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東アジア周辺に限って見ても、集団的自衛権の必要性があるだろうか?

2014年07月06日 09時08分09秒 | 日記
 国連でも国家に行使が認められている集団的自衛権をもう一度考える事にしよう。

 本来国家には攻めれれた時には反撃できる個別的自衛権が当然あるわけで、日本は軍隊ではなく自衛隊と言う名目で、自衛のための軍隊を持っている。

 そして日本は戦後60年以上に渡り、同盟国である米国の核の傘の中で、安全が保障されてきた。

 しかしその代償として、世界中を見ても日本のような国力を持った国では他に例がないが、米軍基地を日本国内に(その大部分は沖縄に集中しているが)無償提供し、思いやり予算と言う名目で、維持費などで年間7000億円を米軍に支払っている。

 現自民党政府は、日本が攻撃された時は、アメリカが助けてくれるが、アメリカが攻撃された時は日本は助けに行けない。その理由は集団的自衛権の行使が、憲法上認められていない結果だと説明してきている。

 しかし、あえてそのような同盟関係を構築したのは、そもそもは米国側からの指示であったと筆者は理解している。

 米国は日本と言う国の根本精神に、疑心が拭えなかったせいではないかと筆者は思ってしまう。

 ヤスクニ問題もしかり。 米国は安倍首相に、暗に参拝をしないで欲しいと頼んでいたが、あっさりと反故にされた。

 北朝鮮への制裁の一部解除も、拉致被害者の帰還を進める安倍政権の悲願とはいえ、北の核開発の危険性に対して制裁を行っている米国や韓国は、複雑な心境で制裁解除を見ている。

 確かに、米国の東アジア圏での軍事影響力は落ちてきており、下に貼り付けた対談のように、集団的自衛権行使容認を認めている元航空自衛隊空将の小野田氏と加藤嘉一・国際コラムニストとの対談を読んでも、政府の国民に対する説明不足や、なぜそこまで拙速に決めようとするのか、要領を得た回答はえられない。

 筆者は思うのだが、中国は日本の集団的自衛権行使が成立したとしても、日米同盟がより強化されたと身構えるであろうか?

 筆者は疑問を感じる。中国は現体制が継続する限り、表面的には日本に抗議もするであろうが、中国としては着々と経済関係での中華圏を、東アジア周辺に強化構築していく事に全力を注ぐだろう。

 中国が経済的に強力なパワーを発揮するようになればなるほど、東アジア地域のパワーシフトは止めようがない。 米国の経済力が中国に対抗して、今後大きくなることは、筆者には可能性が少ないと見るからだ。

 しかもテロも含めて軍事紛争が起こっている地域は、現在では中東やアフリカである。

 東アジア地域では中国とベトナムの小競りあいが発生しているが、中国とベトナムの経済関係のつながりがお互いに縮小できない立場にあるから、大きな紛争に発展することはないと筆者はみている。

 フィリッピンもしかりであろう。 南沙諸島の領有権問題も大きな火種ではあるが、問題解決には長期間が必要であろうが、軍事衝突にまで発展する懸念は少ないと見ている。

 東アジアの現在の情勢を見ても、日本があえて今、この地域の為に集団的自衛権を押し進める必要性を感じないのだ。

 数日前のブログに書いたように、日本が参戦を米国から要請されるのは、結局は中東やアフリカへの派兵と言う事になると筆者は確信している。

 付け加ええると、懸念材料は中国そのものが抱える、経済的な深刻な破綻や、少数民族のテロ活動、格差社会解決の失敗による低所得者や農民層の反乱など、今の中国が内包している問題点の処理の失敗による、中国そのものの混乱状態が生じないかどうかだろう。

 しかし、中国の抱えるどの問題も、日本の集団的自衛権の行使が必要になるような内容にはとても思えない。

(ダイヤモンド・オンラインより貼り付け)

「パワーシフト」のなかで激変する日本の安全保障
集団的自衛権は平和と安定のための一つのツール
――小野田治・米ハーバード大学シニアフェロー(元航空自衛隊空将)×加藤嘉一・国際コラムニスト対談【前編】

集団的自衛権について議論が進められてきたが、国民にとっては聞き慣れない言葉からか、議論が国民全体を巻き込んだものにはなっていない。巷では「日本が他国の戦争に巻き込まれることになる」「世界で起こる紛争に若い自衛官が赴くことになり、日本の若者の血が流れることになる」といった声も聞こえる。私たちは集団的自衛権をどのように捉え、行使容認の是非についてどう考えればいいのだろうか。元航空自衛隊空将で、現在は米ハーバード大学アジアセンターシニアフェローの小野田治氏と、国際コラムニストの加藤嘉一氏に、現在の議論をどう見ているか、話を伺った。(構成/ダイヤモンド・オンライン編集部 片田江康男)

本質は「北東アジア全体の
安全保障をどうしていくのか」

――集団的自衛権の行使容認の是非が議論されてきましたが、結局、憲法改正などを経ず、解釈変更という形で行使容認へと進みそうです。これまでの議論をどう見ていますか。

小野田 率直に言って、国会での論戦等を見ていると議論が上滑りしていたように思います。本来的には日米関係や中国との関係、北東アジア全体の安全保障をどうしていくかという、具体的でより突っ込んだ議論が尽くされるべきだと思います。

 実際には政府はそういう議論をなされていると聞いていますが、国会ではなかなかそういう根本的な議論はなされないですよね。だから議論が深まっていないような印象があるんだと思います。私も現役時代、表ではなかなか公表できないような突っ込んだ議論を職場でやっていました。

 ただ、集団的自衛権の議論は国民にとってこういう議論が深まっていないような印象を残したまま進んでいいのかなということはあると思います。

――先日行われた朝日新聞による世論調査では、安倍内閣の支持率が43%で発足以来最低になりました。同調査では集団的自衛権の議論について、「十分だ」と答えた人はわずか9%、「十分ではない」と答えた人は実に76%に上ったという結果が出ました。

小野田  こういう国の形を左右するようなトピックスが話し合われるとき、昔は社会党が一気に勢いを増して政権党を圧倒してしまうようなことが起きましたよね。安倍政権は、そういうことを警戒して、支持率が急激に下がらないように議論の進み方というか、議論の出し方を調整しているんではないでしょうか。

 国民にどういう説明をして、どのくらいの理解をしてもらうのか。北東アジアの安全保障全体の話や中国、アメリカとの関係など、そういう本質的な理解ではなくて、集団的自衛権っていうのはどういうものなのか、という一定の理解を得るように、政府はコントロールしているんでしょう。

加藤  集団的自衛権っていうのはどういうものなのかは、政府は国民に向けて本腰を入れて伝えていくべきだと思います。中国が海洋進出を進めていて怖いから、とか、日米同盟を強化しなくちゃいけないから、とか、憲法自体が時代遅れだから、とか集団的自衛権の行使容認へ話をもっていくいろいろな理由が語られていますが、集団的自衛権の行使は地域の平和と安定を得るための一つのツールなんですよ、日本国の信用に関わる問題なんですよ、という基本的な側面をもっと丁寧に説明することは必要だと思います。

 私の感覚だと、集団的自衛権の議論というのは、国民の多くの人が持っているパスポートと関係しているんだと思いますよ。パスポートって、日本という国の信用で成り立っている。これだけビザなしで世界中の国を旅行できるパスポートってあまりない。それだけ、日本という国が国際社会のなかで信用されているっていうことです。

 じゃあ、同盟国が攻撃された場合に日本は助けないのか、というときに国際社会において日本の信用力は崩れてしまう。集団的自衛権というものを、日本が国際社会の一員として信用されるかどうかに関わっている、その信用力っていうのは国民の個人レベルで考えるとパスポートで安心して海外旅行ができることにつながっている、そういう国民ひとりひとりの生活レベルまで落としこんで考え、議論する必要があると私は思います。

集団的自衛権は ひとつのツール

――確かにパスポートひとつで、いろいろな国に、怪しまれずに入国できる日本のパスポートは貴重ですよね。ただ、日本をベースに暮らしている多くの国民にとっては、あまり意識することはないかもしれないですね。

加藤  確かにそうですが、そういうところまで掘り下げて考えてみれば、国民ひとりひとりに関わることだとイメージできると思います。

 日本という国に対する国際社会の信用力というのは、個人や企業などさまざまなところで日本人にメリットを与えています。これまで国際社会のなかでコツコツと積み重ねてきた信用力があって、その信用力を今後も維持したいし、さらに高めたいと思うのであれば、集団的自衛権というのはその信用力を高める、あるいはアップデートするための一つのツールとして有効なんじゃないかっていうアプローチは十分考えていく意義があると思います。

小野田  私は自民党の石破幹事長がアメリカで集団的自衛権について説明された際にそういうアプローチをしていると感じました。 石破幹事長が言っていたのは「プロアクティブ・コントリビューション・トゥ・インターナショナル・ソサエティ」(国際社会に能動的に貢献していく)というフレーズを使っていました。 安倍政権の最大の眼目である「積極的平和主義」と集団的自衛権がどうつながっていくのか、説明しようとしていたように思います。

 その文脈のなかに、安倍首相が記者会見でパネルを使って説明したような海外から日本人が同盟国の船で避難しているときに、その船が攻撃をうけたらどうするんだという具体的な事例がでてくる。 説明は国民も注目して見ているけど、それは訳されて海外に自動的に発信される。政府はそれも意図していると思う。どう周辺国、同盟国に見られるかということを意識していますよね。

――そうすると、日本が集団的自衛権の議論をはじめて、それが周辺国に伝わることで、東アジア全体のバランスが微妙に変化しているのでしょうか。アメリカから見ていて、どう感じられますか。

小野田  そもそも、集団的自衛権がどうかというよりも、日本の安全保障をとりまくダイナミズムは大きく変化しています。冷戦が終わってアメリカの1極支配体制がアメリカと中国の2極に「パワーシフト」しており、それが東アジア地域に大きく影響している。韓国やフィリピン、ベトナムなどのアセアン諸国もこの変化に対する影響を感じている。

 どのようにそれぞれの国の安全保障を確立していくのか。日本の安全保障は「パワーシフト」というダイナミズムのまっただなかにあるということです。

 そうすると拡大核抑止、アメリカの核の傘の信頼性は今後どうなっていくのか。ダイナミズムのなかでどう変化するのか、これまでのようにアメリカに依存していていいのか。こうした難題が次々と出てきます。

 そのなかで、日本の安全保障を考えたときに、アメリカとの共同歩調と関係強化をはかることが基本で、そのために集団的自衛権行使容認というツールが必要なのではないか、ということだと思います。

大きく影響しているのは アメリカの「パワーシフト」

――今まで日本で行われてきた議論ですと、集団的自衛権というのは、地域の平和と安定を獲得するという安全保障の最大の目的を達成するための、一つのツールなんですよ、という受け取り方が、国民はなかなかできていないのではないかと思います。すぐに「集団的自衛権行使容認=戦争に参加」のような構図で捉えられることが多いようです。

加藤  アメリカの識者と議論していると、彼らは、集団的自衛権はもちろん大事だけど、安全保障のなかでそれは自国が攻撃されたときにどう反応するかという“個別的自衛権”の話ではない、集団的自衛権は一つのツールであって、集団的自衛権が国全体の安全保障のすべてではない、という点を指摘されます。

 集団的自衛権は安全保障全体の話のなかで、どれだけの割合を占めているのか。まずは国際社会のなかでの日本の安全保障をどうしていくか、東アジア全体で他国と強調しながらどのように平和と繁栄を確保していくか、個別的自衛権と集団的自衛権の関係性はどう処理するのか。基本的にはこういう順番で考えていく必要があるんじゃないかと思います。

 なかでも重要なのは、小野田さんがおっしゃったように「パワーシフト」という環境のなかで、日本の安全保障をどうするのか、という点ではないでしょうか。世界で起こるテロや内戦、核の問題、海賊の問題、中国が南シナ海でとっている挑発的行動、ロシアがウクライナに対してとった拡張的行動、そういうさまざまな安全保障に関するイシューがあるなかで、“日本は日米同盟を強化していかなければならない”という基本的な問いが投げかけられる。その日米同盟というのは、東アジア地域全体の平和と安定に寄与するもの、つまり「公共財」としての価値を内包するものだという認識が必要だと思います。

――なるほど。日本の安全保障の話があって、全体の話の中で、集団的自衛権はどれだけの割合を占めているんだろうか。そういうふうに整理していく話ですよね。しかし、日本では集団的自衛権が安全保障のなかに占める割合は100%に近いんじゃないか、と思えてしまいます。

小野田  加藤さんの言うような順番というよりは、私のような元自衛官からすると、やはり安全保障の話をするときは、“集団”より“個別”が基本なんですよ。

 自衛隊にとって、個別的自衛権の運用について、諸外国並だと思いますか? 答えは「ノー」ですよ、「ノー」。今回、防衛計画大綱のなかで、グレーゾーンについての対策について記述がありますが、これは個別的自衛権が発動される前の話です。個別的自衛権の発動、即ち防衛出動下令には、①急迫不正の侵害、②他に取り得る手段がない、③必要最小限の武力行使という3つの条件があって国会の承認が必要となっています。防衛出動に至っていない平時で事態が急速にエスカレーションしていくような場合にどうするかという問題が、いわゆるグレーゾーンの問題で、自衛隊にとってはどう動けるのかとても重要です。

 自衛隊の行動は、法に定められていることだけしか実行できないという「ポジティブ・リスト」になっていますが、諸外国の軍隊は法で禁止されていること以外は実行可能という「ネガティブ・リスト」になっています。これは軍隊の本質が、何が起きるかわからない環境で行動することにあるからですが、だからといって、何をしても良いというわけではなく、状況に応じて行動の基準が指示される仕組みになっています。

 集団的自衛権の行使についても、同様の仕組みの中で指示されるべきものであって、実際の行使は状況に応じて政府が判断するのです。

*後編は、近日公開予定。日本での集団的自衛権についての議論が、アメリカの識者の目にどのように映っているのか。中国をはじめとした周辺国とのバランスはどう変わるのか、そうした周辺環境の変化のなかで、日米同盟を軸に日本は東アジアの平和と安定にどう貢献すべきなのか。アメリカで研究生活をおくる二人だからこそ見えてくる視点、声をベースに議論は進みます。

(貼り付け終わり)