静岡古城研究会会長:もっちーのブログ

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「連続シンポジウム 近江戦国史」の第2回「安土城と織田信長~近世近江の幕開け」に参加しました

2016-01-31 22:42:14 | 報告、その他お知らせ

1月31日(日)、東京両国の江戸東京博物館で、滋賀県教育委員会主催の「連続シンポジウム 近江戦国史」の第2回「安土城と織田信長~近世近江の幕開け」が開催され、参加してまいりました。

第1回は「戦国の近江~城・忍者・六角氏」だったのですが、開催されたのは1月17日(日)と、当会の見学会(前回のブログに掲載)と同日だったため残念ながら参加できず、今回のみの参加となりました。

今回の講座は滋賀県知事の三日月大造氏の「戦国近江の魅力」という講演から始まりました。知事は頭には兜(紙製)をかぶり陣羽織を羽織ったいで立ちで登場し、城郭遺構が多く残る近江の戦国時代の魅力を熱く語っていました。

続いて、現在安土城の発掘調査を担当している滋賀県教育委員会文化財保護課の仲川靖氏が「安土 信長の城と城下町」というタイトルで、安土城の考古学的調査の歩みと最近の発掘調査の成果についてお話してくださいました。伝羽柴秀吉邸跡、伝前田利家邸跡、大手道、主郭部などの調査を行った結果、改変だらけの伝羽柴秀吉邸跡、厩遺構が検出された伝前田利家邸跡(いずれも実際は羽柴秀吉邸、前田利家邸ではない)、幅6m、長さ180mの長大な大手道、天皇を迎える建物ではなかったかと考えられる本丸建物跡の状況など、いずれも興味をひかれる内容でした。

次に国立歴史民俗博物館の小島道裕氏が「戦国の覇者織田信長と近江」というタイトルで、信長の政策から見る中世から近世への移行の画期について、「集中」という言葉をキーワードに、地域構造(城と市場のあり方)、城と城下町の構造に対する信長の革新的政策についてお話してくださいました。小島氏は、楽市令を主とした文献史料や豊富な図や写真を用いて、織田信長という武将が目指した政策の方向性というものを大変わかりやすく話してくださいました。

最後に、仲川氏・小島氏に加え、滋賀県教育委員会文化財保護課の松下浩氏を交えて、3人の鼎談が行われました。「なぜ信長は安土に築城したか?」「安土城の『御幸の間』はどこだったのか?」「最近の“意外と保守的だった”信長像に対してどう考えるか?」などの疑問点に対し、3氏三様の考えが披露され、何となく“固まっている”感がある織豊期の城郭・城下町についても、まだまだ解明すべき点が多いということを実感しました。

冒頭の知事の講演にもあったように、滋賀県=近江は安土城をはじめ、小谷城や鎌刃城、玄蕃尾城等々魅力的な城跡が多く、私もまだまだ足を踏み入れていない城跡が沢山あります。今日のシンポジウムに乗せられて、という訳でもありませんが、また滋賀県の城跡を訪ねてみたいと思います。

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