ビビッド能里子トーク・サロン

心身両面の指導者として感じたこと

それぞれの介護(後) 我が家の場合

2015年05月10日 | えっせー
 ☆ 結論はすべて対応法だった。
 「認知症優等生」の夫は、二度ほど雑誌で紹介されましたが、私が
日頃に心がけている対応法は・・・・
      1 愛情を持ってやさしく接する。
      2 プライドは絶対に傷つけない。
      3 ほとんど逆らわない。
      4 夫の存在価値を絶えず認める。
      5 何があっても責めない。
      6 いつでも明るくふるまう。
      7 何を忘れても決して不安感を与えない。
      8 できるだけ彼の好きな食事をつくる。
      9 何かやってくれたら、必ず「有難う」と言う。 
      10 同じことを何度言っても、できるだけ楽しそうに聞く。
      11 できることは手伝ってもらう。
      12 絶えず好きなBJMを流しておく。
      13 毎日の出来事は報告する。
などですが、これは私が毎日実践している事実ですが、一言で申し上げると
「機嫌よくしているため、また、絶対に怒らせない方法」なのです。
 もしかしたら、ふつうの人にとっては、苛立ってなかなか大変かも知れませんね。
私は仕事柄「認知症の対応」のノウハウは学んでいましたが、でも、実は夫にやさし
くできるのは、こんな理由もあるのです。。
 
 大昔私達をよく知っていたある先生に、ズバリ言われたことがありました。
夫は「お釈迦様」で、私はその掌から出られない「孫悟空」だと。
 「なるほど!先生は私をよく見ている」と、感心しましたが、それは確かかも
知れません。夫は大変寛容で、私が不器用で緊張症のため、運転免許の実技の
バックで3回失敗し「もう止めたい」と言いました。
すると、彼は「折角ここまで一生懸命やったんだから、あの教習所の不合格
記録をつくるつもりで、もう一度やってこいよ」と言ったのです。
 それならと割り切ったため、リラックスしたのかすぐに合格しましたけれど・・・
          
私は整理整頓が大変苦手でしたが、当人が内心気にしているにも拘らず、今まで
唯の一度も、そのことで文句を言ったことがありませんでした。
 我が家は夫婦中心でしたが、欲しいもののすべては与えてくれ、大変家庭的な人で
子供達もよく面倒を見てくれました。また、子供達が呆れるほど、まるで保護者の
ように私には優しかったのです。(私がダンス教師になってから、二年間位は実は
大変機嫌が悪かったのですが)インドのヨーガの先生から「エイジレス・ベービー」
と言われたほど、我儘で幼児性の強い私ですが、現在の自分があるのは、夫のお
陰だと思っています。そのために長年のご恩返しのような気持ちも、実はあるの
でしょう。
  
 今では心理カウンセラーになったのは、もしかしたら夫のためではないのかしらと
すら思えるのです。同じように介護をしている友人や知人達に比べたら、比較的
自由に行動できますし、ストレスも少なく、幸せな介護をしていると思っています。
 初めの頃は記憶がだんだん消えていく彼が、本当に気の毒で、「もしも私だった
ら恐ろしくて、絶対にふつうではいられない」と、何度思ったことでしょう。
 今では5分前のことでも忘れますが、忘れたことを責めたことが一度もないのは
「認知症」について、ある程度の知識があったからだと思います。

 いずれにしても、ご家族がやさしくできるか、そうでないかは、過去のご自分の
行動が左右するのは否めません。その点私は何の確執もなく、愛情をこめて介護
できるのです。ますます増える認知症ですが、今は行政機関でも「認知症に対する
知識を高めるため」の無料でセミナーを開いています。
 機会があれば、ぜひ参加してその知識を得て、「認知症」の症状や、その感情
などについてを理解して頂きたいと、私は思います。
 すると、必ずその対応の仕方のコツも分かりますし、その感情の揺れなども
きっとご理解できるでしょう。「一番辛いのは認知症になったご本人」なのです
から。少々大変ですが、もしも心あたりがあったら、あなたの愛するご家族の
ために、認知症についての知識を、ぜひ知って頂きたいと思っています。

母の日に際して 著書「こころのまっすぐな子に育てる本」より

2015年05月09日 | 著書から
 2001年7月8日 PHP研究所発行
我が家のユニークな子育ての章より、今日は母の日ですが、私が子供達に母と
して接した経験を元に書いた著書の一部から、思春期の中2の出来事について
ご紹介しようと思いました。
 ☆ 先生より娘を信じた
 娘が中学二年のときですが、「お子さんのことで話がある」と、担任の先生に
呼ばれました。その先生がおっしゃるには、「お宅のお嬢さんは大変な問題児で
何時も何かあると先頭に立ち、皆を誘導して校長室まで抗議に行く」と言うことで
した。さらに、「来年は高校受験だけれど、こんなに個性が強いお子さんは、とても私立高校では無理だと思うので、比較的開放的で自由な公立の高校に進学した方が
良い」と話されたのです。私は自分自身もかなり目立ちたがりの上、個性的な中学生でしたので、先生の話にはまったく動じませんでした。
 
 そして私はこう言ったのです。「先生にはご心配やご迷惑をおかけして申し訳ありません。実は母親の私も娘と同じように、とても個性的でしたので、あまり心配は
いたしません。娘が校長室に押し掛けたとおっしゃいましたが、多分それなりの事情があったに違いありません。何故なら、彼女はとても正義感の強い性格ですから、私は娘を信じております。それから進学のことですが、高校は娘の学力に応じて本人の希望した高校に進学させるつもりです」、先生は私の答えに大変驚いているようで
した。こんなとき、多くの母親は仰天し、とても心配するかもしれませんが、私は
先生の意見より、自分の娘が正しいと判断できたのです。
 
 あまり動じない私に呆れたのか、驚いたのか分かりませんが、憮然としている先生に丁寧に挨拶をして家に帰ると、玄関で娘がとても心配そうな顔で待っていました。
 そして「先生に何を言われたの?」と聞いたのですが、私は余計なことは一切
言わず「進学の相談だけよ」と明るく答えました。
 もしも先生に言われたことをすべてを話したら、人一倍感受性の強い娘がとても
傷つことが、私はハッキリ分かっていたからです。
 ホッとしたような表情に戻ってはいましたが、何かは感じていたようです。
大学生になったある日のことですが、昔のことを思い出した会話から、その日の
ことを、「あのとききっと先生から言われたはずなのに、ママは一言も叱らなかった
でもそれがとても有難かった」と言って、娘は「あのときはママ有難う」と言って
くれたのです。私が言わなくても、先生に私が呼びつけられた理由は、ハッキリ
分かっていたのでしょう。 
 
 ☆ 学校に抗議する
 息子は小学生の時からスイミングクラブで何年も水泳を習っていて、泳ぐことが
大好きでした。それは確か中学二年の出来事でしたが、こんなことがありました。
 ある日学校で健康調査があり家族や祖父母も含めて、病歴や健康状態を用紙に
記入し、本人に持たせたことがありました。
 すると、次の日学校から帰ってきた息子が、ションボリしてこう言うではあり
ませんか。「もう僕はプールに入れないんだって」「え!どうして、水泳が一番得意
じゃないの、何かあったの?」と私は驚いて聞き返しました。
 すると息子は学校に提出した健康調査の中に祖父が心筋梗塞で死亡したと
書いてあるため、当人が水泳をすると心臓発作の危険があり、プールに入れられ
と言うことでした。何と言うことでしょう。
 
 心筋梗塞で亡くなったと書いた祖父は、彼が小学校二年のときのことだった
のです。そんな昔のことですし、それだけでプールに入れないとしたらと
直情的な私は猛烈に腹が立ちました。何と理不尽な考えでしょう。
 そんな理由でプールに入れないとしたら、子供達にとって最大の楽しみである
水泳を、一体全国の小学生や中学生は、何人ができなくなるでしょうか。
 私は早速担任の先生にあてて手紙を書いて、次の日息子に持たせました。
  
 内容は「祖父が心臓の病気で亡くなったのが原因で、息子がプールに入れな
いのは、どうしても私は納得できません。何故なら、息子はいたって健康ですし
水泳は息子の最大の楽しみです。もしもそのような理由で子供達がプールに入
れないとしたら、我が息子以外にも数え切れないほど対象になる子供達はいると
思います。それは可笑しいではありませんか。どうぞ息子に水泳をさせて下さる
ようお願いいたします。もしも息子がプールで心臓発作を起こし、たとえ死亡
したとしても学校には一切その責任は問いません。ですから今日から息子を
プールに入れて下さい」と言うものでした。

 その手紙が効を奏したらしく、次の日から息子は早速水泳ができるように
なったのです。実は学校で決められた問題を、担任の先生も内心「これは可笑し
いな」と感じていたらしく、早速職員会議で先生方が話し合いをし、その理不尽
さをみとめたのでしょう。その後息子は、担任の先生から「小池のお母さんは
偉い!」と褒められたそうです。
 私が子供のことで学校に抗議したのはその一回だけでしたが、学校によっては
画一的で納得できないこともあり、そんな時には意見を言ったり、抗議したり
する勇気も、子供のためにある程度は必要ではないでしょうか。

 
 



それぞれの介護 (前)

2015年05月09日 | えっせー
友人は夫の介護をしてから10年近くになる。
病人なのに今でも毎日ウイスキーを飲むそうだが、トイレが間に合わず失禁
する。仕方なくおむつを当てたら、それがビショビショになるまで黙っていて
下着だけではなく布団まで漏れることが時々あり、毎日その洗濯に追われて
いるとか。ご主人は二階に寝ていて、三度の食事を枕元まで運ぶそうだ、友人
は膝や腰が悪く、整形外科では「あまり歩かないように」と言われていても
そうもいかず、毎日階段の上り下りだけでも大変らしい。
 
 大分以前のことだが、彼女と南フランスへ行ったことがあった。
私は早朝夫にトランクを持って、新宿のリムジンバス乗り場まで送って貰ったが
その時友人のご主人も見送り?に来たが、彼女は大きなリュックを背負いさらに
大きなバッグを持っていた。見送りに来たご主人は手ぶらなので、私は驚いた。
 その時彼女は「あなたがびっくりしたけど、日常生活はすべてあの調子よ」と
言った。そんな夫を長年介護しているのは、本当にストレスがたまるのは当然
だと思う。さらに彼女には、まだ孫の世話も追いかぶさっている。

 まだ若い知人は、自分の母を引き取り自宅で介護している。
内向的で遠慮がちだが、そのくせ一緒に暮らし始めてから、まだ元気だったとき
にも、仕事を持っている娘を気づかう訳でもなく、家族の食事の準備をただの
一度もしたことはなかった。何度か入院したが、その度に仕事を持つ彼女は大変
な思いをしている。またあまり人に会ったり、外に出るのが好きではなく
「デイホーム」へ通わせるのも大変らしい。
 高齢になれば当然だが、病院の内科、消化器科、整形外科など、いろいろな科を
たらいまわしされ、その付き添いに一日がかりのこともあり、仕事もほとんど
できないそうだ。これがいつまで続くのかと思うと、気持ちが暗くなるそうで
それを聴いている私も、思わずため息が出るほどだ。

 それに比べたら、認知症の夫は大変扱いやすい。短期記憶は全然できないが、最も
妻として嬉しいのは、日常会話がごく普通にできることだ
 無論月日も分からず、金銭の管理できないので、私の日常の細かい雑用が増えた
ことは確かだし、細かいことをいちいち数え上げたらきりがない。
 でも着替えは一人でするし(私が揃えて置いても、気に入らないと自分で選んでいる)毎早朝一人で起き準備をしてにペットを連れて、近くの羽根木公園へウオーキング
に行く。家事も手伝ってくれるだけではなく、お陰で日常生活では全くと言っても
いい程支障がなく、今でも「認知症優等生」だ。
 他人が心配してくれるようなことは、今現在ほとんどないのは、本当に有難い。
ことに言語障害の私をからかうのは間髪入れず鋭く、「主語がない」「その表現
変だ」「何を言っているのか全然理解できない」など、腹が立つほどだ。
 でも、それももしかしたら、彼の頭の活性化に役立っているのかも知れない。
今まで4年間いろいろな方法を試してみたが、夫がいつも明るく穏やかなのは
何より私の対応法がベストだったと気づいた。
 それをお話しすると長くなるし、もし認知症のご家族を持つ方のお役に立て
るかも知れないので、明日改めてご紹介しましょう。

突然頭の中でモルダウの曲が流れた

2015年05月08日 | えっせー
 夕食のかたずけをしていたら、何の脈絡もなく私の頭の中で、スメタナの
モルダウの曲が流れた。すると突然チェコに行ったことが思い出された。
 あれはウイーン大学で開催された盛大で華やかだっった「世界心理学会」の
帰りだった。教授と別れて、友人とウイーンから列車に乗り、のどかな田園風景
を見ながら、約4時間かけてプラハに着いた。
 迎えに来てくれた知人の車で、ホテルに着いて・・・・
などなどあの辺りの風景が、まるでデジャブのようによみがえった。
 感覚的な私は、他人が想像できない位、イメージの世界に浸れる。
懐かしいあの街並み、匂い、風すら感じられるのだ。
 そのノスタルジアが、まるで私に襲いかかるような何とも言えない気分。
そんな感情に耐え切れなくなり、私は友人に長いメールをした。

思いがけず天皇、皇后様をまじかに拝顔できて

2015年05月07日 | えっせー
 美智子妃殿下は毎年梅が丘に住んでいるご学友にお会いするため、いらっしゃる
のは噂では知っていた。そのご訪問なさるお宅は、我が家から7・8分の近さだ。
 今両陛下がそのお宅にいらしているが、2時半ごろお帰りになると情報を、近所の
人が皇室大好きの息子に知らせてくれたのに、残念なことに、息子夫婦は明治神宮
へ行って留守だった。夫はデイホームでいない。
 「こんなチャンス滅多にないから」と、孫と3人で急いで駆けつけた。
そこには黒いスーツ姿の警官らしい人が何人かいたが、そのお宅の前には
これを知っているらしい人が集まっていたが、だんだん人が増えてきた。
 ※ ダメ元で携帯で撮った天皇陛下
  
 そこは国士館大学のそばの静かな交差点の近くだが、気がついたら国士舘大学の
屋上に護衛らしい黒いスーツ姿の人が立っていた。
 先導する白バイが3台、後ろに着く白バイが3台定位置についたが、私の隣の女性
が近所の人らしく「二台目が両陛下が乗る車ですよ」と教えてくれた。
 いよいよその路地から両陛下の車が出てきたら、「どうぞお元気で」と、声をかけて
いた人がいた。窓は開いていて、私の目の前を両陛下の車が通ったが、天皇陛下は
ニコニコしながら手を振っていらしたが、美智子様もハッキリ見えた。
 思いがけない至近距離で拝顔した両陛下は、さすがにご高貴だった。
私の目の前で手を振っていらしたが、、とてもお優しそうで素敵な方だった。
 ゴールデンウイークの最後の日のハプニング、こんなラッキーなことがある
なんて・・・そう言えば先日お墓参りしたが、今日は父の命日だった。
 


花びらを数えて

2015年05月06日 | えっせー
 長年私にプレゼントされたのは、ほとんどバラだった。
お風呂に浮かべたり、お部屋の中で、つれずれなるままに、私はバラの
花びらを何度数えたことだろう。私はある無量感に襲われて、先日いただ
いた目の前にある、ややしおれかかった花瓶のお花を抜いた。
 それはバラとカーネーションだ。その花弁を数えながら、記憶の彼方に
あったいろいろなことを思い出した。
     
60歳の誕生日の前日、ある一流ホテルで開いた「自分へのご褒美パーティ」
ダンススタジオも、家も溢れるようなお花だった。
 その中から深紅のバラを自分の年齢だけ切り、バスタブに浮かべた。
体にまとわりつくバラ、溢れるような香り、まるで女王様になったような
幸せな気分だった。そして今・・・
 バラの花弁は53枚、初めて数えたカーネーションは61枚、カーネーション
を数えたのは初めてだったが、すっかり花びらがなくなった茎には固い芯がある。
 まるで何かを象徴しているかのように・・・

羽根木公園での出来事

2015年05月05日 | えっせー
 羽根木公園は梅林の梅の根元を踏まないようにと、何年か前に植えたさつき
が、今年はとてもキレイだよと、夫から聞いていた。
 毎日早朝公園をウオーキングする夫だが、たまには午後も行ってみようと
家族3人で羽根木公園へ行ったら、新緑の梅に映えて、さつきはとても美しかった。
 羽根木公園は子供達や、そのママ達、色々な年代の人達で大変賑やかだったが
「朝は中高年ばかりだけど、午後は全然違うね」と、彼は辺りを見回して笑った。
 新緑がきれいで、まさしく薫風や、緑の風と表現して良いような風が吹いていた。

 ベンチで夫とアイスクリームを食べていたら、多分4歳位の男の子と女の子が
ペットを見て「可愛いね」寄ってきた。男の子がコーンアイスを食べている夫に
「一口ちょうだい」と、何とも可愛らしい顔で言ったので、二人で思わず顔を
見合わせた。こんな幼児が二人だけで来る訳ないと、周りを見回したが、ママ
らしい人はいない。「叱られないかしら、どうしよう?」私は一瞬考えたが
男の子はじっと夫のアイスを見つめている。
「別にうつる病気がある訳ではないし、上げてもいいんじゃない」と、半分位
残っているコーンアイスを上げたら、嬉しそうに「有難とう」と、手に持って
走って行った。女の子は黙っていたが、本当は欲しくても、知らない人の食べ
かけだし、いくら幼児でもそれがふつうなのだろう。

 無邪気に知らない人にこんなことが言えるのは、きっと天性なのだろう。
びっくりするような、思いがけない経験をしたが、性格は天性の部分が多い
が、後天的につくられる性格もかなりある。
 でも、天性は抑えていても時折顔を出す、あの人を食ったような、でも何
とも愛らしい天真爛漫さは、多分一生人間関係が良いのではと感じた。
「生まれつきってあるのだね」、と夫と話しながら歩いたが、あの可愛い
男の子のお陰で、心がふんわりほぐれたような気分になった、爽やかな
昼さがりの散歩だった。

NHKスペシャル「不思議の森、明治神宮」を見て

2015年05月04日 | えっせー
 家からも30分足らずで行ける明治神宮が大好きで、若い頃からよく早朝
一人で明治神宮へ行った。この番組があることを知りとても楽しみだった。
 明治神宮の神域の森は、荒れ地に100年かけてつくられたものだと知り、人間
の力と、自然の偉大さに改めて驚嘆した。
 明治神宮ができた歴史は、今までおぼろげながらの知識とは違い、大変興味
深く、沢山の人の集大成の結果だと知り、私はたた唯感動だった。 
 今回はその調査のために、樹木、土壌生物、水性動物、昆虫、鳥、哺乳類、きのこ
などの学者の専門家が、背広姿で参拝してから、各チームごとに分かれ2年間に
わたり調査したものだった。ほとんどが立ち入り禁止の深い森だが、動物が何と
3000種以上住んでいるのは驚いた。

 何年か前に友人と早朝に菖蒲園へ行ったら「あ!蛇」と友人が叫んで「あそこ
あそこ」と言ったが、私は恐ろしくて見られなかったが、番組ではオオタカの
子供を襲おうと、木に上っていく場面もあったが私は眼をつぶっていた。
 オオタカが都会の真ん中の森に生息することなど、ないはずだそうだが、実際
に子育てをしてることも確認されている。
 初めは10万本の木を植えたそうだが、自然に木の種類が変わっていく様子や
まったく人間の手を加えない、朽ち果てた樹木のそばには、実生と呼ばれる
芽を出した若い木が命をつないでいる様子など、私には大変感動的だった。
 また参道に落ちた落ち葉も捨てずに、すべて森に返し、自然のサイクルを守って
いるようだ。あの深い森にはいろいろなきのこもあり、その生態がとても不思議
で面白かった。

 いずれにしても・・・「大都会の真ん中にある太古の森」は世界でも例は見ない
そうだ。こんな素晴らしい大自然が近くにあるなんて、何とステキなことだろう。
 早朝参宮橋駅から小田急線を降りて、明治神宮に入った途端に、何とも言えず
清々しい気分と、「本当に神域に今いるのだ」とで感じるのは、きっとそんな自然
のエネルギーを全身で感じられるからだろう。
 ラストシーンはタヌキが神殿の前を歩いていたが、それもまたユーモラスだった。
明日の早朝はしばらくぶりで、自然溢れる神域を歩いて、神殿で感謝の祈りを
捧げたいと思った。

タイミングよく6年半前投稿した記事が浮上したのでびっくり!

2015年05月03日 | えっせー
 ☆こんな不思議なことがあるなんて・・・
 心理学について書いていたとき、何気なく見たら何年も前に書いた投稿記事が3位になっていて「こんなことあるのかしら!?」と、本当に驚きました。
 これはきっと毎日読んでいて下さる方に、「その経験をお話したら」と、もしかしたら、神様の啓示かしらと感じて、再投稿いたしました。

  シュタルト療法のセミナーを受けて 2
   2009年09月05日 | Weblog
  ☆ わたしの個人ワーク
 先生に指示され恐る恐るホットシートに座ったわたしに、「あなたが持って
いる問題は何ですか?」と聞かれた。「わたしはとても淋しがりで臆病です。
暗闇はとても怖いし、一人でいて淋しくなると、息が苦しくなります」
と言っているが、これは今で言うと過呼吸症候群の状態だ。
 すると次から次にと先生から「今何を感じていますか?」などの質問があり
それに答えると「同じ言葉を誰かに言いなさい」するとわたしは即「00さん
わたしは今……」とくり返すが、「じっと目を見て、あなたは今天井を見たで
しょ。せっかく開きかけた心のドアがまた閉まっている」と厳しく指摘される。
 考えないで、今感じていることだけが条件だが、それがなかなか大変だった。
それをくり返していると、だんだん感情が昂ぶってくる。
 やはりワークを受けた人がほとんどそうであったが、わたしも同じように
中ほどではかなり激しく泣いていた。
 
 終わった後に、大勢に抱きしめられたが、一緒に受講した人達からの感想が
いろいろあった。「まるで5歳の女の子のようだったね」
「あなたはダンサーでしょ。いつも人に見られるのが仕事だから、自分から
人を近づけたり、離したりするポーズがクセになったのかも…」
「泣いているときは凄く可愛かったし、僕も一緒に泣きたかった」
「勇気を出して、自分をさらけ出したのが羨ましかった」
「解放された能里子さんは凄く魅力的だった」などなど。
 通訳の男性の声が大きく、すべてを聞き取れなかったが、この他にも沢山の
忌憚のないコメントがあった。
 
 その日の個人ワークが、今まで「自分では分からなかった内面と出会い」、また
「大変大きな気づき」を得られたと思う。泣きじゃくりながらも、先生の質問に
一所懸命答えていた自分が思い出され、あの日の情景がありありと蘇った。
 それからもさまざまな心理療法を学んだが、わたしの根底に流れている考えや
価値観はやはり、あの実存的な「ゲシュタルト療法の理論」だと感じている。
 いろいろな勉強をしたお陰で、まるでガラス細工のように、過敏で神経症的な
資質はかなり少なくなったが、今でもわたしの中に現存しているのは事実だ。
 でも、それらの要因が、心理カウンセラーとしては有利であるのは確かで
マイナス面も、必ずしも悪いことではないと実感している。
 
 大昔の自分と出会って、心の中にさまざまな思い出と、懐かしさとがクロス
オーバーしたが、でも、いつも懸命に学んでいた自分が健気で、たまらなく愛しく
なった。わたしがワークを受けたのは1982年7月だった。
 それににしても……あのとき一緒に受講した先生方は、すでに何人も亡く
なられ、またわたしも老人になった。

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心理学、この興味深きもの 

2015年05月03日 | えっせー
 ☆ あまりに奥が深い学門
 私が心理学と初めて接したのは「催眠心理学」だったが、それは個人指導
だった。それから他人とは随分違う自分自身をもっと知りたくて、心理学の
基礎から勉強しようと、初めて入ったのが上智大学の心理学講座だった。
 その時の講座の教授が「カウンセラーはいくら勉強してもなれない人があり
それは人それぞれ持っている資質の違いだ」とおっしゃったが、「私はカウン
セラーの資質は十分ある」と感じたで嬉しかったのは、ハッキリ覚えている。
 学んでみて「これほど面白い学問はない」と思い、「カウンセリング入門」
から、さまざまな心理療法をいろいろとも勉強したが、勉強すればするほど
心理学が楽しくなった。それからある大学などの心理学関係機関や、小さなグ
ル-ープでも、さまざまな「心理療法」のセッションなど、一体どれほど学習
したことだろうか。そんな会の催しには、私が必ずダンスを指導し重宝がられた。
 
 心理学は雑学と言っても良いので、何を学んでも本当に興味深く楽しかった。
それから二年ほどして、私の記憶に間違えなければ、日本に初めて紹介された
「ゲシュタルト療法」を、アメリカ人の女性「リッキー・ウオルフ先生」に
東大病院の一室で学んだ。毎週夜6か月間で、それはかなり高価だったと思う。
 九州医大についで東大で初めてできた「心療内科」の教授になられたI先生や
東大の助教授だったH先生の他、精神科医、外科医、ケースワーカー、心理カウ
ンセラーなど、私を除いては、知識人ばかりの男女同数少人数クラスだった。
 その講座はすべて同時通訳の英語で行われたが、日本でも最高のレベルの先生方
と一緒に受けたセミナーは、長年心理学や心理療法を学んだお陰で、すべて理解
できエキサイティングで、大変刺激的だった。
 そのワークショップは驚くほどハードで、個人セッションでは全員が泣かさ
れたが、最高の地位の男性達が号泣する姿を見て、「私だけでなく、誰にでも
問題意識はあるのだ」と、「心の奥の不可解さ」に気づいたのも忘れない。
 その個人ワークは録音して一人づつ下さったが、泣きじゃくりながら、しどろ
もどろに答えている、まだ若かった自分のテープは、今でも大切に持っている。
 
 色々と学んだお陰で、世界的に有名なS教授とご一緒に、海外の国際心理学会
に何度も出席し、学者でもない私が「第5回世界心理治療学会」で、プレゼンが
できたのだ。私がご教示受けた先生方のほとんどは、亡くなられたが、高齢に
して未だに未成熟な自分は別格としても、心の奥は複雑で難解で良く分からない。
 だからこそ、今でも魅かれるのかも知れない。
 昨年も「フロイドの深層心理学」を学んだが、私の心理学の探究は、これか
らもずっと続けていくことだろう。
 
 ※ これを今日投稿するつもりでしたら、何と不思議なことに私のブログの
人気記事の3番目に、2009年にゲシュタルト療法のワークを受け投稿した
のが3位に浮上していて、全身総毛立ちました。
 こんなことってあるんでしょうか?それは何度かに分けて投稿したようで
私の個人ワークの場面でしたが、自分ではすっかり忘れていました。
 これも何かのお導き?かもと感じましたが、長くなるので明日投稿いたしますね。素のままの小池能里子が出ていますが、歳だけは重ねても、大昔とあまり成長して
いない自分と、再び対面して少々複雑な思いですが・・・

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