次第です。

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