ビビッド能里子トーク・サロン

心身両面の指導者として感じたこと

 何とも体調が良くない日

2010年05月21日 | Weblog
☆ お天気のせいかしら?
 今日は朝から降っていた。夢ばかり見てあまり熟睡できず、それが影響している
のかもしれないが、朝から何となくけだるく、何もする気になれなかった。
これではいけないと雨の中外を歩いてみたら、いつも急ぎ足で歩く、広い通り
の花ミズキは随分大きくなった、しみじみ眺めたが、雨で濡れてとてもみずみず
しくとてもきれいだった。
 午後はどうしても下北沢の眼科へ行かなければならず、予定ではその帰りに
ジムへ行くつもりだったが、とてもそんな気になれず、まっすぐに家に帰った。
 明日のブログは何を書こうかしらと考えながら、その前にメールを開いたら
先日講演した催眠の学会の先生から、お礼メールが入っていた。
 その中の一つが「まるで天使のような清らかな声」だったので、スッカリ気分が
良くなった。だって、この年齢でそう言われる人は滅多にないでしょ!

 そう言えば大昔は、ちょっと面映ゆいけど「まるで天使のような、女神のような声」
とよく言われた。何故なら、心身ともリラックスした状態で聞く声は、多分ふだんの
何倍も美しく聞こえるからかもしれない。
 現代ではお金さえかければ、容姿は変身できるが、今の進んだ医学でも、声の質は
変えられないようだが、そんな意味では声だけはかなり恵まれているらしい。
 今日はヴォイトレもしていない、と気が付き急いで、スタジオに降り、いつものように
体を動かしながら、ヴォイス、トレーニングをした。
 去年の暮れ声の低さに気が付き、専門家に何度かレッスンを受けたのが、その効き目は
顕著で、カンニングブレスをすれば、30年前近く前に録音したヴォイトレのテープと
あまり変わらない声が出るし、ロングトーンもまあまあ健在だ。
 気が付いたら、いつもスタジオで行う自分のためのレッスンを、すべてこなしていて
体のけだるさも、雲散霧消していた。
 ホントお世辞に弱く、単純で気分屋のわたしだ。

セピア色の思い出

2010年05月20日 | Weblog
☆ 一枚の写真から
古い資料を整理していたが、その間からハラリと一枚の写真が出てきた。
それはあるセミナーの講師をしていた40代で、まるで信じられないように
ひたすら向上しつつあった頃だ。あまりにも上り坂だったのは、単なる幸運だった
のだろうか。我が儘なわたしだから、その時代はきっとかなり傲慢だったのだろう。
 まるで雲の上のような存在の、大学教授、医学博士、作家などと、いろいろな
先生方に次々巡り合い、無論一所懸命勉強はしたが、お陰様で随分向上できた。
 先日学会で知り合った女性は、その先生に指導を受けたいと希望したが、なかなか
叶わず大変な思いをしたようだ。
 もう大分以前に亡くなられた先生だが、何故かとても気に入って下さって、それ
からはいつも特別扱いを受けていたので、周囲の方達に大変心苦しかった。
 その先生がわたしを撮って下さったものだったが、しばらくしてから、立派な額に
入れてプレゼントして下さって、まるで遺影のようだと可笑しくなった。
 その写真をじっと見ていたら、しかし我ながら随分変わったなと思った途端
セピア色の過去が突然鮮烈になり、現在に自分と比較してしまったのは、もしか
したら、過去を引きずっているのだろうか。

 

ペットもわたしも歯を健康に

2010年05月19日 | 健康
   ☆ ペットと一緒に毎日お手入れ
 わたしは生まれつき歯はとても良い方で、未だかって歯の痛みを知らない。
小学生の時の検診では、必ず歯医者さんが「きれいな歯だね」と褒められたし
それだけが唯一自慢だった。19歳のとき「歯のコンクール」出ることを友人に
勧められ、その気になったが、よく聞いたら「歯」だけではなく、顔の美しさ
も加わると知って止めたことがあった。
 そのため、結婚するまで虫歯は一本もなかったが、それから親知らずが生えて
きて、いつの間にか下の歯が押されたためか、前歯が少しだけギザギザして
きたので、以前ほど歯並びはきれいではない。
 少しでも歯が気になると、すぐ歯医者さんへ行くため、まだ抜けた歯はまったく
ないし、治療のために痛い思いをしたことは全然ない。
30年以上前インドの道場で、歯茎のマッサージを教えてもらったが、その先生
から「歯の丈夫な人ほど歯茎が弱くなると、一度に歯が沢山抜ける」、教えられてから
毎日それをやっている。また食後には歯間ブラシを使い、ジェット水流で洗うためか
ぐらついている歯は一本もないし、歯茎はまだきれいなピンク色だ。

 わが家のペットは一年前から、歯茎のマッサージ(人差し指で何もつけずこする)
と、歯磨きをしているが、歯ブラシは嫌がるので、歯磨きはガーゼを人差し指に巻
いて磨いている。初めは嫌がったが、この頃はすっかり慣れて「さあ歯を磨こうね」
と言うと、すぐにわたしの傍に来る。
 犬の口の中は熱いし、ちょっと気持ち悪かったし、もしかしたら噛まれるのではと
少々不安だったが、全くそんなことはなく案外大人しい。
 だから安心して、今では毎日の習慣になった。犬は多分歯の治療はできないから、自然に
抜けるのかも知れないが、わたしと同じように歯茎のマッサージをしていれば、きっと
抜けないで、最後まで固い物が食べられるだろうと思っている。
「80・20」と言う歯医者さんの運動があるが、それは80歳で20本の歯をキープ
するのが目標らしい。わたしは現在、歯は上16本、下16本あるが、きっと80歳に
なっても(まだ生きているのかしら?)全部あるのではないかと思っている。
 若さの象徴の口元でもあるし、これからも健康な歯をキープするために、毎日
ペットと一緒にガンバロウと思っている。

がんばって!私の聴覚

2010年05月18日 | 健康
☆ 久しぶりにテストをして
突発性難聴炎で緊急入院したのは、一体何年前のことだろう。
その頃のあまりにタイトなスケジュールに、体が悲鳴を上げたのかもしれないが
熱があるわけではないが、咳とくしゃみが頻発し風邪がなかなか治らなかった。
そのためかある日耳に異常を感じたが「突発性難聴炎」と分かり、即大学病院へ
入院した。それから、すべての精密検査をしても、全く異常はなく、その原因も
分からなかった。その後治療をしても症状は治らず、それから、できる限りの東洋
医学的な治療を受けたが、結局、聴力の衰えと耳鳴りは残った。

 今現在は静かな場所ではまったく問題がないが、騒音がある場所では左耳が
聞きとりにくい。そのため、ときどき自分の聴力をテストするため、117番
の時報を聴いて、その聞こえ具合で判断している。
 電話は必ず左手で受話器を取り、右の耳で聞き、右手でメモをするのは、もう
長い習慣になった。でもあれ以来お陰様で、聴力はほとんど衰えてはいないようだ。
 自分で工夫した耳の刺激を、毎日欠かさずにやっているのも、きっと効き目が
あるのだと思っている。押し寄せる加齢現象、いくら感性や気持が若くても
器官の衰えは防ぎようがない。でもあれからもズーットガンバッテいてくれる
わたしの耳に、「いつも有難う」と感謝している。



久しぶりの学会講演

2010年05月17日 | Weblog
 ☆「自律訓練法の小池能里子的他者誘導法&セルフヒーングング法」
 わたしが創案した「セルフヒーリング法」は、レイキティチャーになって
から、さまざまなヒーリングを学び、簡単で、どこでもすぐにでき、効果的な
心身のセルフコントロール法と工夫した方法だ。
受講者はオーリングテストを使って、体の前後にある、見えないプラスと
マイナス方向のエネルギーの存在実感し,大変驚いていた。
会場外でも「あんなにやさしい方法があるなんて、素晴らしい、本当に有難う
ございました」と随分お礼を言われたので、わたしはとても嬉しかった。
わたし自身が健康なのは、毎日この方法を実施いるからだと思うし、カウン
セリングルームでは、指導しているが、大勢の方に紹介したいと思っている。
 その後の懇親会に参加し、二次会にも付き合って帰宅したのは深夜だった。
久しぶりにかなり飲んだが、朝から気分は爽やかだ。

「それでも人生にイエスと言う」

2010年05月16日 | Weblog
☆ V.Eフランクフルの著書から
 今日資料さがすため本棚を見ていたら、「それでも人生にイエスと言う」沢山
付箋を貼った本が出てきた。著者は「夜と霧」で有名で、実存分析心理学の
創始者だった。わたしは良く本を買う方だが、どうしても溜まってしまうので
時々思い切って処分することにしているが、今あるということは、この本がわたしに
大きな感動を与えてくれたからだと思った。
 これはドイツのナチスの強制収容所に入れられていた、フランクリンの実際の
体験の話だが、いつ殺されるか分からないような過酷な毎日の中でも、希望を持って
生きている人もいるのだと、大変感動した。
 また、ナチスの親衛隊の強制収容所長は、自分のポケットマネーで、囚人たちの
ために、薬局で薬を買い、密かに与えていたり、亡くなって埋葬される囚人の名前を
傍の木の幹を削り、分からないように鉛筆で書いて記録したそうだ。
 自分の危険を顧みすに、囚人のために、愛情をかけた奇特な人もいたことで
性善説のわたしは、とても救われた思いがしたことも思い出した。
 
 また、どんな過酷な環境でも、「生きる意味があるか、ないかはその人次第」と
いうことを痛切に感じた。人生は「最後の息を引きとるまで」、自分なりに意味のある
ものにできるのだと、感じたことを忘れない。
 著書の中で、ゲーテは「何かを行うことと、何かに耐えることは、自分を高められる」
と言っているそうだが、確かにそうかもしれない。
 日本にも「艱難汝を玉にす」(人間は苦労を経て、始めて大成されるものである)
という諺もあるが、現代にはこんな考え方は、もしかしてアナクロなのだろうか?
 それにしても、あまりにも満ち足りた生活は、脆弱な人間の温床になるのかもしれ
ない、とつくづく考えさせられたのは、わたしが高齢のためだろうか?
 改めて、この本を読みながら痛感した。

私の住む町

2010年05月15日 | Weblog

 ☆梅が丘っていいな!
アレルギーや、足など気になり、また何かと忙しく、今週はジムへなかなか行け
なかったので、今日は絶対に行くと決めて九時半に家を出た。
ジムには電車で下北沢まで4分足らず、早ければ12分位しかかからないのに
週二回と決めてあるけど、結構時間を作るのが大変だ。
 今日はカルチャーセンターの講座があり、一時半には家を出なければならない。
でも、時間は奪うもので、つくりだすものだから、わたしは少しだらけているの
かもしれない。銀行の振り込み二つ、ジムでマシーントレーニング一時間弱。
 小田急線に乗り、梅が丘駅につくまでじっと外を見ていた。

 羽根木公園はまさしく新緑の真っ盛り、薄いブルーの空にきれいな雲が浮かんでいる。
わたしは改めて思った。梅ヶ丘って何てステキな町だろうって。
 夫にプロポーズされて、生まれて初めて梅ヶ丘の駅に降りた時、駅前には何もなく
羽根木公園(その頃は公園を造成中で、根津山と呼ばれていた)と、きれいな樹木が
ホームから見えて、「何とステキなところだろう」と感じた、あの日をまざまざと思い
出した。何故かあの日と同じように、今日は梅ヶ丘がとても新鮮に見えた。
 先日もあるテレビで放映されていたけど、国士舘大学の素敵な校舎ができてから
梅が丘は物凄く若者が多くなって、エネルギーに溢れている。
 新宿まで15分、渋谷まで15分、銀座まで35分と、どこに行くのもとても近い
から大変便利だ。まして我が家は駅前だし、騒音があっても、軒がひさいでも
わたしはこの梅が丘が終の棲家だと思ったら、とても幸せな気分になった。


夏物入れ替え

2010年05月14日 | Weblog
   ☆ あまりの多さにびっくり!
 今年は何時までも寒い日が続いたので、例年ならとっくに済んでいるはずの
衣装の入れ替えをした。すでに夏物は何点か買ってしまったが、上に羽織るものだけ
でも、あまりに多く自分でも驚いてしまった。
 4.5月頃に着るジャケットも、まったく袖を通していないものが多い。
去年一度も着ていないものは、思い切って処分したが、夏物のTシャツや上着類は
数知れず、毎日着替えてもとても着きれそうもない。
 色も実にさまざまだが、ビビッド系が圧倒的だ。
流行を追うわけではないが、毎年微妙に変わるファッションも、全く無視する訳に
はいかない。最近滅多に履かないスカートだけでも、一体何枚あるだろう。
 どんなよい物でも時が経つと、色褪せた感じがするし、人間が古いのだから
せめて新しいものが着たいと思う。あまり安ものは買わない主義だし、毎年季節に
先駆けてつい買ってしまう。女は何歳になっても、やはり着る楽しみも捨てがたい。
 整理ベタのわたしは、何と三時間近くもかかって入れ替えたが、せめて上に羽織る
ジャケット類だけでも、記録した方が良いのではと感じた。

「死」に対するわたしの概念

2010年05月13日 | Weblog

  ☆長生きが必ずしも幸せではない
 年々高齢者が増えているが、わたしの年齢では、もうすでに介護を受けなけ
れば、生きていけない高齢者も随分多いようだ。
でも介護さながら入院できる病院が少ないという、なかなか厳しい現実に考え
させられてしまった。現在も寝たきりで生きている老人も大変多いらしい。
いくら気分は青春しても、わたしがもしもまったくの自然体でいたら、きっと背中
が曲がった「白髪の老婆」かも知れないと感じる。
パーツは傷んでいるが、わたしは内臓的にまったく健康なので、もしもこのままで
いたら、一体何歳まで生きているのだろう。嫌だなあと、ホンネで思う。
 
 でも、そのわりには、まだ仕事もしたいし、やりたいこともあるし……
毎日の食事に注意し、サプリメントも摂って、運動も欠かさないのは決して長生き
したいためではなく、生きている間は元気でいたいからだ。
 もう随分以前、夫とともに尊厳死協会に入っている。先日機会があり、息子の妻に
その趣旨を読んで聞いてもらったし、その証明書の保存場所も知ってもらった。
 いずれ誰でも100%は死を迎えるが、今まで自由に、やりたいことはほとんど
実現できたし、あまり苦労もしなかったし、いろいろな意味で、割合恵まれてきた。
 だから今スグに死んでも平気だ。
 人一倍臆病なわたしなのに、死ぬのはゼーンゼン恐ろしくないし、どんな世界なのかしら、
面白そう、なんてホンキで感じている。それは、「死」がまったく「無」になる
とは、どうしても思えないからだ。

雨の公園でリフレッシュ

2010年05月12日 | Weblog
  ☆心が洗われるような新緑
 人影もない静かな公園を歩いてみたが、雨にぬれた新緑がひときわ美しい。
雨に深呼吸しているような樹木の香りが、とても爽やかだ。
 そこにいるだけで、ささくれ立った神経が、優しく撫でられたような気分。
それにしても、カウンセリング体験に来た人は、未だかって会ったことがないタイプ
だった。あるパニック症状が治らず、母親(読者)の勧めできたようだが、一時間の
体験なので引き受けたが、まだ若く見た目は美しい人だったが、目はとてもきつく
「自分が嫌いです」「誰も信じられない」「自分を変える気にはならない」とキッパリ
言った。今まで病院へ通ったり、催眠療法も受けたらしく、それからは電車に乗れるよう
になったそうだ。わたしは「自分が嫌いな人は絶対に幸せにはなれません。自己否定
している人が本気で人を愛する(他者肯定)できると思いますか」「自分を慰めたり
労わったり、励ましたり、感謝したりしながら生きることが大切。自分をコントロール
するのはアメとムチ、いつも自分にムチばかり当てていては、自分が気の毒多分今の
あなたの症状は、心の悲鳴だと思う。もっと自分を愛さなければ、絶対に治らないで
しょう」など、滅多に言わない「絶対」を何度かくり返したが、あまり感じないようで
一応うなずいてはいるが無反応だ。

 無論そんな人は性格分析などできないので、「セルフ・ヒーリング法」だけを指導
したが、それには素直に反応したのは、エネルギーが、体の前後を回転している事実
プラスとマイナス方向を、自分が体感できたからだろう。
 これは簡単で効果的だから、ぜひ毎日行うようにと勧めたが、猜疑心が強いため
実際にやるのかどうか定かではない。さらに「リラクゼーション」を15分ほどしたが
それはかなりリラックスできたと言った。
 それにしても……たった一時間で、こんなに疲労困憊したことはない。
そのネガティブなエネルギーを払拭するために、外に出たが、広い世の中には現実に
こんなタイプの人もいるのだ、これから長い人生を、あのままの精神状態で過ごす
としたら、どうにもならないが、何ともともやりきれない気持ちだった。
 あんな精神状態では、こんな美しい新緑も、モノカラーでしか見えないのだろう。。


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