ビビッド能里子トーク・サロン

心身両面の指導者として感じたこと

インドヨーガの旅 最終回

2008年12月01日 | Weblog
   ☆ 最後のお別れ
 T子さんとわたしは、デリー-にあるわたしの直接の先生が今いらっしゃる
アシュラムを訪問した。そしてドネーションを納めてから、いろいろなお話をした。英語ができないわたしだが、誰もいないと先生とはかなり会話ができること
は、何年か前マナリのアシュラム数日滞在したことでで経験済みだ。
 でもその日は英語が堪能なTさんがいたので、あまり話せなかったが、お茶や
食事を御馳走になり、約4時間そこにいた。
 23年前T子さんと二三日滞在したときに、先生がわたしのしぐさを
観察していたらしく、じっと見ながら「ユーアー・エイジレス・ベービー」と
笑ったことがあった。「覚えていますか?先生がそうおっしゃったことを……
わたしは今では孫がいるオールドだけど、今でもエイジレスベービーです」と
言うと先生は笑っていた。「わたしはヨーガの指導を辞めたので、今回が最後の
インドです」と言いたかったが、どうしても言えず、でも、これが見納めと写真
をたくさん撮った 
  ☆インドがわたしに給えてくれたもの
 わたしがヨーガの指導を辞めたのは、満身創痍と高齢のため、自分の体が思うように動かないこと、の他にいくつか理由がある。また、何かを捨てないと
(まだあるかもしれない、わたしの可能性が伸びない)と思ったからだ。
この年齢にして、(もうこれ以上何ができるの、そんなの無理でしょ)と意識では思うのだが、わたしのインナーヴォイスが、そうささやき続けるのだ。
 そのためこの三年間は可能な限り、自己投資をし続けたが、それも今年
イッパイだけで、キッパリと諦めるつもりだ。
 ダンス教師で夜型だった生活は、25年前の瞑想体験から一変し、朝型となり、それからかなりヨーガ的になった。そのお陰で、現在の健康と若さをキープして
いるのは紛れもない事実だ。だからこれからも、自分のためには多分体が動く
限り、ヨーガを続けるつもりだ。
 しかし、時代のニーズかも知れないが、スッカリ変わってしまったヨーガ
に魅力は感じない。だからわたしの中では、ヨーガに決別した思いだ。
 まるで呼ばれるように13回通ったインドだけど、多分再び行くことはない
だろう。インドがわたしに与えてくれたもの、それはいつも心の奥底で
「ふつふつとたぎっているエネルギー」かもしれない。
 わたしは先生達に、心の中で(さようなら)と言った。そして、自分の中で
インドとハッキリと決別できた、今回の旅だった。
 

人気ブログランキングに参加しました

人気ブログランキングへ