ビビッド能里子トーク・サロン

心身両面の指導者として感じたこと

ニューヨークからのメール

2007年11月01日 | Weblog
  ★ブログを見て
 わたしはホームページに、三十三年半続けたヨーガのレッスンを止める
ことを書いた。それを見てわたしのヨーガの古い生徒さんで、現在は
ニューヨーク在住のTさんからメールが入った。 要約すると
「長い間沢山の人の出会いの場を提供し、生きる喜びがんばる力を与え
続けて下さったことを心より感謝しています。能里子先生、引退はナシですよ。
先生の声に励まされる人達がいる限り、まだまだお役が続きます」こんな
嬉しい励ましのメールだった。

 Tさんはスタジオに通っていた頃、良くマスコミにも登場した外資系の
キャリアウーマンで、まさしく才色兼備を絵に描いたような女性で、他の
会員達とわたしの憧れの的で、スタジオの長年の生徒さんだった。
 わたしと一緒にインドへ行ったこともあるが、未亡人だった彼女は
五十九歳で、突然結婚しアメリカに渡った。
 そのときわたし達は、Tさんのお祝いとお別れパーティを開いた。 
ご主人はアメリカ在住の日本人だが、ある一流企業のニューヨークの社長
だった方で、まさしくエリート同士で結ばれたようである。
 青山にマンションがあり、ときどきお二人で帰国して、パ-ティに招いて
下さったりして、交流があったのだが、ご主人が八十歳を過ぎ「どこに住む
べきかさんざん迷った」ようだが、ニューヨークに永住することを決断された。

 実は五・六年ほど前にヨーガがブームだというニューヨークへ、ヨーガの
研修に行ったことがあるが、その時はTさんがすべて事前に調べて下さり
そして案内をしてくれた。わざわざニューヨークに来たのにあまり
収穫がないため、彼女の自宅近くにある会場で、ピアノに合わせて行う
中高年のレッスンに参加することにした。
 前日Tさんからグランドセントラル駅から、切符の売り場や、何番線に乗るか
など丁寧にレクチュアーを受けた。
 次の日わたしはマンハッタンのシェラトンホテルから、一人でタクシーで
グランドセントラル駅に行きその電車に乗った。
 彼女が住んでいたスカースデル?駅まで約30分ぐらいだったが、生まれて
初めて海外で一人で行動した臆病なわたしは、不安と緊張でずっと胸がドキドキ
していたことを今でも決して忘れられず、「我ながらよくできたな」と思って
いる。

 ニューヨークのベッドタウンで、高級と言われるそのご自宅は、リスも
くるほど自然な環境にありながら、警備もしっかりした安全で素敵なお住まい
だった。その時ブロードウエイで、ジャズダンスのレッスンを受けていた
娘と孫達も、訪れてきて一緒にご馳走になった。
 わたしのために、日本とアメリカのヨーガの先生を二人を招いて「ニューヨークのヨーガ情報」について、色々と聞かせて下さった。
 あのときの楽しかったことも、Tさんの気配りや、やさしさに感動したことも
今でもハッキリ覚えていて、忘れることができない。
 そしてこれを書きながらも、ブロードウエイで見たミュージュカルで、涙
がこぼれるほど感動した「フォーティセカンド・ストリー」も素敵だったと
思い出した。まだ9・11事件の大分前に行ったときも、ニューヨークは何と
エキサイティグな街だと感じたが、Tさんに会うために、いつかまたぜひもう
一度行きたいと思っている。
                            能里子   

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