ビビッド能里子トーク・サロン

心身両面の指導者として感じたこと

三日月の夜

2007年01月26日 | Weblog
☆ また入院なんて
 夫が検査入院したが、「その結果を説明したいから来て欲しい」と言われ
夕方病院へ行くと、すぐ後から息子も娘も来てくれた。
 三人で担当医の説明を聞いたが、一応退院し、また再入院してカテーテル
(心臓の治療)をすることになった。
 でもいつも人一倍気を使ってヘルシーなものを食べていて、わたしは
こんなに健康なのに、体質の違いは仕方がないのだと思ったが、また
そうなるなんてとやっぱり少し悲かった。
 時間は7時少し過ぎだったが、息子が「三人で話しながら歩いていて
帰ろうよ。おしゃべりしながら歩くとすぐだよ」と言った。
 病院から我が家はバスを15分近く乗り、それから徒歩で10分近い
距離だが、目黒区大橋から梅丘までは、遊歩道がずっと続いていて静かで
歩きやすい道で、多分40分ぐらいかかるはずである。
 わたしは少し疲れたので本当はタクシーで帰りたかったが、息子に言われ
たので一緒に歩くことにした。
   ☆ 元家族との交流
 我が家は元四人家族だったが、現在息子は我が家の四階に住んでから
十年以上過ぎたが、つかず離れずでいたって平穏である。
 娘も近くに住んでいるが3歳違いの姉と弟も仲がよく、二人だけで外で
飲んだりしているようだ。4人ともビールが好きで、おしゃべりでとても
親子の会話と思えないような話題まで出る変な家族だ。
 幸せなことにお互いに気が合うせいか、中年になったが息子や娘達
との交流はかなり多い。息子のお嫁さんはそんなわたし達を「ベタベタ家族」
と言ったそうだが、確かににそうかもしれない。
 三人でいろいろなおしゃべりをしながら、人気のない遊歩道を歩いたが
ほんの少し前感じた悲しさはいつの間にかなくなった。
 そしてもしかしたら息子はわたしの気持ちを察して、歩こうと言ったのかも
しれないと感じた。脱常識で幼児性の強い母親を持つと、子供達はしっかり
するらしいが(二人とも我が子にしては、まあまあ上出来だな)と、わたしは
とても幸せな気持ちになった。そして依頼心の強いわたしは、メンタルな意味で
子供達に支えられているのかもしれないと感じた。
 その夜は風もなくとても暖かく、きれいな三日月が出ていた。
                             能里子

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