静岡古城研究会副会長:もっちーのブログ

静岡古城研究会副会長:望月のブログです。主に静岡県内の中世城郭関係の情報を発信します。※当ブログはリンクフリーです。

台風19号による山中城の被害状況

2019-10-22 21:55:17 | 報告、その他お知らせ

10月12日(土)の夜、伊豆半島に上陸した台風19号は、大暴風雨を伴いながらその後関東南部から東北地方太平洋沖へ抜け、東日本各地に甚大な被害をもたらしました。

箱根方面も大きな被害を受けましたが、箱根山西側中腹にある山中城跡も例外ではなく、写真にあるように、曲輪や堀の法面の崩落、障子堀の一部破損、池への土砂流入、倒木など深刻な被害を被りました。特に西ノ丸の南側法面の崩落はひどい状況で、芝生や植栽を伴った土砂が幅広く崩落して障子堀を埋めてしまっています。

一刻も早い復旧を祈りたいところですが、これだけ大規模な被害ですと復旧までに相当な時間・労力・費用がかかりそうです。「クラウドファンディング」への応募など、できることから協力していければ、と思います。

 

        

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小田原城天守閣で特別展「伊勢宗瑞の時代」が開催されます

2019-10-06 07:06:53 | 展示会情報

またしても久々の投稿になってしまいました。すみません…。

伊勢宗瑞(北条早雲)没後500年を記念して、小田原城天守閣では10月12日(土)~12月10日(火)まで特別展「伊勢宗瑞の時代」が開催されます。

宗瑞が若き日を過ごした京都の寺院からの「応仁の乱」関連の出土遺物や、宗瑞が進出した伊豆・関東の城館跡から出土した遺物、関連の古文書類など様々な貴重な資料が展示されるようです。

12月1日(日)・15日(日)には関連のシンポジウムも開催されます。手前味噌ですみませんが、1日(日)の方では不肖私も発表させていただきます。

西の方にお住まいの方は少々遠いかも知れませんが、お時間のある方は是非足をお運びください。

 

 

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神奈川県伊勢原市の上粕屋・和田内遺跡の見学会に行ってきました

2019-07-16 00:29:37 | 県外の城郭の情報

かながわ考古学財団が神奈川県伊勢原市で行っている上粕屋・和田内遺跡で中世後期の「大溝」が出ているという情報を耳にし、7月13日(土)の現地説明会に行ってきました。

この遺跡では、写真にあるように平安時代の竪穴住居・掘立柱建物跡や、中世前期(鎌倉時代)の柱穴群が検出されていましたが、問題の「大溝」は調査区の北東部で検出されていました。規模は幅が約4m、深さが約2mで北西から南東方向に直線的に掘られ(傾斜は北西→南東方向)、断面形はほぼ「V」字状を呈しており、城郭用語で言えばいわゆる「薬研堀」と言ってもよい形状でした。

「大溝」からは遺物はほとんど出ておらず、層位的にみて鎌倉時代より新しく江戸時代初期より古い(江戸初期には完全に埋没していたとのこと)ということで、一応中世後期(室町~戦国時代)の遺構であろう、とのことでした。

この時代の相模国上粕屋といえば、太田道灌が殺害された場所として名高い扇谷上杉氏の「粕屋(糟屋)館」が思い浮かびます。同遺跡は確かに「道灌塚」にも近く、「粕屋館」に関連する堀という可能性もなくはありませんが、詳細な時期は不明で、付近に極楽寺という中世寺院もあったということで、にわかに断定はできない状況のようです。今後この付近の調査が進展し遺構の具体的性格が明らかになることを期待しています。

    

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『廃城をゆく ベスト100城』が出ました

2019-07-15 09:39:26 | 刊行物のお知らせ

そのユニークなネーミングとカラー刷りの親しみやすい雑誌の体裁で、以前から注目していた『廃城をゆく』。 このほどイカロス出版さんから単行本『廃城をゆく ベスト100城』が刊行されました。

この本は、東北〜九州までの天守閣のない100ヵ所の「廃城」をとり上げ、オールカラーの写真・縄張図付き、サイズもA5版で持ち歩きやすいサイズです。ビギナーの皆さんにもわかりやすい本だと思います。

静岡県の城は高天神城、諏訪原城、山中城の3城がとり上げられていますが、今後も続編が出て、県内の他の城がとり上げられるのを期待しております。

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三島市 徳倉城の現況

2019-07-14 23:54:30 | 報告、その他お知らせ

約4ヶ月ぶりになってしまいました。 すみません…(・_・;

さて、間もなく発行される『古城』第63号には、「北部駿豆国境の城館」をとり上げました。

その中で、三島市の徳倉にある徳倉城を縄張図も含めて掲載しました。徳倉城は、その名称から隣の清水町の徳倉(戸倉)城と混同され、色々と情報が錯綜している城郭です。この城跡は、北側を宅地開発、南側と西側は畑の開墾で改変されており、写真の林の中に辛うじて遺構が残っているだけです。それでも、本曲輪と思われる場所には宝篋印塔と五輪塔を適当に組み合わせた石塔群があり、その北側には幅約5m・深さ約2〜3mの堀切が残っています。比較的残りがいいのは以上の部分で、南側にも堀切があるものの一部埋められていると思われ、他の部分は城郭遺構かどうか見極めが難しいです。

そんな状況の中、無理矢理縄張図を描いて、一応それなりに考察してみましたので、7月21日に発行される『古城』最新号をご覧になっていただけると有り難いです。よろしくお願いいたします。

        

 

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