ビビッド能里子トーク・サロン

心身両面の指導者として感じたこと

人間ウオッチング

2015年02月18日 | えっせー
 先日新宿から品川まで、かなり長く乗った山手線で、いろいろな年代の人が
乗り降りしたが、私はさりげなく、でもじっくり観察してした。
 私の前に座っていた女性は、多分60代ではないかと思ったが、髪の毛
は何と濃いブル-だつた。相当めだつたが、眉毛はとても細く一本線で
かなりオシャレな人だのだろうが、その眉は何年も前に流行した形だ。
 メークも年々変化するので、今では凄く違和感を感じた。
そこへものすごく肥った30歳代位の女性が乗り込んできたが、顔と首との
境目が見事にないが、こんなタイプはきつと成人病になるに違いない。
 これほど 肥っているのは、全くコントロールせずに食べたい放題なの
だろう。
  
 すると、高校生が数人乗ってきたが、若さが匂うようで、肌がピチピチ
してとてもキレイだ。思わず見とれたが、この若い女性達も、20年後
30年後はどうなっているかしらと、想像したらちょっと楽しくなった。
 若さは移ろいやすいが、年齢だけは誰にでも平等だから、ある一定の年齢に
なったら、その後のケアで、見た目は全く違ってくる。
 その人の生き方が顔や姿に表れる。私が最近最も関心があるのが、同世代
前後の高齢者だが、おしゃれなファッションの素敵な人を見かけると、とても嬉しくなるが、いつも私が見ている周りの友人や知人達は、かなり素敵な部類に入るかも知れない。などと考えていたら、品川に着いたのであわてて
飛び降りたが、とても楽しかった。


感動は心をリフレッシュする

2015年02月17日 | えっせー
 先日クラスメート達8人で一泊旅行に行ったが、そのツアーにはお花の
お土産がついていて、それぞれが好きな花を選んで家に持ち帰った。
 すると男性の友人から「初めて見た、花が咲く過程の素晴らしさに感動
しました」と、全員に写メールがきた。
ほとんどの男性はあまりお花に関心がないが、自分がお土産に頂いた
固いお花の蕾がだんだん開いていく様子にとても感動したのは、心が
みずみずしい証拠だ。
 同世代の男性がそんな感性の持ち主なんて、すっかり嬉しくなり、その
感性に私も感動しましたと返信した。
 年齢を重ねると「そんなの当たり前」「別にどうと言うことないさ」
などと、いちいち驚かないのがごくふつうだ。
 でもそれでは体と一緒に心が年をとり、無味乾燥な毎日になる。
どんな小さなことでも、びっくりしたり、感動したりする、つまり心が
敏感なことが、若さを保つには絶対欠かせない。
 ことに感動は「心の中の憂さを洗い流す」ほと、精神衛生的に大きな
効果があるのは、よく知られている事実だ。
 これから私も、感動の多い人生を歩んでいきたいと思っている。
 


寿命が延びることを喜んでいられない現実

2015年02月16日 | えっせー
 昨年末に読売新聞の「人生案内」を読んで、私は何とも言えないやりきれ
ない気持ちになった。それは40代の女性からの相談だったが「病気の母を
介護して20年近くなるが、母親は年齢とともに頑固になり、要求も増えて
きてストレスが溜まるばかり。一番辛いのは本人だと、自分に言い聞かせて
介護してるが、時には母にあたってしまい、後で母に謝っている。
 夜一人で部屋にいると、いつまでこんな生活が続くのかと、涙が止まら
ない。私にも人生があるのに…日々穏やかに母と接して行くのは、どの
ような心構えでいればよいのだろうか」
 回答者は介護中だから積極的に、母と旅行したり、自分で楽しめることを
見つけてみたら。また、どんな困難な中にも、ポジティブな側面があるから
介護を通してこそ考えられ、きっと強くなれます」と答えていたが…
 私はこれを読んで、相談者のやさしい気持ちが痛いほど分かって、本当に
お気の毒で涙が出てきた。青春を母のために犠牲にして、さらに、先が見え
ない介護はどんなにかご苦労なことだろう。
  
 私の知人も母の介護で大変苦労していると、昨日メールをもらったが
長生きすると、ますますこんな問題が増えることだろう。
 そして今日2月15日、同じ新聞の人生案内は「独りで両親介護、40代の
公務員男性、これから先の人生は真っ暗です」「独りで両親介護、諦め
だけ」お気の毒で胸が潰れそうな気がした。
 何と深刻な問題だろう。後期高齢者としては、他人事とは思えない現実。
私は自分の子供達には、そんな思いは絶対にさせたくないと思う。
 これは以前から常々考えているが、ある一定の年齢になったら、「死ぬ自由を与えてくれる法律」ができないかしらと言うことだ。
唯これは私自身の独断と偏見的な考え方かもしれないが、ご当人が生きたいと思っていたら、家族は一所懸命に介護をしなければならないだろう。
 世の中にはひたすら長生きしたいと思う人がいる半面、自分の命の長さ
は自分で決めたいと、感じる人も決して少なくはないはずだ。
 心中したくなる家族の気持ちも、私は理解できると思う。 
 
 現在の平均寿命は男性80.21歳、女性86.61歳だが、男性は
約9年間、女性は約12年介護を必要とされているようだ。
 これは寿命が延びれば延びるほど、国や家族に負担をかけることになると
思う。私は多分20年ほど前に「尊厳死協会」にも入ったが、「病気になっても一切治療はしないし、延命治療は一切拒否する」と遺書も書いてある。
 でも、家族にとってはそう簡単には割り切れない、とは思っているが
これは嘘いつわりがない、私自身の本当の気持ちだ。
 いずれにしても、たとえ長生きしても(私はもう十分生きたと思って
いるが)できるだけ家族に負担をかけないように心掛けることが、高齢者
は絶対必要だと思っている。しかし先のことは全く分からず、神のみぞ
知る事実かも知れないが、私は前述のような法律ができれば良いのにと
真剣に考えている。

 何故なら叱られるかも知れないが、ハッキリ言わせて
頂くと、あまりに長生きするために、それより若い世代に犠牲を強いる
のは絶対に嫌だから。これって神を冒涜する不遜な考えだろうか?
 いずれにしても・・・・自分ではいつ死んでも惜しくないが、今は
夫の介護と言う重大な任務があるし、また子供達に迷惑をかけないため
にも、がんばって生きなければならないと思っている。
 今私はとても健康だから、また、自分の夢のすべてを達成するためにも
もう少し生きていたいが、もしも体が思い通りに動けなくなったとしたら
即死んでしまいたいのもホンネだ。

私は「オキシトシン」亢進性格?

2015年02月15日 | えっせー
 友人が入院してから毎日朝晩遠隔ヒーリングをしていたが、退院して日常
生活に戻れたので、今日で止めることにした。
 もう一人の友人は家族や身内を続けて亡くし、その気持ちが癒されない
うちに家の中で骨折した。そんな友人のために、私はまだ当分続けるつ
もりだ。私自身は比較的やさしい方で、またサービス精神が旺盛で人様の
ために役立つのが、とても嬉しい。
 もしも心理学を勉強しなかったら、お節介や親切過ぎて、きっと他人を
辟易させたかも知れないが、心について学んだお陰で、そんなことは
多分ないと思っているが。昔は「有難う」と言われるのが当然で、言われ
ないと腹が立ったり、また無意識にその見返りを求めていたか知れない。
 最近の医学では、他人にやさしくしたり、親切にすると「思いやり
ホルモン」「愛情ホルモン」と言われる「オキシトシン」が分泌される
ことが解明された。そんな理由には関係なく、私は一言で表現すれば
「自分が楽しいからやっているのだ」と、思っている。
 インドでは困っている人に恵んでも、決して「有難う」とは言わないが、それは「施した自分も幸せな気持ちになれるのだから、お互い様だ」と言う意味だそうだ。確かにそれも真理かも知れない。

 その気持ちが顕著に表れたのが献血だった。
献血で表彰されたのは何度もあり、その「献血功労章」はいくつかある。
 私は先端恐怖症のため、自分に注射をするのは無論、今でもテレビの予防
注射のニュースや、また動物にする注射なども、絶対に見られず、思わず
目を固くつぶってしまう。そんな私だが昔は献血登録をしていたから
緊急の献血依頼があると、日赤の献血センターにかけつけたことあった。
 その日も緊急の献血依頼で、お昼直前に日赤の採決センターに行ったら
血圧がとても低かった。すると先生が「おなかが空いていて低いので、売店でパンを買って食べて来て下さい。必ず牛乳も飲んで下さいね。それまで
待っていますから」と言われた。
 先生が待っていて下さるので、売店で牛乳でパンを流しこんでもう一度
行ったら、血圧が上がって献血ができたこともあった。
 また成分献血は体重が50キロないとできない、そのために体重を増やし
成分献血したことも何度かあつた。それは取材を受けた読売新聞(平成
2年4月16日)の記事でも紹介されていた。

 献血歴は166回あるが、唯の一度も採血する場面を見たことはなかった
のは本当は痛いし、怖かったからだ。それでも、「自分の健康を感謝して
何方かのお役に立てれば」と、それでも幸せな気持ちになれた。
 そんな時にはきっと、その頃にはまだ知られていなかつた「オキシトシン
ホルモン」が分泌していたのかも知れない。
 輸血から「血清肝炎」になること分かり、その制度が変わり、私は娘を
帝王切開で出産し、一度だけ輸血を受けたため、それ以来できなくなった。
 最後の献血は平成7年7月4日、その日に初めて400CC献血をした。
制度が変わらなければ、本当はまだ当分献血はできたはずだ。
 大昔の事を思い出しながら、そのためかどうかは定かではないが、今まで
あまり苦労せず比較的ラッキーな人生だったので、これからもずっとその
路線で行ける信じている。楽観的な思考も、きっと大きく影響している
かもしれないが・・・
 

楽しかった二日間

2015年02月14日 | えっせー
 12日はクラスメート達と、ツアーで南房総最南端の白浜まで一泊旅行
参加者男女同数の8人だった。お天気も良く、小型バスの最前列だったので見晴らしがとてもよくご機嫌だった。現地到着一時頃、食事を済ませて
から、野尻岬灯台の辺りを散策したしたが、風がとても強かった。
 その辺りの海は岩が大変多く、岩にぶつかる波が、真っ白で高いしぶき
を上げていた。その帰り道に、朝ドラ「まっさん」の影響か「ウイスキー
を飲んでみたい」と下戸の女性が言い、帰り道にあったスーパーに寄った。
 すると、「日本酒が欲しい」と少々いける女性も言い出し、何とアル
コールは、持ち込みのワインも入れて4種類になった。
 ホテルに帰り入浴後に、男性の部屋に集まり食前の乾杯。
食事をしてから、また食後の飲み会となったが、楽しく盛り上がった。

 房総半島の最南端の部屋から見る太平洋の水平線が丸く見えて、とても
壮大だったが、翌朝はの日の出を見た。また、午前は濃紺だった海の色が、午後には一部が、美しいエメラルドグリーンに変化していて、私は思わず
立ち止りしばらく見つめた。
 帰りは空模様が大きく変化したが、千葉から東京に向かうバスは平野を
走り、両側に地平線が見える広い空の視界は、恐ろしいように黒雲が立ち
込めていた。下の空がわずかに明るい部分とが、グラデーションでは
なく、ハッキリと区切られた、何だか恐ろしいようにさえ感じた。
 都会に住んでいると、空がとても狭いが、行くたびに感じるが、「海ほ
たる」から先の平野は何と雄大だろう、私はそんな風景が大好きだ。
 
 昨日は地平線と水平線を肌で感じられたが、だから旅はとても感動の連続
なのかもも知れない。上野着5時少し前、急いで家に帰り7時から開演の
「バレンタイン。ジャズコンサート」に夫と行った。
大自然から少し離れた都会の生活は、大変便利で、我が家から電車で10分
徒歩を入れても、早ければ15分で行ける成城学園前駅のコンサートホール
成城ホール。そのコンサートは最高に楽しく、とても幸せな二日間だった。

満員の映画館

2015年02月12日 | えっせー
 昨日は祝日だつたせいか、高井戸シネマは満員だった。
私は映画は好きでよく見るが、日本画は滅多に見ないが、吉永小百合さん
出演の話題作の「ふしぎな岬の物語」だったので見たかった。
 せっかちな私は少し早めに来すぎたなと感じた。最近は整理番号を
渡されるが、私はその時42番だった。
 暇なので友人達にメールをしていたが、気がつくと大勢いるので驚いた。
椅子に座ってから本を読んでいたが、ふと周囲を見回したら、場内は
満員で補助的に置いてある椅子が両サイドに置いてあった。
 さらに係りの人が、真ん中の通路の座布団を敷き出した、私はびっくり
した。前から後ろまで座っていたが、「満員のため、上映時間が遅れて
申し訳ありません」と放送され、映画が始まったが、予告編はなかった。
 いつもガラガラの映画館が、話題作はこんなに混むのだと、びっくり
し、良い経験をしたと思ったが、映画はなかなか面白かった。

 自分自身も夫も研究の対象

2015年02月11日 | えっせー
 
  ☆ だから毎日エキサイティング!
 自分の年齢を実験台にし、いつも考えたり、工夫したりし、それらを
実践している。
    どうすれば気分を弾ませて明るく生きられるか。
    健康でいられるか。
    若々しく見えるか。
 などだが、年齢に抵抗するのは、疲れるし長続きをしないから、自分の
年齢を考え、また体の内面と会話しながらレッスンしている。
 私自身は自分の体に大変敏感だからだ。「これはきつい」と思うとすぐ
に止めて、次の方法を模索する。無論テレビで見たり、本で読んだりした
最新の方法も取り入れることもあるが、それらのすべてがベストではない。
 
 もともとダンス教師だったが、ヨーガの指導者にもなり、身体面から先に
入ったお陰か、健康維持や若さを保つために、大変効果的に働いていると思う。20年前にはディスコダンスで傷めた膝の痛みで悩んだり、その少し前には腰が痛かったし、またベリ-ダンスで大きな布を振り回し、背中を傷めたりして満身創痍だった私。そんな私なのに、色々な治療を受けたりした
が、それらの先生方の意見やアドバイスを重視し、工夫して毎日レッスン
したためか、今は大変調子が良く、10年前の私を知っているクラスメート達は、皆な大変驚いているが、無論健康診断の数値も、パーフェクトに
近い。
 
 高齢者で治療を受けている人、いない人について、大体のパーセンテージが知りたくて、区役所、都庁などに問い合わせたが、ほとんど分からいそうだ。保険料削減のためだけではなく、ますます高齢化する現代では絶対必要だと、対応したお役人さん達は、大変恐縮していたけれど。
 また自然に湧いてくる願望、ヤル気、、高揚感など、でも、実はこれは
「自分の中では大変な問題」となり、もしも一生続くとしたらと、考え
困って、夫がお世話になっている精神科の先生にご相談したが、やはり私
のような例はレアケースで、先生も「個性だから仕方がないから、自然体
が良いのでしょう」と笑っていらしたが、どうも私は「日野原先生」タイプかも知れない。

 認知症の夫をどうすれば、「いつまでも穏やかで、元気でいられるか」を
毎日工夫しいろいろ実践し、他人が驚くほどその効果を上げていること。
 また、今までの心身両面の指導者としての、さまざまな経験も山ほどあるし、書くためには現実の素材はいくらでもある、そのために発信したいの
だ。もしも依頼があれば、すぐにでも10冊くらい書ける自信があるが
そう考えると後9冊で50冊達成も、夢ではないかも知れない。
 しかし現実はそう甘くはない。でもこんな脳天気になのも、私のパーソ
ナリティかも・・・・ブログを書くのは文章の勉強になっていることは
確かだが、物書きだからつい長文になってしまう。
 でも、毎日熱心に読んで下さる方があるからいて下さるから、余計力が
入るのだけれど・・・

世田谷梅まつりが始まったけれど

2015年02月10日 | えっせー
梅ヶ丘の羽根木公園の梅まつりが始まったが、まだお花はほとんど
咲いていないようだ。でも毎年梅まつりが始まると、一年中で最も寒い日
が続いても、何だか春の足音が聞こえてくるようで、私は心が弾んでくる。
 二月は如月と言うが、別な言葉では「春待ち月」「雪消月」「梅見月」
「初花月」など、ロマンチックに表現されているようだ。

 大雪が降り続いている地方が沢山あるようだが、たった今新潟の魚沼で
2メーター60センチ降ったと報道させれいたが、先日東京に降った雪は
まったく積もらずにすぐに消えてしまった。
 雪は降っている時には美しいが、後が大変だなどと言っているのは
豪雪地帯の方々に申し訳ないような気がするけど。
 雪と言えば思い出すのは、私が若い頃にはスキーが流行っていたが、あの
時代は脚を折ったりして怪我をする人が大変多く、私の知り合いの男性は
スキー場で脚を折って、会社を休み大変な思いをしたようだ。
 その頃ダンス教師はスキーはご法度だったが、スキーをすると怪我をする
ことが多かったからだ。懐かしい昔を思い出したが、今日もとても寒そうだ。

心だけが存在している感覚

2015年02月09日 | えっせー
 聴覚が鋭敏になり、今まで全く聞こえていなかった音が次々に聞こえる。
肉体感覚がなく、心だけが息づいているような・・・
 そんな時がもっともベストな瞑想状態だが、その後に心臓の手術をして
今日退院する友人と、肉親を二人続けて亡くし、まだ心の傷が癒えていない
のに、椅子から落ちて肋骨を折ってしまった友人。
 二人のために、心をこめて遠隔ヒーリングをお送りする。
珠玉の朝のひと時・・・・・何と幸せなのだろう。
 
 自分で絶えず逡巡していた問題は、相談した精神科の先生からのメール
を頂いてすっかり吹っ切れた。
「小池能里子様
 ご連絡をありがとうございます。

人それぞれ皆違うし、私は自然体で行くのがよいと考えています。
活動的に日々何かを求めて走るのもそれはそれでよし、なのでは
ないでしょうか。自分のことはなかなかわからないものです。
己に厳しすぎず、自分を受け入れて自然体で行かれるといいと
思いました。心理の専門家に僭越ですが・・・
                     
また、ご予約ください。        0000」
 
 1人ひとりの個性があるのが人間で、そう思えば私は、少々エネル
ギッシュなだけ。ゴーイング、マイウエイ、今は私のラスト、ステージ。
 今日もまた楽しく、私らしく生きよう!

 未だに残る悲劇の傷跡

2015年02月08日 | えっせー
 先日テレビで「アンネの日記」をやっていたが、私は感慨無量だった。
私が初めてヨーロッパへ行ったのはオランダで、「キューケンコフ公園」の
美しいチューリップ、またいろいろな花のあまりにも美しさに圧倒された。
 その二日後に「アンネ、フランク」がナチスの目を避けて、家族と隠れ
住んでいた家を見学した。アンネが、13歳から15歳までの、もっとも多感
な時代に、1歩も外に出られず、息を殺すように2年間そこにいたのはどんな
にか辛かっただろうと、私は気の毒で胸が潰れそうになった。
 その周りの風景は、教会の鐘の音と共に、今でもありありと思い出せる
ほど印象が強かったのは、決して忘れられないからだ。
 
 帰国してから、、又改めて「アンネの日記」を読んで、その感受性の
強さや明るさに感動した。また、ビクトール・フランクルの「夜と霧」を
読んで、強制収容所の悲惨さの中にも、希望があったことを知り、人の心
の強さや、奥深さにも大変感動した。
 その戦争では、ナチスによってユダヤ人が600万人も殺されたが、その
うち150万人は子供だったそうだが、戦争は何と残虐なものだろう。
 強制収容所の責任者で、戦犯「アドルフ・アイヒマン」は、隠れていた
が見つけ出され、裁判を受けてから処刑された。
 その裁判をフェアーではないと言った、自らも強制収容所から脱出した
経験のある、ドイツ系ユダヤ人女性がいた。

 それは「ハンナ・アレント」と言う女性で、その裁判を批判した
レポートを発表したり、、書籍を出版したりし、世の中を騒然とさせ
たようだ。でも、世間がどんなに反論したり、攻撃されたりしても、
絶対に自分の説を曲げなかった、大変強く勇気のある女性だった。
 「ハンナ・アレント」は映画にもなったそうだが、70年過ぎても、まだ
人々の悲しい記録として残っている。
 今現在も世界ではさまざまな恐ろしい事が起きている。
いずれにしても…戦争は絶対に避けたいと痛感しているのは、誰でも
同じではないかと思う。



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