小浜逸郎・ことばの闘い

評論家をやっています。ジャンルは、思想・哲学・文学などが主ですが、時に応じて政治・社会・教育・音楽などを論じます。

福沢は完璧な表券主義者だった

2018年04月04日 21時52分42秒 | 思想


このたび、5月にPHP研究所より『福沢諭吉 しなやかな日本精神』を上梓する運びとなりました。
宣伝を兼ねて、その一端を紹介させていただきます。

福沢が、明治初年代、欧米列強の餌食にならないよう、日本の自主独立を切に願っていたことは、よく知られています。
しかし、彼が経済に対してどういう考え方をしていたかは、ほとんど知られていません。
世の福沢論者も、あまりこの領域には手を染めてこなかったようです。
このたび福沢論を書くにあたって、彼の一連の経済論文にも丁寧に目を通してみたのですが、驚いたことに、経済に対する彼の見識は、現代の凡百の経済学者やエコノミストなどより、はるかに高いものがありました。
ことに、明治11年に発表された『通貨論 第一』では、まだ本位貨幣制度も整っていない時代に、それを飛び越して、現代の管理通貨制度とまったく等しい考え方を採っているのです。

福沢はまず、通貨の本質について、それは単なる品物の預かり手形と同じであると言い切ります。
これは最近、経済思想家の三橋貴明氏が強調している、「貨幣は債権と債務の記録であり、借用証書である」という本質規定とまったく同じです。
また、その「預り手形」として金銀を用いようが紙を用いようが、その機能において何ら変わるところがないとも言い切ります。
こちらも、最近、同じく経済思想家の中野剛志氏が、貴金属に価値の本源があると錯覚してきた長きにわたる習慣(金属主義)が無意味であって、貨幣はただ価値を明示する印にすぎない(表券主義)と指摘した、その議論とぴったり一致しています。

福沢は、前者の場合を次のようなたいへんわかりやすい例によって説明しています。

《たとえばここに、不用の米十俵を所持してこれを綿に易えんと思えども、差向き気に叶う綿の品物もなし、さりとて、所持の米は不用なるゆえ、まずこれを近処の綿屋に渡して代金を受け取りおき、追ってその店に綿の上物あるときに至りて先に受け取たる代金をもって綿を買えば、つまるところは米と綿と交易したる訳にて、その代金はしばらくの間綿屋より受け取たる米の預り手形に異ならず。(中略)この預り手形に金銀を用いれば何程の便利あるや、紙を用いれば何程の不便利あるや、いささかも区別あるべからず。ただ、その約束の大丈夫なるとしからざるとの一事心配なるのみ。この一段に至りて、金銀は人の苦痛の塊(掘り出して精錬し鋳造する労働力が込められている――引用者注)なるが故に、これを質に取りて大丈夫なりと言わんか、決して頼みにするに足らず。紙にてもまた大丈夫なる訳あり。》

福沢は、取引においては、互いの需要を満たすために必ず時間差や空間差が介入してくるので、そのために「預り手形」(約束の証書)がどうしても必要とされるというところに通貨の本質を見ているわけです。
中略部では、それが不特定多数との間で流通性を持てば、通貨となるのだと説いています。
まことにそのとおりというほかはありません。
ふつう貨幣のはたらきとして列挙される、支払いの手段とか、蓄財の手段とか、価値の尺度とか、富を誇示するためなどは、あくまでその「機能」であって、「本質」ではありません。

ところで引用部分の最後の指摘から、それでは紙でも大丈夫だという信用(不安の打ち消し)はどこから得られるのかという問いが出てきます。
福沢はこれに対して、商売取引が現に繁多に行われていさえすれば、世人はみな貨幣を大切に思うので、その現実こそが信用を実現させていると答えます。

《しかりしこうしてその大切なる由縁は、品の質にあらずしてその働きにあるものなり。今、金銀と紙とその質は異なれども、これを貨幣に用いて働きに異なる所あらざれば、紙を大丈夫なりと言いて毫も異論あるべからず。》

貨幣が大切であるポイントは、品質の如何ではなく働きにこそあるというこの指摘は、コロンブスの卵です。
真理を鋭く簡潔に言い当てているわけですが、なかなかこううまい表現はできないものです。

観点は違いますが同様の把握はこの論考の後の部分にも出てきます。
つまり、世間の人々は千両箱が積まれているとすごい金持ちだというが、本物の商人はそういう見方をせず、千両が運用されずに一年間寝かせてあると、百両か二百両は損してしまうと考える。
活発に商取引や事業が行なわれているその実態こそ、金持ち(豊か)である証拠なので、だから元気旺盛な商人ほど、帳簿を調べてみればたくさん借金をしていることがわかる、と。
帳簿では貸方、借方のダイナミズムに目をつけなくてはならないという、当然と言えば当然の指摘ですが、これなどは、財政収支の黒字化ばかり気にして、日本経済をひどい不活発に追いやっている現在の財務省にぜひ聞かせてやりたいくだりです。

しかし、と反論があるでしょう。
第一に、そもそも一つの閉ざされた共同体市場(たとえば一国内)で紙を使って商売取引が繁多になるためにこそ、まずその紙に対する信用が先立つのではないか。それはどうして得られるのか。
第二に、貴金属に対する尊重の感情は根深く人情として根付いているので、簡単に金属主義を超えることは難しいのではないか。――これらについても福沢は答えているのですが、それは後述しましょう。

続いて彼は、金銀よりも紙を用いることの便利さを列挙していきます。
第一、紙幣は運搬に便利。
第二、人の目に立たないので盗賊に会いにくい。
第三、金銀を紛失してしまうと、再び「苦痛の塊」を苦労して作らなくてはならないが、紙ならば、本人の損害だけで、経済活動全体には影響がない。
第四、紙には偽札の危険があるという人がいるが、それは印刷技術を高めればよいので、金銀の場合も同じ偽造の危険はいくらでもある。
第五、紙幣は紙なので粗末に扱い、浪費乱用の危険があるという人がいるが、それは習慣の問題で、すべて紙幣を用いる習慣が定着しさえすれば、それを大切にするようになる。

この最後の指摘について、福沢は、まだ中津にいた少年時代の面白い経験を記しています。
夜分、使いに出されて、一分銀か二朱金で支払おうとすると、店の主人から、暗くて真贋を見極めにくいので、札(藩札)の方がありがたいと言われたというのです。
商人が京大阪へ上った場合には、札を両替して銀で取引したのでしょうが、中津藩内では、藩札が重宝されて出回っていたわけです。
ここから、一藩(一国)の統治が安定していれば、信用が生まれてくるということが示唆されます。

次に福沢は、金銀は量に制限があるためむやみに通用させることはできないが、紙幣の場合、政府の都合でいくらでも増刷できるから、物価騰貴を抑えられないという反論に対して、いかにももっともだが、と断ったうえで、次のように答えます。
それは政府を信じないところから生まれてくる議論で、初めから政府を疑うなら、紙幣の発行に限らず、いくらでも疑いの材料はある。
年貢のつり上げ、小判の質の悪化、新紙幣の発行、私有地の官有化など、現に旧幕府は人民の信用を落とすことをいくらでもやってきた。
自分はともかく政府を信用する立場をとった上で紙幣発行がいかに便利かという論点で議論を進める。
このように、議論の原則をはっきりさせるわけです。

するとここでも、どうしてその信用が得られるのかという議論が蒸し返されます。
先の中野剛志氏は、政府が徴税権を持ち、それを国民が現金紙幣で納めることを政府が承認しているという事実が、一国の紙幣信用を生み出す要因であるという説を打ち出しています(『富国と強兵』東洋経済新報社)。
これに対して、福沢は、旧藩時代と違って、今日は全国一政府の時代なのだから、そこが発行する紙幣は拒むも拒まないも、安心するも信用しないも、現に毎日盛んに商取引が行なわれている以上、その紙幣を使う以外他に方法がないのだという点を強調しています。
福沢は、現に商取引において一紙幣を使うという合意が遅滞なく成立している「事実」のほうを信用成立の原因としてやや重く見ているわけです。

中野氏と福沢、二人の議論は対立しているのでしょうか。
そうではありません。
租税を現金紙幣で納めることを政府が承認しているという事実は、全国一政府の下に、経済人としての人民の国民意識が統合されていることそのものの証しです。
逆に、一つの通貨によって毎日盛んに商取引が行なわれていることは、人民がその国の統一性を信用していることの証しです。
両者は同じことを違った角度から視ているにすぎません。

これは、米本位制による物納でも、預金通帳からの引き落としという書類上の納入の場合でも同じです。
そもそも信用とは、AがBを信用することだけを意味するのではなく、常にそれを受けるBの側からもAを信用するという相互性の上に成り立つものです。
Aを国民、Bを政府とすれば、Bに対するAの信用は、現にBが発行した通貨を用いて盛んに経済活動をやっているという事実によって示され(福沢説)、Aに対するBの信用は、現金紙幣を租税徴収の手段として認めているという事実によって示されます(中野説)。

この後福沢は、一国の通貨政策についての詳しい処方箋を述べています。
これがまた、『通貨論 第一』の白眉ともいうべき素晴らしいものなのですが、長くなりましたので、次回に回しましょう。



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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
早く次が読みたい (今年30)
2018-04-05 12:52:07
はじめまして、今年30です。

非常に読みごたえがあり、朝の通勤が充実した時間になりました。
貨幣として、紙幣がいかに金銀より便利か理解出来ました。
早く次も読みたいです。
今年30さんへ (小浜逸郎)
2018-04-05 14:54:18
コメント、ありがとうございます。
お役に立てて、うれしく思います。

次は、3日後くらいに投稿予定です。
いましばらくお待ちください。
なるほど (HondaTetsuya)
2018-04-06 03:12:36
なるほど。ありがとうございました。
Honda Tetsuyaさんへ (小浜逸郎)
2018-04-06 15:17:11
コメント、ありがとうございます。

福沢って、あらゆる面ですごいんですよね。
拙著が出版されたら、読書会が企画されると思いますので、その節は、ぜひどうぞ。

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