ビビッド能里子トーク・サロン

心身両面の指導者として感じたこと

大昔のダンス教師時代

2014年04月20日 | えっせー
 ☆ 今思うと恥ずかしいほど傲慢だったかも… 
 私が一生でもっとも華やかだった時代は、ダンス・スタジオをオープンする前後
15年間位かも知れない。ソシアルダンス教師になってからすぐに、ダンスを
教えるのは遣り甲斐があったし、大好きだったけれど、一生の仕事ではないと
感じた。そしてヨーガと巡り合い、その精神性に強く魅かれ、「これは一生の
仕事にしたい」と思い、毎日本当に一所懸命にやったので、体はどんどん柔らか
くなり、それがまたとても嬉しくて仕方なかった。
 それから約2年後習っていたヨーガ教室のインストラクターになり、その3年後
に梅が丘北口駅前のマンションの3階で「梅ヶ丘ヨーガ教室・パーソナティ」
をオープンした。私が予感したように、物凄いヨーガブームになったので、その
半年後に四谷見附で、またヨーガ教室を開いたが、生徒さんが多くて嬉しい
悲鳴を上げたのも懐かしい思い出だ。
その頃は催眠療法もマスターし、すでに指導者になっていた。
 
 


 それから一年半後位に梅ヶ丘南口駅前で「能里ダンススタジオ」を開いた。
ディスコダンス、次はジャズダンスの大ブーム、順風満帆の毎日だったので
今思うと、まだ若かった私は、かなり傲慢だったかも知れない。
 スタッフ26人を抱え、いつも走り回っていて、体力がない私は時々ダウン
したが、本当に良くがんばったが、それも楽しくて仕方がなかった。
 ある読者に大分以前から、私のダンスを踊っている写真を見たいとメール
をいただき、少々面映ゆいが、能里ダンス・スタジオのオープンのデモンスト
レーションと二度目のダンス・スタジオのオープンパーティの写真をご紹介する
ことにしたので、ご笑覧いただきたい。
 ※ 能里ダンススタジオ、オープンパーティ、嬉しそうな夫の笑顔が印象的。

 それから一年半後に我が家のビルに移転したが、その時には私が師事していた
その世界では有名な先生方をお招きしてパーティを開いた。
二回とも沢山のお花をいただき本当に華やかだったのも懐かしい思い出だ。
 ※催眠心理学医学博士 森定一先生

 ※ヨーロッパ手相術 浅野八郎先生

 ※ホームヨーガ 田原奉道先生(私の右隣り)
 

「性同一障害」の実態を知った新聞連載

2014年04月19日 | 気分をスッキリさせる方法
☆ おぼろげながら理解していたけれど
 今読売新聞「医療ルネッサンス」で「性同一障害」を連載している。
性同一障害とは、男性の体に女性の心、女性の体に男性の心存在するタイプの
方々だ。おぼろげながら知ってはいたが、その実態は想像を絶するほど深刻で
そんな方々は随分ご苦労なさっているのだと、本当にお気の毒になった。
 最近でこそ理解されつつあるが、他人には変な目で見られた上、肉体と精神
とのギャップに苦しみ、戸籍の性別を変更するプロセスは大変なものだが、その
条件として性別適合手術が必要になるが、それは大変過酷なもので
   1 精巣や卵巣を摘出する。
   2 性器を望みの形に近づける。が定められているそうだ。
 その手術には保険は適用されず、国内で実施しているのはごく限られた病院だけ
らしい。国内で手術を受けるためには、年単位で待たなければならないので、海外
で受ける人も多いようだ。でも、下半身の手術だけでも150万円もかかるので
諦める人も多いのだとか。まだ連載は続くようだが、これからどんなケースが掲載
されるのだろう?


 海外で性器の手術をして失敗し、それを日本で再手術をしたケースも紹介されて
いた。また乳房を切除など、健康な体の一部を取り去る性転換のために手術の方法が
かなりリアルに報道されていたが、時間も費用もかかる上に、精神的な不安も大変
多いのだろうと、読んでいて胸が痛くなり、たまらない気分になった。
 また、その手術を決意するまでの葛藤や、勇気や、決断力はなんと凄いエネル
ギーなのだろうと、臆病な私は心から尊敬できた。
 でも自分が望む性で生きるためや、社会的に認められて生きていくためには
その手術が絶対に必要なようだ。


 しかし物心ついてから、普通の人とは違う、自分の体と心とのギャップにどんな
にか悩まれたことだろう、どうすることもできないその苦しさは、ご当人にしか
分からないが、長年のご苦労は計り知れないと思ったら、しばらく涙が止まらな
かった。もしも私が性同一障害としたら、と想像しただけで、その苦しみに耐えて
いけただろうかと考えてしまった。それまで私なりに感じていた多少の偏見は
すっかり払拭され、そんな方々の人知れないご苦労を理解できたような気がした。
 それにしても…同じ人間として、健康でふつうに生まれ、女性としての幸せを
子供の頃から十分享受している私は、何と幸せなのだろうと、改めて有難く感じた。
 でも、昨日は一日中そんな方々のことばかりが頭に浮かんで、思い出しては涙ぐ
んでしまった涙腺の弱い私だった。



能里子風メチャ料理

2014年04月18日 | 料理
 ☆ こんにゃくのカレー煮
 こんにゃくはローカロリーで、昔から「お腹の中を掃除する」と言われるほど
繊維も多いので、私は時々食べています。
 焼いたり、煮たりして食べるもも飽きたので、カレー粉をまぶして煮てみたら
私はとても美味しいと思いました。
 只お総菜と言うより箸やすめや、お酒のおつまみのようですが、お弁当にも
良いと思いました。簡単ですので試して下さい。
 作り方
 こんにゃくを一口切り(コップやせともので切ると味が沁みます)にし、油で
いためかれー粉をまぶします。麺つゆとみりんを入れて味が染みるまで煮ますが
焦がさないように気をつけましょう。
こんにゃくはお腹にたまりますので、お腹がすいている時食べても、空腹感を
抑えます。ダイエットにも役立つかもしれませんよ。
 私は二枚作って、箸やすめに食べています。


高齢者がますます増える現代に思う

2014年04月17日 | えっせー
 ニュースによると65歳以上の高齢者が25%になったそうだが、出産率が
下がり国民は3年間減少の傾向しているようだ。
 これからどこに行っても老人だらけになるのだと思うと、何だかあまり嬉しく
はない。「そんなこととんでもない」と、お叱りを受けるかもしれないが、私は
数年前から「後期高齢者になったら、自分で選択して死ぬ自由を許可する法律
はできないだろうか」などと、時折考えている。
 私自身はまだ細々だが、心身両面の指導者で、今41冊目の本も書いていて
多少は世の中のお役に立っていると思うが、今の気持ちでは自分の思い通りに
生きられなくなったら、即この世におさらばしたい。
 一番気になるのが脚だが、それ以外はパーフェクトに近く健康なため、一体
いつまで生きるのだろうと、時々考えてしまう。
 この年齢になると、たとえどんな病気になっても恐ろしくはない。


 でも、認知症の夫を置いて、一人先に逝く訳にはいかないから、実際は不可能
だと思う。でもホンネでは、たとえどんな病気になっても、痛みだけは取り
除いて欲しいが、治療はしないつもりで、そのための遺書まで書いてある。
 そんな我儘は許されないだろうか?大変不遜に思われるかもしれないが、私は
もう十分生きたし、やり残したこともないし、いつ命が絶たれても,この世に
未練はまったくないし、後悔はしないつもりだ。
 昨日も韓国でも船が沈没して、お気の毒なことにまだ行方不明の大勢の人が
いるようだが…もっと生きていたいのに、病気や事故などで亡くなる若い人達
に申し訳ない気もするが…決してペシミストでもないし、死にたいわけでもないが
こんな老人も世の中にいることを知って頂きたいと思って書いた。

十条から王子あたりの散策

2014年04月16日 | えっせー
 昨日はお天気にも恵まれ恒例の歩行会で、東十条から王子あたりを歩いた。
参加者は23人、アーケードのある立派な商店街で、みんながお弁当やお惣菜
など買ったが、いろいろなお店が並んでいて面白そうだ。
 私は思わず夫に今頃着るのに丁度良いジャンパーを買ってしまったが、女性群は
みんな興味深々だったようだが、後で聞いたら東京で3番目の商店街だそうだ。
 その後自衛隊の傍にある公園でお弁当を食べたが、立派なレンガ倉庫だった
ところがレストランになっていて、「此処で食べたかったね」と友人達と話した。

 王子にある「名主の滝」は、小さな山のようで滝がいくつかあり、いろいろな
樹木も沢山あり、橋もいくつかあって、しっとりしたムードで、なかなか良い
ところだった。実は私の母校は王子にあり、中学も高校も通っていて「名主の滝」
は知っていたが、初めて行ったので大変嬉しかった。
 また落語で有名な「王子の狐」を祭ってある王子稲荷にも行き、狐の穴を見たのも
面白かった。駅に近い音なし橋の下は、きれいに整備されていたが、水は流れていな
かった。
 歩行会は世田谷生涯大学に入学と同時に入会し、今年10年目になる。
高齢化とともに会員は減ってきたけれど、それぞれの班がいろいろ考え企画し
一人では絶対に行かないようなところを案内してくれるので、本当に楽しい会だ。
 ※ 名主の滝の中

 ※王子稲荷

 男の色気、女の色気

2014年04月15日 | えっせー
 色気とは、いわゆる「セックスアピール」だろう。
普通は異性に心を惹かれるのは当然だし、それが動物としての、自然の本来の
姿だと思う。私の男性の友人達は、それぞれがやはり異性としての魅力がある
と思っている。でも最近は「性同一障害」など、女性の肉体に男性の心があり
またその逆の場合もあるようで、医学的にも認められている事実だ。
 最近はそれが公民権を得て、同姓同士のカップルも増えているようだ。
私は昔アメリカのムードがある街「サンフランシスコ」に行った時に、同姓同士
の家庭には、その目印の旗が出ていたので大変驚いた。
 

最近では「異性も同姓も愛せない人が増えている」そうだが、動物には巣づくり
本能があるようで、昔はある一定の年齢になると、結婚し家庭を築くのが常識だった。
でも世の中は変わって、現代は時代や環境の影響か、男性も女性も結婚しない
若者が増えていて、友人達には3・40代の結婚しない息子や娘が随分多く、これ
からの人口の激変が懸念される。それにしても、私はごく普通の女で良かったと
感じているが、私が魅かれるのは、自分の父親に似た雰囲気があるタイプだが
つれあいは全く違うタイプだ。話は横道にそれたが、セックスアピールは無論
あった方が良いが、あまり過剰なのはどうもと、昨日あることで辟易させられ
たので、思わずこんなことを書いてしまった。

明治神宮から書店へ

2014年04月14日 | えっせー
☆ 晴れた日の午後
 昼食後パソコンに向かって原稿を書いていたが、遅々として進まない。
これはダメだ、気分転換のため外出しよう、「そうだ明治神宮へ行ってから、新宿
の書店へ情報収集に行こう」と思って家を飛び出した。
 明治神宮は私の大好きな散歩ルートで、広く深い森もある静謐な神域で、昔
からときどき一人で行く神社だ。小田急線の参宮橋駅からら歩く道は静かで
目に沁みるような新緑がとても美しく、思わず立ち止り眺め携帯で撮った。
 本殿は日曜日のためか、随分人が沢山いて、お札やおみくじの売店には、外国人
混じり人が沢山いた。私はお願い事があるときは必ず行ったが
「世界心理治療学会でプレゼン」した時も、成功するようにと祈願に行ったが
そう言えば、目標があるときにはお願いに行くお陰か、ほとんど実現している。

 
 そこは大変霊験あらたかと言われるスポットで、祈願文を書く場所があり、封筒
や祈願文を書く用紙、筆記用具も揃えてある。
 それにはお願い事、住所、氏名、性別、年齢などを記入するが、私は拝殿で
手を合わせてから、その場所で真摯な気持ちで自分のお願い事を記入し、いく
ばくかの祈祷料を同封して祈願文収め所に入れた。
 /帰り道は原宿に抜けたが、参宮橋から来た静かな道と違って、大勢の人がいて
賑やかだった。いつも必ず寄る正門横の喫茶店は空いていて、アイスコーヒーを
飲んで一息入れて原宿の駅に向かったが、そこは相変わらず大勢の人で溢れていた。
 新宿の書店でいろいろな本を見たが、そこはひっそりしていたので、ゆっくり
本を選ぶことができた。
※明治神宮

 ※新緑や古木

 時代の流れの変化もあり、価値観や考え方が変わるので一冊の本を書くためには、
さまざまな情報が必要で、必ず最新の何冊かの本を読まなければならない。
 でもそれは私にとって、大変楽しい作業なので時間の経過が分からなかった。
足が疲れたので気がついたが、およそ2時間以上書店の中を歩いていたが、それな
りの収穫はあった。今回の本は、肉体的なハウツウでなく、心理カウンセラーと
しての精神的な要素を重点的にとの要望なので、かなり遣り甲斐があると思う。
 目標があると毎日がイキイキして、アンテナがより鋭くなるが、大好きな
もっともやりたい仕事なので、これから楽しくがんばれそうだ。
 ※ 必ず立ち寄る正門わきの喫茶店

気にしない、気にしない!

2014年04月13日 | えっせー
 やっぱり春は桜でしょ!と思っているせいか、ブログを何日間か読み返して
みたら、最近は桜の話題が多いと気が付き、少々あきれてしまった。
 私は今月に入って、あることを目標にしているが、長年自分でそうしたいと
思ったことはほとんど実現できたラッキーな私だが、そればかりは他人に関わる
ことなので、自分の一存ではどうにもならない。
 今日から新しい本の執筆に入ったが、今のハイテンションな状態がいつまで
キープできるか分からないが…
とここまで書いた時、また無言電話が入った。
  時間は8時過ぎ、何か意図があってかも知れないが、私は誰にも恨まれたり
憎まれたりするような言動はしない主義なので、何故そんな嫌がらせの無言電話
をかけてくるのか分からない。
 

著書はおよそ80万部以上出ていて、ブログも8年間以上毎日書いているが
自分のいやらしい面が露呈することは、時たま感じ後悔することもある。
 でも、そのための中傷や批判全然なく、時には嬉しいことに感謝のメールを
いただくいことさえある。多分昨年の夏頃からだと思うが、回数は減ったが
何が原因でこうひつこく無言電話をかけてくるのだろう?
 気にしないようにしていても、不愉快で、薄気味悪いが、それが相手の狙い
かもしれない。時折周りの音や、息遣いも聞こえることもある。
 一体何故?私にはどうしても理解できないが、無視するしか術はない。

※ ウイルス感染のためすべて伐採される吉野梅郷の絵葉書

※ メールで送っていただいた桜
 

因果応報のたとえを感じた日

2014年04月12日 | えっせー
 因果とは原因と結果のことだが、応報とは仏教で説く「前世で悪いことをし
たので、それが必然的に、現在の不幸につながる」ということのようだ。
 私の考えでは別に前世には関係なく、他人を不幸にする行為をすると、いつか
その報いは、必ず自分に還ってくることだと理解している。
 私はそのため、できるだけ誰にでも優しく接したたいと心掛けているが、でも
本来我儘で自己主張が強い性格なので、気がつかずに他人に迷惑をかけていること
もあるかも知れない。私は宗教家ではないし、特定の信仰も持ってはいないが、でも
「情けは人のためならず」という言葉もあるように、自分なりにできる範囲での
良い行動はしているつもりだ。いろいろな経験から、見えないけれど、さまざまな
力が働いていることを実感している。

 
 どんな人でも、自分の中に神仏も、悪魔も存在していると思っているが
その心をどのように使うかによって、人生は大きく変化するのだろう。
 長年そう考えて生きているお陰か、私は比較的幸運だと感謝しているが、物欲も
社会的な名誉や地位などにもあまり関心はないので、自分だけが決して幸せに
なろうとは思わず、みんなが一緒に幸せになりたいと感じる方だ。
「みつごの魂い百まで」とも言われるが、自分ではどうすることができない生育時
の環境が、私の人格形成に大きく作用していることは確かだ。
 今日も我が家であることが起きて、一時は蒼くなった。でも、「大丈夫私は運が
良いから」と信じたら、やはりそれも無事解決した。
 夫の記憶力がどんどんなくなり、これからは度々そんなことが起きるだろう
と覚悟もできたし、まあまあ平凡だけれど無事に過ぎた一日だった。

初夏のようだった昨日

2014年04月11日 | えっせー
 昨日はクラスメート達10人で、世田谷区の烏山にある寺町を歩いた。
お天気も良く、桜はほとんど終わっていたが、まだきれいに咲いている木もあり
また若い新緑がとてもきれいだった。
 それぞれのお寺も風情があったが、私は何故かとても疲れた。
また帰りに同じ道を戻ると聞いていたので、途中のお寺で待っていようかと思った
ほどだ。すると優しい友人が私の様子に気付いてくれ、私のバッグを持ってくれたら
急に元気になった。力がない私は荷物を持つのに大変弱いが、暑かったから余計に
こたえたのかもしれない。何故かお腹もとても空いていたのも、疲労度を増した
ようだ。仲良しの友人から飴を一つもらってなめたら、また元気になったが、全然
こらえ性がない自分に少々呆れた。健康だけれどあまり体力がない方で、疲れる
と我慢できないから、気がついてコントロールするので、きっと病気にならないの
だろう。お寺のお庭や、山門、美しいお花や樹木がたくさんあったのに、とても
携帯で撮る気になれなかった昨日の散歩だった。


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