4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
今日も暑がったない (ケンヂ)
2012-08-16 21:44:34
13日夜から今日昼間まで郡山におりました。
炎天下はイヤだけど,晴ればかりで自転車を積まなかったことを後悔しました。
呑んで寝て食ってばかりで,70代半ばに差しかかりそうです。

岩井の清水?
う~ん。涼しくなったら探索したい!
如意輪観音が涼しげです。物憂げに頰杖をついているところがいいんだなぁ。
kojiさん,ナイスポイントですね。
返信する
“ケンヂさん” (koji)
2012-08-17 02:06:10
“ケンヂさん”は郡山のご実家で英気を養われていたんですね。きょうも、いや今となっては昨日ですが、暑かったようですね。わたしは今週ずっと勤めでしたから、外の暑さも気にならないところにいたんです。それでも帰るとき外に出てみると、日中の暑さが容易に想像できました。
ところで“岩井の清水”は平安時代の中期には歌に詠まれていたというほど有名だったんですね。わたしは遠足で訪れたとき以外はあんまり興味ももたずにいたんです。ただ、今の状況は雨が降ったら直接地面を流れた雨水が流れ込みそうで、残念ですがこのときも飲んでみようとは思いませんでした。
石仏は“ケンヂさん”の興味の対象でしたね。わたしはいつもゲゲゲの鬼太郎などに出てくる水木しげるの絵を想像してしまうんです。
返信する
水量 (玉井人ひろた)
2012-08-18 22:35:06
そこに行くには車なら広い道を行った方がいいですね。
本宮給食センターに向かっていけばすぐそばにありますから、分かりやすいですね

ところで、フォトを見るとずいぶん水量が有るので驚きました。
以前はほぼ乾いた状態でした。

溢れるように沸いていた水の水量が減った原因は古い人間ならよく知っているかもしれません。
これは面と向かっては言えないことですが、kojiさんのお友達の家もたぶんそうでしょうが、清水に隣接した2~3件の家で、そこの地下水を使用し始めたことが原因と、わたしは昔高齢者に聞かされました。

あと、説明文をゆっくり見たことが無かったですがそこに出て来る「小沼幸彦」という人物は、上杉家の家臣で国学者でもあった小沼氏の子孫だと思われます。

その小沼氏は、伊達正宗にお金を出させ現在の本宮町の原型を作った人物です。いわば本宮の創造者ですね
返信する
“玉井人ひろたさん” (koji)
2012-08-19 05:15:41
おっしゃるように、今は乾いた状態ではなく清水は少しだけ溢れて外へ流れ出ていましたが、写真のような状態ですから、あんまり飲まない方がいいのかもしれません。
『上杉家重臣直江兼続によってこの地を与えられた小沼貞長が伊達政宗本宮通過の際、新しい町の建設の話をしたら、政宗は賛同し永楽銭200貫を与えたという。これをもとに1608年に南町を造った・・・』また『小沼幸彦は、本宮町南町を開いた小沼貞長の10代の子孫・・・』とありますから、“玉井人ひろたさん”の教えてくださったとおりです。ありがとうございました。
返信する

コメントを投稿