ビビッド能里子トーク・サロン

心身両面の指導者として感じたこと

晴れ後曇りのち晴れ?

2006年09月22日 | Weblog
 ☆ついていない日
 わたしはまあまあ体力があると思うが、今日ほど疲れた日あまりない。
わたしは仕事柄かなり穏やか?な方だとは自分では思っているが、今日
は腹が立った。しかも午前と、夕方と夜、一日三回苛立つことがあった。
もしかして今日はわたしの最悪の日かもしれない。
 わたしの我侭かもしれないと我慢しても、ふつうのことごく普遍的な
ことなのにやっぱり許せない!と思う。
 これって「あなたが我がままなのよ」と、自分に言い聞かせえるような
つもりで、一所懸命に堪えた。
 オーバーだが何だか自分の人生がすべて否定されたような、今日は
最悪の日だった。些細なことをそんなに感じる自分が、嫌でたまらない。

 昔のわたしなら考えられないことだ。でも今わたしはプロだから、
相手の立場を考えて、コントロ-ルしなければならならず、喉まで
出かかった言葉をグット飲み込む。長年あまり忍耐しないで過せたのは
今まで私は本当に幸せで恵まれていたのかもしれない。
と思いながらデモ許せない。メチャ腹が立つ------

 そんなとき友人からメールが入った。ナンカ心癒される。またわたしの
ファンの男性から「どんなに遅くてもいいから声を聞きたい」と言うメール
はとても嬉しく、心の中にチクチクしていた棘が抜ける感じがした。

 それから友人から「自分が無神経だったゴメンナサイ」メールが入り、電話も
入ったので、わたしは言いたい放題を言った。でもいくら謝られてもわたしの
あのときの不快な気持ちは、もうハッキリ言って戻らない。
 でも特別相手も悪いわけではないが、わたしが必要以上に傷ついているだけ。
 今までわたしは誰も傷つけたリ、不快にさせないようにより注意してきた
つもりだが、実は偉そうなことを言っても、年齢相応の思慮や分別がなく
さらに無邪気なため、自分では気がつかつかず他人を傷つけているのかも
しれないと感じた。
 相手が悪いわけではない、わたしが勝手に怒っているだけ、だから誰も責める
のはよそうと-----------
 
 わたしはもっとも多感な十五歳のときに、「四十歳を過ぎて生きている
なんて信じられない」と、本気で思った。
  若さとは何と傲慢なのだろう。ホントに恥ずかしい気がするけれど----------
 でもそのときのまるでガラス細工のような部分が、今のわたしの中に、
まだふつふつと息づいている。
  もしかしたら気持ちは、今でも「夢裡で生きているのかもしれない」と
 感じる。「もっと年齢相応に心も歳を取りたい!」これが今のわたし
偽らざる心境だ。するともっとすべてを達観できたり、感じられたり
できるに違いない。体はとても疲れているのに、神経は尖っている、傷ついた
心をもてあましながら、初秋の深夜にこうして綴る文字は、わたしの
人生の一ページかもしれない。
               06:9:22;040am 能里子
  

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