静岡古城研究会会長:もっちーのブログ

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第275回見学会「武蔵西部・湘南方面の城をめぐるー小机城、早川城と大庭城-」開催のご案内

2023-12-27 01:29:23 | 見学会のお知らせ

2023(令和5)年もあと数日を残すのみとなりました。

当会では、新年1月21日(日)に下記のとおり、第275回見学会を企画しました。

第275回見学会では、「武蔵西部・湘南方面の城をめぐる」と題し、小机城、早川城、大庭城の3城を見学します。

3城の縄張りから読み取れる時代背景、築城主体等について、15世紀後半~16世紀前半の武蔵西部・相模の争乱(享徳の乱・長尾景春の乱・長享の乱・北条氏と両上杉氏の抗争)との関係性を絡めながら考察していこうと考えております。皆さんのご参加をお待ちしております!

■実施日:令和6年(2024年)1月21日 (日)

※小雨決行、悪天候の場合は見学地・コースの変更あり

 ※中止・延期の場合、当日AM6:00に決定して連絡

■見学先: 小机城、早川城、大庭城   脚力レベル★★☆☆☆(2)

■参加費: 会員6,000円/一般7,000円

■乗り物: 市沢さんのバス

■乗車地: JR静岡駅北口ロータリー、富士川SA、足柄SA(トイレ休憩)

  ※関東方面からご参加の場合、小机城根古谷広場にて合流、帰りはJR辻堂駅にて降車

■身支度: ハイキング程度の服装(滑りにくい靴・雨具)・弁当飲物類

■担 当: 望月保宏会長、望月 徹事務局長

■締切日: 1月18日(木)までにメール s-kojouken@outlook.com まで

※1月9日現在、申込者数がバスの定員(28名)まであとわずかとなったため、誠に勝手ながら申込みの締切りを1月10日(水)に繰り上げさせていただきます。ご了承ください。

■日 程: 8:00JR静岡駅北口出発 → 日本平久能山スマートIC→ 8:40富士川SA9:10~9:20足柄SA(トイレ休憩)→10:20小机城根古谷広場→10:30~12:00小机城見学(昼食)→12:45~13:30早川城見学→(県道)→14:00~15:30大庭城見学→15:45JR辻堂駅(小机城から参加の方、降車)→17:00足柄SA→17:30富士川SA→18:15JR静岡駅(解散) *基本的に赤字の所で乗車又は集合

 

【見学地概要】

【小机城】

永享の乱(1438~1439)の頃に関東管領上杉氏によって築城されたとされるが、正確な築城年代は分かっていない。

この城が歴史に登場したのは、長尾景春の乱のうち文明10年(1478)に起きた攻守戦である。山内上杉家の家宰であった長尾景春が、父の死後に家宰職を相続できなかったことに端を発し、主家に対する反乱を起こした。このとき景春の味方をした豊嶋氏が小机城に立てこもり、敵方の太田道灌が攻撃をし、道灌は約2か月かけて同城を落城させたとされる。

その後は廃城となったが、この地域が小田原北条氏の勢力下に入ると北条氏綱の手により修復され、家臣の笠原信為が城主として配置され、小机衆が組織された。笠原氏は、小机城を中心に付近の村に僧侶を招き寺を建立するなど城下の整備に力を注いだと見られ、江戸時代になってもその子孫は代々この地の付近に住んでいた。その後、城主は北条氏堯、北条氏政の弟三郎、北条氏光と替わっている。天正18年(1590)の豊臣秀吉による小田原合戦の際には、無傷のまま落城した。その後、徳川家康の関東入府のときに廃城とされた。

城跡は西側が「第三京浜」道路により破壊されているものの、東郭・西郭を中心とする主要部分や堀・土塁跡等がよく保存されており、「小机城址市民の森」として整備されている。

【早川城】

綾瀬市役所から約700m西の、相模川の支流目久尻川左岸の舌状台地南端部に立地する。鎌倉時代の御家人・渋谷重国の築城と伝わるが、史料に乏しく実態は不明という。平成元~6年(1989~1994)にかけて6回の発掘調査が行われており、曲輪、堀、土塁、物見塚、ピット(柱穴)、溝などの遺構や、かわらけ、火舎などの遺物が出土した。築城年代は伝承の通りなら12世紀代となるが、前述の発掘調査では14世紀から15世紀代の利用のみ確認されたという。

【大庭城】

大庭城は、平安時代後期(12世紀頃)の武将である鎌倉権五郎景政の子孫がのちに大庭姓を名乗り、源平合戦で有名な大庭三郎景観が居城したのが始まりと言われるが、明らかな記録はなく、 室町時代中頃(15世紀後半)になって、扇谷上杉定正の執事太田道灌が、本格的な築城を行ったと伝えられている。

その後、永正9年(1512)、伊勢宗瑞(北条早雲)に攻められて落城し、以後、小田原北条氏の支配下に入ったが、同氏は玉縄城(鎌倉市)を主要な支城として整備し、大庭城はあまり使用されることはなかったようである。そして天正18年(1590)、小田原北条氏が豊臣秀吉に滅ぼされると、大庭城は廃城になったと考えられる。

城は土塁と空堀によって南北に連なる4つの曲輪に大きく区分され、南端部が主郭であったと考えられている。

昭和43~46年(1968~1971)に行われた発掘調査を経て、城跡南半の主要部分は城址公園として保存整備されている。現在、城址に残る土塁や空堀は、近年の研究や発掘調査等により、小田原北条氏により改修された可能性もあるものの、扇谷上杉氏の築城術を色濃く残すものと考えられている。

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