ビビッド能里子トーク・サロン

心身両面の指導者として感じたこと

「それでも人生にイエスと言う」

2010年05月16日 | Weblog
☆ V.Eフランクフルの著書から
 今日資料さがすため本棚を見ていたら、「それでも人生にイエスと言う」沢山
付箋を貼った本が出てきた。著者は「夜と霧」で有名で、実存分析心理学の
創始者だった。わたしは良く本を買う方だが、どうしても溜まってしまうので
時々思い切って処分することにしているが、今あるということは、この本がわたしに
大きな感動を与えてくれたからだと思った。
 これはドイツのナチスの強制収容所に入れられていた、フランクリンの実際の
体験の話だが、いつ殺されるか分からないような過酷な毎日の中でも、希望を持って
生きている人もいるのだと、大変感動した。
 また、ナチスの親衛隊の強制収容所長は、自分のポケットマネーで、囚人たちの
ために、薬局で薬を買い、密かに与えていたり、亡くなって埋葬される囚人の名前を
傍の木の幹を削り、分からないように鉛筆で書いて記録したそうだ。
 自分の危険を顧みすに、囚人のために、愛情をかけた奇特な人もいたことで
性善説のわたしは、とても救われた思いがしたことも思い出した。
 
 また、どんな過酷な環境でも、「生きる意味があるか、ないかはその人次第」と
いうことを痛切に感じた。人生は「最後の息を引きとるまで」、自分なりに意味のある
ものにできるのだと、感じたことを忘れない。
 著書の中で、ゲーテは「何かを行うことと、何かに耐えることは、自分を高められる」
と言っているそうだが、確かにそうかもしれない。
 日本にも「艱難汝を玉にす」(人間は苦労を経て、始めて大成されるものである)
という諺もあるが、現代にはこんな考え方は、もしかしてアナクロなのだろうか?
 それにしても、あまりにも満ち足りた生活は、脆弱な人間の温床になるのかもしれ
ない、とつくづく考えさせられたのは、わたしが高齢のためだろうか?
 改めて、この本を読みながら痛感した。

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