ビビッド能里子トーク・サロン

心身両面の指導者として感じたこと

心もピーカン!母の日

2014年05月12日 | えっせー
 昨日は友人と日立海浜公園へネモフィラと、あしかがフラワーパークへ
お花を見るバスツアーへ行った。溢れるような若葉、美しい花々を堪能し
幸せな気持ちで家に帰ったら、もっと嬉しいことが待っていた。
 息子夫婦からのフラーワーアレンジメントが届いたが、娘からは例年
母の日にはお花に決まっていたが、今日は一輪のカーネーションに、
キャッシュ入りの「有難う」という袋と、メッセージがついていた。
それにはこんな言葉が添えられていた。

「ママへ
いつも明るく前向きな姿見習っています。
 いつまでも輝き続けていてくださいね!いつも有り難う」

そう言えばその前夜には、私が素敵だなと思っているある男性から
「この先の人生にお互いに有意義で楽しい思い出が残せるように、小池さんと
の楽しい時間が持てれば、そんな日が来ることを神に願いつつ過ごしたいと
思います(ご迷惑ならゴメンなさいね)」これってもしかしたら!?

 私の年齢も環境もある程度知っている方だが…ちょっと嬉しかった!
私は女性に生まれて本当によかった!この年齢にして、最高に幸せだと感じ
ちょっと自慢したくなっちゃった!朝からゴメンナサイ。
 ※子供達から送られたお花

10日午後6時過ぎ

2014年05月11日 | えっせー
 スタジオへ袖看板のスイッチを入れるために行き、ふと空を見上げたら、まだ
明るい空に白い半月が浮かんでいた。この頃は日が長くなり、7時になってもまだ
明るいくらいだ。午後に私はつぼみがなくなったが、まだ少しさいている
シクラメンを抜いた。毎回感じることだが、まだ命があるのを抜くのは可哀
そうで仕方がない。でも、やはりそれは仕方がないと、「ごめんね、長い間きれい
に咲いてくれて有難う」と言った。そう言えば先日友人と昭和記念公園の帰りに
立川高島屋の寄り、お花売り場であまり可愛いので衝動買いした、小さなピンク
のバラの鉢植えが、こんなに沢山お花が咲いたので、嬉しくなり携帯で撮った。
 お花が大好きな私は、また今日も友人と、「あしかがフラワーパークと、青い
花の絨毯ネモフィラ」を見に行くが、初めて見るネモフィラというお花がとても
楽しみ。今日もとても良いお天気、でも、焼けないように気をつけなくては。
※愛らしいちいさな鉢植えのバラ
 

「世界心理治療学会」で発表した小池能里子からのアドバイス

2014年05月10日 | 世界心理治療学会アドバイス
 ☆ 自己成長するために
 突然ラッキーなことが舞い込んでくる、などはそうそうあるものではありま
せんが、幸せになるためには、それなりの努力が必要です。
 そのためには心の知能指数を高めることが大切。
「心の知能指数」とは、賢く生きるための前向きな考え方や、人間関係を良く
するための方法です。アメリカのダニエル、ゴールドマン著(1998年:講談社)
の説によれば、IQが高くても必ずしも成功したり、幸せになるのではなく
「心の知能指数」を高めることが重要だと説いています。
 たとえば頭脳明晰で、一流大学から一流企業に就職し、将来を期待されていた
エリートが、主流から外され、泣かず飛ばずで定年退職を迎えたなどが、その
良い実例かも知れません。
 ※心の知能指数とは
 1 自分自身を良く理解すること。
  (性格、考え方、行動パターンなど)
 2 自分の感情をコントロールできること。
   (怒り、不満、攻撃心、敵対心、嫉妬心など他人に向けられるもの。
   悲しみ、悩み、内罰心、自己嫌悪、劣等感など自分に向けられるもの)
 3 他人と共感したり、協調したりできること。
   (相手に迎合することではなく、自分の主体性を持ちながら、上手に付き
   合える素直さが必要)
 4 前向きに考えること。
   (プラス思考とマイナス思考との差は、その人の人生が変わるほどインパ
   クトが強い)
 5 粘り強さ。
   (ある程度の努力や、辛抱はどんな物事にも欠かせない。すぐに挫折したり
   途中で投げ出しては、すべてが実現したり、達成はできない)
 6 感謝できること。(これは私自身の考えです)
   (根本は自己肯定からで、自分に感謝できなければ、他人に感謝することは
   できない)
一言で言えば、「賢く生きるためのコツ」と言っても良いでしょう。
 これは頭脳明晰でなくとも、努力次第で培われる要素ですが、すべての根本は
人間関係ですので、「自分はあまりついていないな」とか、「何故か人間関係が
イマイチスムーズでない」などと感じていたら、ぜひお試しくださいね。
 するといつの間にか、心が穏やかになり、きっとご自分で満足できる人生が
歩めることでしょう。私のカウンセリングルームの指導法「能里メソッド」の
重要な基本で、これで向上できた人は数知れませんので、ぜひお勧めいたします。


いつもと全く違う自分

2014年05月09日 | えっせー
 私は昨日クラスメート達と、河口湖の芝桜を見るバスツアーに行ったが、お天気も
よく、中央高速道路の溢れるような美しい若葉や、山々を見て、とても嬉しかった。
 また、忍野八海で湧水の透明な池を見たり、美しい富士山をまじかに見て、また
鮮やかなお花を沢山見たり、クラスメート達とのおしゃべりも楽しく、とても
幸せな気分だった。
 思いのほか早く新宿へ着いたので、一度家に帰り夫の顔を見てから、着替えてすぐ
に下北沢の勉強会へ行った。そこでは私達夫婦が写真入りで掲載されている
「ゆうゆう」を、買って持ってきた人がいて、それを全員に回覧したので、私の
年齢がばれた。そのため、年齢について「騙された」とか、お料理が上手など
いろいろプラスのストロークを沢山受けて、ご機嫌だったし、久しぶりにアルコール
を飲んで、とてもよく眠ったようだ。

 今朝は目覚ましが鳴ったのにも気がつかずに、目が覚めたのが6時半、いつも
起きてすぐにブログを書くが、とてもその気にならずすぐに入浴した。
 何故か心の中がざわついていて、落ちつかない「これってなぜかしら?昨日は
あんなに楽しかったのに」、無論朝のレッスンもしたくなかった。
 ダラダラしているなんておよそ私らしくないので、昨日のお世話役の友人に
お礼メールと思ったら、彼からすでにメールがきていた。
「疲れなかったですか?ご満足いただけましたか?」と書いてあり、私が参加
しなかったが、その後の夕食で盛り上がったそうだ。それには自宅で咲いたラン
が添付されていて、実にきめ細かい人だ。
 メールを書きながら(私はもしかしたら疲れているのかしら?)と思った。
考えれば高齢の私だから疲れるのは当然かも知れない、海外へ行っても疲れた
経験がないので、バスツアーで疲れるなんて(でも一度家に帰りすぐにまた
出かけたのだ)信じられないが、これは確かに黄色の点滅信号かも知れない。
 体力があまりある方ではないが、出好きなので外出で疲れたことは、ほとんど
経験がなかったのに。すると「自分の年齢を考えなさい」と、神様の声が聞こえた
ような気がした。だから、今日は一日おとなしくしていまーす。
※ 忍野八海の景色

※河口湖の芝桜 まだ六分咲き


コンサバティブな娘と、ユニークな母と

2014年05月07日 | えっせー
 我が家には娘と三歳年下の息子がいる。幼形成熟の私があまりにも頼りなげで
子供達は幼い私を、どうも内心バカにしているらしいが、そのためか、自分と
比べると二人ともかなりシッカリしている。
 高校も大学も自分で選んで、(私がもっとも忙しい時代で、自分の好きな学校を
選びなさい、ママは一切反対しないからと言った)ストレートに卒業し社会に
巣立っていった。娘は幼い頃からバレーを習っていたので、学生時代に私の
ダンス・スタジオで、ディスコダンスを教えるアルバイトをしていた。
 すると、英米文学科を卒業したのに、私のダンス・スタジオで働きたいと言った。
実は親子で一緒の仕事はなかなか難しいので、内心は嫌だったが、スタジオに
いるときには、家での顔とは全然違って「能里子先生」と私を呼び、とても親子
とは思えないほど丁重な態度だった。そのためスタッフの一人として採用し
その後結婚し子供を産んで、約10年以上私をサポートしてくれた。


 
私達夫婦の教育方針は一致していて、勉強しなさいとはあまり言わなかったが
幼児期や小学校時代は、社会的に必要だと思われるルールについては、かなり
厳しくしつけた。でも成長するにつれて、ほとんど自主性に任せたので、子供達
は親に干渉されない分のびのびしていたし、両親にも比較的思ったことをはっき
り言える間柄だった。今でも忘れられられないのは、娘が大学生の頃何故かプン
プンしていたので、その理由を聞いたら「ヨーガ教室を二か所も開いて、また
ダンス・スタジオを開くなんて、ママはいくらんでもやり過ぎだと思う」と言った。
「でも、それはパパも賛成してくれたから」と言うと、不承不承納得したようだ。
 そんな娘だったが、ダンスを教えることの楽しさを発見したようで、結局
スタジオで、ジャズダンスや、ディスコダンスを指導するようになった。
 やがて私がソシアルルダンスの基礎を指導し、教師試験を受けて資格も取得した。
自分の子供もある程度大きくなり、また時代の流れもあって、今では自然化粧品の
会社を経営している。
 私はハキハキしているし、積極的で行動的なので、(実はあまり考えずカンで動く
場合が多い)一見シッカリ者だと思われるが、実はそうではなく、病的に憶病で
依存心や依頼心が比較的強く、さらにおっちょこちょいの上、大変ヌケている。
 でも、その見かけと違うギャップが、計算したわけではないが、気づかずに
有利に作用していたことは否めないが。
 

 娘はときどき「ママは私の妹みたい」と言ったが、成人してからは何かにつけて
脱常識的な母は娘によくたしなめられていた。
 私に比べると娘は慎重で保守的でシッカリ者で、確実にコツコツやるタイプだ。
現在は会社を経営することより、相手が女性ばかりなのでその扱いが大変らしく
ときどき私に相談に来ることがある。
 その時はケースバイケースでいろいろアドバイスをするが、でも我が娘ながら
よくやっていると感心して見ているが。母娘と言うより、今は友人のような関係だ
が、時々二人でワインを飲みながらおしゃべりするのもとても楽しい。
 今娘は50代でもっとも仕事ができる年代だと思っているが…
強そうで弱い母と、シッカリ者の娘とは、過去のいろいろな不思議な実体験から
も、きっと前世からの縁で繋がっているのだと思っている。
※ 大学卒業式の日に、娘の帽子とガウンを借りて。
 ※ ダンススタジオ新築移転記念パーティに。
 
 ※ 結婚するとき家族のお別れ旅行で。
   

初めての発見・肌寒かった歩行会

2014年05月07日 | えっせー
 今日は私達の班が世話役で、東横線妙蓮寺駅で集合し、以前下見した馬場
花木園まで歩いた。出席者は21名、みんな寒いと言って、それなりの支度を
してきたのに、私は相変わらず薄着だった。
 でもスカーフを持ってきたし、友人が手袋を貸してくれたので大分助かった。
天気予報ではだんだんお天気が良くなり、気温も上がるということだったが
全く日が出ず一日同じようなお天気で、雨が降らないだけましだった。
 馬場花木園ではさまざまの色の緑の若葉がきれいだったが、竹藪に入ったら
タケノコが竹になっていく様子が見られた。私は生まれて初めて見たので
ちょっと感動して携帯で撮った。子供の頃に見た絵本のかぐや姫は、タケノコの
中から生まれたので、私は40歳ぐらいまでタケノコは掘るものとは知らなくて
タケノコは切るものだとばかり思っていたので、本当にびっくりした。
 その時友人に聞いた話では、地上に出たタケノコは、一晩に何と1メーターも
伸びるのそうだで、すごい生命力にも大変驚いた。

※ タケノコが竹になっていく様子
  

※馬場花木公園野花景色

 
帰りに寄った建功寺では、本堂を建て直すために、樹齢600年と言われる
楠木を移動していたが、そんな大木を移動するのは大変な工事のようだ。
 根元を太いテープのようなもので保護して、いろいろな機械を使い、10人近い
人がそのために作業をしていたが、それを興味深々でしばらく眺めた。
 でも、私は思う。いくら年齢を重ねても、知らないことや、初めての経験が
沢山ある。今日は二度もそんな体験をしたが、私は今、50歳代以上の女性に向け
ての本を書いているが、初めてのことに出合うと、それらにいちいち驚いたり
感動したりすることが、「心ノ若さをいつまでもキープできる」ことだ。
 そんなこともぜひ書きたいと思った。
今日は13000歩以上歩いたが、気温が低かったためか、まったく疲れず
本当に楽しい日だった。今日も幸せで感謝!

 ※ 樹齢600年楠の移動工事

※ 建功寺本殿とすごく大きな石灯籠

光陰矢のごとし

2014年05月06日 | えっせー
 ☆ お互いに年齢を再確認して
 6日は実家の父の命日だが、その日は歩行会のために今日行った。
実家のお寺は梅ヶ丘からバスで渋谷に行き、また都営バスの乗り換え田町行
きで「白金高輪駅前」で降りる。お寺は「大久保彦左衛門」の菩提寺でも
ある立行寺だ。父が亡くなってからすでに50年以上経つが、その頃私は
出産予定日が11日だったため、亡くなった直後に娘を連れて、タクシーで
父に会いに行き、お通夜にも告別式にも出席できなかった。
 仏用のお花を持ってタクシーに乗ったら、運転手さんが「三河島の事故です
か?」と聞かれたが、その何日か前に、あの頃はまだ国電だった三河島で、何人
も亡くなった大事故があった。その後すぐ生まれた息子は、早や50代になった。、
 私達夫婦は今でも時々昔話になると「子育ては楽しかったね」と話すが、年月の
流れは何と早いことだろう。

 お寺のもっとも高台で、代々住職の隣にある実家のお墓は、一昔前には東京タ
ワーが目の前で、空がとても広かったが、今はかろうじて六本木ヒルズが見える
程度で、視界が本当に狭くなってしまった。
 偶然だが昨年亡くなった親友の菩提寺も、実家と同じなので、いつも必ずお参り
するが、今日は彼女好みのピンクのお花を沢山供えた。
 亡くなった継母が年を取ってから、かなり勾配がきつい石の階段を「この階段が
とてもきつくて」とよく言っていたが、「我々もだんだんこの階段きつくなって
きたね。と言うことは私達もだんだんあの世が近づいてきんただね」と夫と
笑ったが、それは紛れもない事実だ。
 50年間は長いようで、とても短いと感じた父の命日だった。
 ※ 立行寺の山門と史跡「大久保彦左衛門」
  

子供の日午前5時18分地震発生!

2014年05月05日 | 気分をスッキリさせる方法
 私はいつものようにベッドでレッスンをしていたが、すごい揺れなので
ベッドから飛び起きた。夫はすでに朝のウオーキングの準備をしていて
テレビを見ていたが、短い時間だったがかなり強かった。
 テレビでは東京は震度5度弱だそうで、震源は伊豆大島沖だそうだが
天災はいつ起きるかもしれないが、本当に恐ろしかった。
 まだ被害はないそうだが、こんなとき何事も起きないふつうの毎日をこと
さら有難く感じた。朝から肝を冷やした子供の日だったが、今日を楽しみに
している子供たちも沢山いるだろうが、今朝は曇っているようだ。

手のひらのやさしさ

2014年05月04日 | えっせー
 いつものように早朝のウオーキングで羽根木公園から帰ってきた夫の掌に
きれいなピンク色のものがのっていた。
 近眼の私は思わず目を凝らしたら、彼が目の前にそーっと置いたのは、きれいな
大輪のさつきの花が4輪だった。不審な顔をする私に「取ってきたんじゃないよ
落ちていたのを拾ってきたんだ」と言った。
 やさしい人だが、男っぽい夫がそんなことをするなんて、一瞬信じられなかった。
でも、後で考えたら、それはお花が大好きな「私へのプレゼント」だと分かった。
 一輪は形が崩れていたが、3輪はきれいだったので、掌にそっと乗せて持って来て
くれたのだろう。腰が痛いのに・・・・、身をかがめて、きれいそうなさつき
を拾っている。そんな彼の姿がイメージできて、私は胸がイッパイになった。
 日頃の自分への接し方は、決して鈍感ではない夫はよく理解しているので
これはきっと私への感謝の気持ちなのだろう。
 私は心の中でそっと「有難う」と言って、きれいなガラスの器に入れて
テーブルに飾った。
 ※ きれいなさつき 
  

同じ境遇の友人と昭和記念公園へ行って

2014年05月03日 | えっせー
 ☆薫風に心いやされて
 前日の夜友人と急に昭和記念公園へ行くことが決まったら、「そうだお弁当を
つくろう」と思った。すると途端に元気になり、何を作ろうかと考えた。
 日野に住む友人と立川で待ち合わせて行ったが、想像したように緑がとても美し
く、溢れるようだった。いろいろなお花も沢山咲いていて、お天気もよく連休の
合間のためかあまり人も多くなく、公園内を走っているトレーンに乗って、日本庭園
で降りてから歩いた。日本庭園ではいつも素通りしていた東屋に行ったり、滝を
見たり、池の中にかかっている橋を歩いたりした。

 
 私達は長い友人関係なので、国内旅行は無論だが、海外も何度も行って、お互いの
家庭の事情も熟知している。二人とも夫の介護をしているが、ガンを患っている
ご主人は、我が家の夫と違ってかなりタイラントな人だ。
 二人で南フランスへ行ったとき、私は新宿のリムジンバスの乗り場まで、夫にバッグ
を持って送ってもらったが、ご主人はバス乗り場まで一緒にきたが、友人は大きな
バッグを持ち、さらにリュックを背負っていたのに、ご主人は手ブラだったので
本当に驚いたが、今でも当時と変わらないらしい。
 三度の食事は無論のこと、今は下の世話までしているので、本当に大変だと思う。
その上苦労症の彼女は、結婚してから働きながらお姑さんに仕え、見送ったら今度は
孫達3人の世話まで10年以上引き受けている人だ。
 私は「自分で苦労を引き受けているからあなたはバカよ」と、ときどき言うが
その点自己主張が強い私は、自分が一番で今まで生きてきたから、友人と比べた
ら随分得だと思うが、友人はそれができないようだ。
 


 私が持って行ったお弁当を見て、彼女は歓声を上げ「これみんなあなたが作った
の、大変だったでしょう」と。なぜなら、日頃の餌づけが良いから、夫は長年
私の言いなりなのだから。彼女は「もう料理なんてめんどくさいから、ときどき
お弁当やお総菜を買うの」と言ったが、私は絶対そんなことはしない、などなど…
 二人で絶対他人には言えないことを愚痴りあったり、さんざんおしゃべりをして
笑って楽しかった。お互いに家に帰れば甘くない現実が待っているが、これもまた
人生かも知れない。でも先日電車の車窓から見た新緑より、直接肌で感じた溢れる
ような樹木やお花達は、きっと私の心身にも沢山のエネルギーをチャージしてくれ
癒されたのだと思った。
 ※ いろいろな植物達と景色

 ※中を走っているトレーン
 

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