ビビッド能里子トーク・サロン

心身両面の指導者として感じたこと

 淡路島「五色断食道場」の思い出 

2014年04月25日 | えっせー
 昨日の夕方にNHKで松崎しげるさんが、四国を訪ねていろいろな場面を紹介
していた、それを楽しく見ていたら、突然淡路島の五色断食道場へ行った
ことを思い出した。臆病で寂しがりの私は、そんな遠く寂しい所へ一人で行く
なんてと不安があったが、どうしても行きたかった。
 実はその10カ月ほど前に、ヨーガの友人達三人と名古屋の「西式健康法」
を取り入れた断食をやっている医院へ行った。
 その頃はベスト体重で、血圧が低かった私は、一日断食しただけでフラフラ
になり、ドクターストップをかけられ、途中で挫折したからだった。
 何故断食をしたかったかと言うと、ヨーガの指導者として、断食の経験もした
かったし、「いろいろ恐怖症」とニックネームをつっけられたほど、神経が細過ぎ
る自分の精神力も鍛えたっかったし、体の中もお掃除したかったからだ。
 
 

 でも友人達はすべての日程をこなしたのに、私は挫折したので、どうしても
もう一度トライしたくて、日本で唯一の公立断食道場へ行ったのである。
 ところが二度目も三日後の絶食で、フラフラして気分が悪くなり、すぐに
先生が診察して下さったが、血圧の上が60になって、これ以上は危険だと
またドクターストップになった。断食は体にとって大変なストレスだが、体力
がない私には耐えきれなかったのかも知れない。
 そのとき看護婦さんが、カルケット二枚と牛乳を持ってきて「すぐに食べて下さい」
と言われ、食べたら途端に元気になって「食べ物の力はすごい!」と驚嘆した。
 でもやはり、断食は私にとっては相当過酷だったようだ。
 がっかりしたが仕方がないが、自分で望んでくる人ばかりなので、そんなことは
レアケースだそうだ。後で仲間達から「それは生きている人の血圧じゃないね」
と言われたが。でも食べなくてもあまりお腹は空かなかったのはとても驚いたが…
 そこは関西の人達ばかりで、10日間いただけなのに、私はいつの間にか
関西弁になっていて可笑しかった。
 でも、いろいろな人達と毎日一緒におしゃべりしたり、体操をしたり、図書室
で本を読んだり、初めてワラビ取りまでして、本当に楽しかった。
 帰る日には「明石は鯛が名物だからお土産に買ったら」と勧められ、連れられて
鯛が水槽を沢山泳いでいるお店に案内された。
 

 すると「お客さんどの鯛が良いですか」と聞かれ、選んだらそれを網です
くってまな板の上に置いた。興味津津で見ていたら、ピチピチはねている鯛を
いきなり出刃包丁で鯛をぐさっと差したので、私は胸がドキドキして真っ青に
なったようだ。するとお店の人は椅子を持ってきてお水をくれ、「鯛は食べられ
るためにいるのだから、食べて上げた鯛は幸せなのだからね」と、こんこんと
言われ納得したが、私はあまりのショックにしばらく言葉も出なかった。
 すべて加工してくれ、家に帰ったら丁度夕食の時間で、家族達がお刺身を
美味しいと喜んで食べていたが、私はとても食べられなかった。
 すると娘が、「ママ本当に美味しいから一切れだけ食べてみたら」と言われ
口に入れたら、それは何の味もなくまるで紙のようだった。
 それからしばらく鯛は食べられなかったが、あの光景は今でも強烈に覚えて
いる。それにしても多分30年近く昔のことなのに、何故こんなにハッキリ
覚えているのだろう。最近記憶力や記名力が衰えているのに…
 心の構造は本当に不思議でならない。
※ その時代の私のヨーガ教室
 

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