ピークラブ koizumi

愛と勇気と感動を与える、ちょいワルおやじの独り言。

ありがとう、奇跡に感謝!

2008-03-31 17:42:52 | Weblog
ありがとうは、「有り難し」が変化したもので「難し」は、難しいという

意味で「有り難し」は「存在するのが難しい」。。。。つまりね、

「めったにない」という意味です。

「これは、めったにないことだ」と、心から喜び、尊ぶ言葉がありがとうなんです

ちなみに、関西弁の「おおきに」は、「大きにありがとう」の省略形らしく

有り難い気持ちを、もっと強調していたんだって。

考えてみれば、僕たちの周りは奇跡に満ち溢れていますよね

生まれてきたことも、生きていることも、出会いも、何もかもが

すべて奇跡ですよね、どんなにありがとうと言っても

決して及ぶことはないでしょうね、みなさん、本当に

ありがとう。。。

言の葉。。言霊の(幸)ふ国

2008-03-28 22:07:39 | Weblog
「言」と「事」は同源だそうですよ「言」は言葉。「事」は行為や現象

昔は「言」として表現することで「事」が実現すると信じていたそうですょ

そして「葉」は「端」とする説もありますが、草木の葉にたとえたとしましょう

心は大切です、草木でいえば根にあたるでしょうか、でも

思っているだけでは何もなりません、草木が芽を出し

葉を茂らせることによって、花を咲かせ、実を結ぶように、人は

言の葉によって思いを伝え、人とつながり、自分を表現しながら夢を

かなえていくのです、せっかく、豊かな言の葉を持った日本に

生まれたのですから、どうかひとりひとりが

豊かな木になってほしいもんだすな~

逆鱗?痛い場所のありか

2008-03-27 22:34:18 | Weblog
竜のあごの下には、一枚だけ逆さまに生えている鱗があるそうです

竜は、人を背中に乗せるほどおとなしい動物ですが

この鱗に触れたが最後、怒り狂って人を殺すといわれています

竜は天子の象徴なので、もともとは、「逆鱗に触れる」というと

天子や帝王を激しく怒らせることでした、やがて、目上の人を怒らせる

ことにも使われるようになりましたが、今では誰にでも使うようです

最近は、逆鱗所有者(?)の低年齢化が、目立つようになってきました

誰にでも、触れられたくないところはあるものです

それを、当の本人さえ、意識していなかったりします。

でも、最も触れられたくない場所は、最も触れられたい場所の

裏にあるんだそうですよ、自分の逆鱗のありか、見つけられますか?

海千山千。。。積み重ねた経験

2008-03-24 21:33:55 | Weblog
蛇は、海に千年、山に千年住むと、竜になるという言い伝えがあります

そのことから、さまざまな経験を積み、物事の裏の裏まで知っているような

したたかな人のことをいうようになりました。

竜は九似(きゆうじ)といって、九種類の動物に似ているとされます

角は鹿、頭は駱駝(らくだ)耳は牛、目は兎(うさぎ)または鬼

鱗は鯉、掌は虎、爪は鷹、腹は蛤、そして、項は蛇です

自分に共通の要素があるものに憧れるのは、蛇も一緒のようです

海に千年、山に千年、ただ住むだけといっても、きっといろんなことがある

でしょう、その時は無意味に思えることでも、後から大きな意味を

持ってくるのかもしれません。

経験は、どんなことでもパワーになるということですな。

阿吽、一呼吸の中の宇宙

2008-03-20 22:32:55 | Weblog
墓石などに刻まれている不思議な文字?知ってますか・・・・?

梵字の中でも、悉曇(しつたん)と呼ばれ、奥深い意味があるんだって。

その初めと最後の文字に漢字を当てたものが阿吽で

この二文字で全宇宙を表わすといわれるんだって。

五十音図も、悉曇をもとに、空海が考えたという説もあるらしいです

やはり「あ」で始まり、「ん」で終わっていますね。

「阿」は、口を開いた時に出る声、「吽」は、口を閉じた時に出る声。

吐く息と吸う息という意味でも使われます

人は息を吐いて生まれ、息をひきとって一生を終える。

一人の命も阿吽につきますな、そして「阿」と「吽」の間に

全宇宙があるのなら、一息一息がはてしない

生まれ変わりの繰り返しなんでしょうかね。

道楽。道を行く楽しみ。。。

2008-03-14 22:11:16 | Weblog
もともと仏教用語で、仏の道を悟った楽しみのことだそうです。

修行を積んで、道を極めた人の、真の楽しさのことなんだって

いつしか、単なる趣味や楽しみの意味に変わり

ついに享楽的な楽しみにまで変わりはてたそうです

道楽息子。道楽者。。。あまりいい意味では使われませんょね

でも刹那的な楽しさは、すぐに、空しさに変わっていくものです

悟りを開いた人も、いやいや修行を積んでいたわけではないはずです

思い描いた夢に近づける。。。そんな喜びを感じていたに違いありません

あなたが本当に進みたい道、到達したい場所はどこでしょう

一歩一歩を楽しみながら、自分の道を歩いていける

それが、本当の道楽なのかもしれませんね。

自惚れ鏡。。。うぬぼれかがみ、人は人を映す鏡

2008-03-13 21:35:26 | Weblog
女性なら、たぶん、誰でも気づいているはずですょね。

鏡によって、自分がきれいに見える鏡と、そうでない鏡とがあることを

実際の自分より、きれいに見える鏡のことを自惚れ鏡といいます

つまり、長所だけを見せてくれる鏡といえばいいでしょうか。

もともとは、ガラスの裏に水銀を塗った鏡のことをいいました

日本に入ってきた時、それまでの金属製の鏡より美しく見えたことから

こう呼ばれるようになったそうですょ

まず、自分を好きになるということが、幸せに生きる基本では?

そのためにも、長所だけを映してくれる自惚れ鏡は必要ですよね

自分のすべてを受け入れ、好きになっていく第一歩なんでしょうね

そして、人の姿を映す時こそ、その人の

自惚れ鏡になってあげたいですな~

典型

2008-03-12 20:47:08 | Weblog
自分を標準としたい気持ちは誰でもありますよね

でも、それですべてを判断する危険性も考えておいたほうがいいのかも

自分ならこうするのに、自分だったらこう考えるのに

という定規を他人にあてて、批判する前に

定規の目盛りの誤差を確かめてみては?

自分を「典型」「見本」であると思っていませんか?

自由な動き

2008-03-11 23:32:33 | Weblog
コップに水を満たして運ぼうとすると

こぼさないようにするために

動きがかたくなってギクシャクしますよね

八分目の水ならどうでしょう

かなり自由に立ち居振る舞いができませんか

(人生八〇パーセント主義)が、まさしくそうでしょうな

どんまい、ドンマイ

不足状況。。。。!!

2008-03-10 13:57:53 | Weblog
最近は、僕もそうですが、何かが無いとか足りないとか思うと

じゃあ足せばいいじゃん、もっといい環境を作れば?とかすぐに補います

家では、一人部屋がない、部屋が狭い、エアコンがない、こづかいが少ない

と、子どもたちは不満をいいます

それに親たちは、先へ先へ手当てをして、不足はないかと気をまわします

不足状況は必要ですよね、それが子供の(独立)をうながすんですな

それが社会に出るとね~なんですよ~