小日向白朗学会 HP準備室BLOG

小日向白朗氏の功績が、未だ歴史上隠されている”真の事実”を広く知ってもらう為の小日向白朗学会公式HP開設準備室 情報など

小日向ドキュメント映画企画意図

2019-04-03 | 小日向白朗学会 情報
長編ドキュメンタリー映画(90分)
 「緑林の人 ~満州馬賊王・小日向白朗~」

○中国国歌『義勇軍行進曲』のモデルが日本人であることは、あまり知られていない。
中国名『尚旭東』(シャオ・スイトン)。中国民衆からは、伝説の英雄『小白竜』(シャオ・パイロン)と呼ばれた馬賊王・小日向白朗(1900年~1982年)、その人である。新潟県三条市出身の白朗は戦前の満州を中心とする広大な荒野をかけめぐり、一時は、満州馬賊の頭領として7万とも8万ともいわれる配下を引きつれ何度もの修羅場をくぐりぬけてきた。
○そんな白朗のモットーは、「義気千秋」「除暴安良」。義侠心を大切にし、暴力を排して良民を助ける心。その思想的バックボーンは、日中の真の友好を願う『アジアは一つ』という大きな理想。日本軍と中国軍の間に立って、両者の融和に務め、日中戦争の前夜、蒋介石との和平工作に当たった事実は、ほとんど知られていない。その後、日本軍の裏切りにもめげず、上海に潜入した白朗は、日本軍系テロ組織『金家坊99号』の首領として国府系『軍統』、共産系テロ組織などとの凄惨なスパイ戦を戦い抜いた。
○終戦から5年、幾多の困難を潜り抜けた白朗は、1950年(昭和25年)日本に帰還。中国大陸での白朗の活躍は、自ら筆を執った『日本人馬賊王』や朽木寒三著『馬賊戦記』によって多くの人に知られていた。その反面、戦後の白朗については、多くの謎に包まれてきたが、最近の研究で白朗の戦後の活躍の全貌を明らかになりつつある。その白眉は、白朗の貴重なアドバイスが、あの歴史的な米中国交回復を前進させるために大きな役割を果たしという驚くべきものであった。
○この映画は、白朗の戦後の活動を明らかにする研究者の証言や資料、当時、行動を伴にした方の息子さんの証言などによって、『中国の赤い星』のエドガー・スノーから、「米中国交回復の扉を開けるのは、世界でただ一人」と指名され、秘密裡にキッシンジャーの元に招聘された白朗の活躍などを探る・・・白朗の根底にあったのは、中国大陸での人知を絶する壮絶な体験を経て培われた「自覚的民族主義者」「現実主義者」としての透徹した眼差し。今や、歴史の闇に消え去ろうとしている「小日向白朗」だが、混迷が深まる現代であるからこそ、我々は、そんな白朗の「思想と行動」に光を当て、深く捉え直すことを通じて、日本と中国との真の友好を切り拓く礎を築くとともに、アジアの一員として生きる我が国の明日を考える縁ともしたいと思う。
                              2019年秋、完成予定!!!

(文責 会員・港健二郎)
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