小浜逸郎・ことばの闘い

評論家をやっています。ジャンルは、思想・哲学・文学などが主ですが、時に応じて政治・社会・教育・音楽などを論じます。

コロナ全体主義をいつまで続ける気か

2020年07月09日 00時14分54秒 | 思想


去る6月25日、ダイヤモンド・オン・ラインに、窪田順生氏というノンフィクションライターの「コロナ禍でわかった、日本人が患う『管理されたい病』の重症度」という文章が載りました。
https://diamond.jp/articles/-/241302
この文章には、次のような3つのデータが紹介されています。
①《NHKの世論調査で、新型コロナなどの感染症の拡大を防ぐため、「政府や自治体が外出を禁止したり、休業を強制したりできるようにする法律の改正が必要だ」と考えている人が、62%もいることがわかった。「必要ではない」と答えた人は27%なので、ダブルスコア以上である。》
②《2013年、キーマンズネットがビジネスパーソン585人を対象に、プロジェクトを実行する際に「管理する側」と「管理される側」のどちらがいいかと質問をしたところ、「管理される側」が53%と上回った。》
③《2019年にパーソル総合研究所が、日本を含むアジア太平洋地域の14の国・地域における就業実態の調査をしたところ、日本で管理職になりたい人の割合は21.4%と、14の国・地域の中でダントツに低かった。》
窪田氏は、これらのデータを掲げた後、戦前・戦時中、普通の市民によって構成された膨大な「投書階級」なる存在が、いかに当時の「娯楽統制」に影響を与えたかについて、次のように述べています。
まず、言論統制される以前から、新聞やラジオというマスコミは自ら進んで戦争を煽っていた。軍の発表を盛りに盛って、「爆弾三勇士」などの戦争美談をふれ回った。「そうしろ」と命令されてわけではなく、愛国心を刺激するコンテンツが読者やリスナーに圧倒的にウケたからだ。そして、 この「愛国コンテンツ」を連日のように見せられた国民が、暴走を始める。「投書階級」のように、自分たちの価値観に合わないものを「社会にとって害だ」と排除し始める。たとえば、当時戦争に反対する「非国民」を一般市民が棍棒を持って追いかけ回して袋叩きにする、という事件が珍しくなかったが、それは軍部に命令されたわけではなく、市民たちが自発的に行ったことなのだ。
そのうえで窪田氏は、「令和の日本で木村花さんをSNSでネチネチとイジめた人々や、CMに不倫タレントが出ていると企業にクレームを入れるような人々とそれほど変わらないことを、80年以上前の日本人もやっていた」と語り、「これが、日本が全体主義へのめり込んでいったプロセスである。『陸軍のエリートが暴走した』『軍を抑えられなかった政治家が悪い』『マスコミが戦争を煽った』などといろいろ言われるが、やはり『全体』というだけあって、日本社会がおかしな方向に流れても誰も止められなかった最大の原因は『民意の暴走』にあるのだ」と結論づけています。

筆者はこの文章に触れて、わが意を得たりと思い、あるメディアに紹介しました。
それというのも、筆者はこの間ずっとコロナを巡る社会現象を、科学的データも含めて分析してきたのですが、少なくとも日本では、オーバーシュートだのロックダウンだのと大騒ぎするような実態はほとんど見られないにもかかわらず、日本国民全体がいっせいに過剰自粛に走り、陽性反応者などほとんど出ていない田舎町まで、ソーシャルディスタンスの名のもとに、マスク着用はおろか、アルコール消毒やフェイスシールドやビニールシートやアクリル板で溢れるようになった集団ヒステリー現象を、まさに全体主義の下地が露見した状態と指摘してきたからです。
https://blog.goo.ne.jp/kohamaitsuo/e/8b539fc184c8c79ea921ea0f03720352
(6月15日)
https://blog.goo.ne.jp/kohamaitsuo/e/d9ba7e74cb9e3435b0dbc223bffb8103
(5月28日)
https://blog.goo.ne.jp/kohamaitsuo/e/c4943a9102096047589a253502165ce5
(4月15日)
https://blog.goo.ne.jp/kohamaitsuo/e/2d8d910dcbbed2b60866d6903d153874
(3月28日)

上に挙げた現象だけで済めばまだ微笑ましいとも言えますが、それよりもはるかに深刻なのが、飲食業やデパート、小売店の一斉休業、コンサート、スポーツイベントなど文化企画の一斉中止、一般企業のテレワークや時限通勤の非能率、中小企業の倒産、航空、鉄道、タクシーなど公共交通機関の乗客激減など、日本経済に致命的な打撃を与えた事実です。
疫病としてのコロナは、日本のみならず、すでに世界的にも終息の傾向にあるのに、空気としてのコロナ全体主義はいまなお続いており、これがいつ終わるのか、見当もつきません。
経済的ダメージに至っては、これから倒産、廃業、失業の全体像が明らかになるにつれて、第二次世界恐慌への突入が現実化していくので、これを克服するのに何年かかるかわかりません。

ところで、筆者が窪田氏の記事を紹介した時、いくつかの批判を受けました。
一つは(批判Aとしましょう)、日本の庶民は昔から自分で判断して行動しており、政府が緊急事態宣言を出すはるか前から自粛していたのだから、なぜ「管理されたい病」というのかわからないというものでした。
しかしまず窪田氏は、データ①で外出禁止や休業強制を法律化した方がよいと答えた日本人が圧倒的に多かった事実を挙げています。
このデータが示すものが、「管理されたい病」と呼べるかどうかについては後述しますが、危機が来た時には、不安を鎮めてもらうために、厳重かつ律義に規則で固めた方がよいと多くの日本人が考えていることはたしかです。
政府・自治体のゆるゆる規制は、補償から逃げようとする動機があったとはいえ、生活の自由という観点からは悪いことだったでしょうか?
それを一般国民が、わざわざ否定するような選択をしているのです。
また、データ②は、サンプル数の少ない一調査ですから、たしかにこれだけをもって日本人は「管理されたい病」に罹っていると結論づけることはできないかもしれません。
むしろここから何か結論を引き出すとすれば、責任を負いたくないという傾向を表しているというべきでしょう。
データ③も同様で、管理職につきたくないというのは、重責から逃れて気楽な立場で仕事をしたいという傾向の現われでしょう。
さて、以上をより厳密に考えるなら、日本人は、①のように、ある決まったルールがあればそれに従うことに安住していられるし、自粛をもっと徹底できたのにと考えている反面、自分でルール作りに参加したりその責任を負ったりするのは嫌だと感じていることになります。
要するに総論賛成、各論反対というわけで、これは昔から主体的参加や目立つことを嫌がる日本人の傾向をよく表していると思います。
さて批判Aは、日本の庶民は昔から自分で判断して行動しており、政府が緊急事態宣言を出すはるか前から自粛していたとしていますが、昔から自分で判断して行動していたというのは、かなり疑わしい。
参勤交代で大名が通る時にいっせいに土下座する態度を、「自分で判断した行動」と呼べるかどうか。
福沢諭吉が馬に乗った馬子に出会った時、馬子があわてて馬から降りた。
これを見て福沢が「これからは堂々と乗ったらよい」と諭した話は有名です。
また商人は身分の低さを自ら身体化していて、お武家さんの前でもみ手をしながらぺこぺこと卑屈な態度で接し、実利をちゃっかりとる気風を持っていたこともよく知られています。
この気風は今でも残っていて、営業マンが顧客を落とすために、やたら過剰な敬語を使ったりするところに現れています。
庶民は権力の視線の及ばない領域を狡猾に心得ていて、そういうところでは「自分で判断して行動していた」と言えるだけでしょう。
批判Aは、庶民の「自分で判断して行動する」態度を、今回のコロナ騒動に当てはめていて、情報を得てからいち早くマスク着用や外出自粛を取った行動を肯定的にとらえているようです。
しかしマスク着用や外出自粛が、自主的な判断や行動としてそんなに主体的な意志を要するるものかどうか。
「雨が強くなってきたから、今日は外出を控えよう」といった、誰でもそうする程度のことなのではないですか。

窪田氏の記事のタイトルが「管理されたい病」となっているので、誤解を招きやすいですが、上で引用したように、彼は、むしろ一般市民の自主的な行動が全体主義の生みの親だということを、戦前・戦中の例を出しながら繰り返し強調しているのです。
そしてこれは、責任意識の欠落と主体的に決断の意思を示さないような上述の傾向と矛盾しません。

ただし、政治的な全体主義はむしろヨーロッパやロシアがご本家ですから、一般市民の自主的な「暴走」を日本人特有の傾向とすることはできないでしょう。
いずれにしても、批判Aは、窪田氏の記事をきちんと読んでいないか、読んでもその要点を無視しているのでしょう。

もう一つの批判(批判Bとしましょう)は、あのように自主的に素早く自粛したからこそ、欧米に比べて奇跡的に感染者数や死者数を抑制できたのだというのがあります。
これはまったくの間違いです。
上に挙げたブログURLでも何度も指摘していますが、欧米とアジア(日本だけでなく)とでは、死者数が2ケタ、3ケタ違います
この極端な違いは、生活習慣の違いや自粛の徹底などで説明できるものではなく、山中伸弥教授が「ファクターX」と呼んでいるように、何らかの疫学上の人種的相違、あるいはウイルスと接触した細胞との関係の変容によるものでしょう。
そして自粛や外出規制が被害を少なくしたのではないことは窪田氏も指摘していますし、この事実はもはや常識となっています。
https://news.yahoo.co.jp/articles/542fccde6866d9b910ccbb4ff4b94466c4930282?page=1
ただしこれは、今回の新型コロナウイルスの型については当てはまっても、それ以上のことは何も言えません。
今後の研究成果に期待するほかはありません。
批判Bは、今回のコロナの流行の世界的な傾向について、何も勉強していないのでしょう。

さらにもう一つの批判(批判Cとしましょう)は、やはり批判Aに通ずるもので、まだ政府・自治体が外出規制を出す4月前に、桜の花がほころぶころ、みんなの気が緩んで、感染者数が跳ね上がったという事実がある(つまり、外出自粛に効果があった証拠だと言いたいのでしょうか)というものです。
これも、きちんとデータを調べると、間違いであることがわかります(東洋経済新報社がPCR検査数、検査陽性者数、重症者数、死者数、退院者数、地域別感染者数、年齢別陽性者数など、多岐にわたって、コロナ関係の推移を追いかけている資料。いまも続けています)。
https://toyokeizai.net/sp/visual/tko/covid19/?fbclid=IwAR1K46rf5-f7gEulYku9DhisT4y8M_eWseRRz3IujXUuvGNwyWC8t-SvWII
これを見ると、3月中旬から下旬にかけて感染者数はわずかに増えていますが、跳ね上がるというほどでもありません。
また重症者数、死者数はまったく増えていません。
それが、緊急事態宣言が発出される4月7日前後から急速に増えているのです。
そして宣言の延期(5月7日)前にはいずれもピークアウトしています。
つまりこのことは、自主的な外出規制も、政府の宣言も、どちらもこれらの動きに関係がないことを示しているのです。
批判Cは、感染者数の増減をもって判断の根拠としていますが、そもそもこの判断が間違っています
PCR検査は、日本では実施数も日によって違い、実施地域もバラバラです。ある地域(たとえば東京)で(政治的な理由も絡んで)特定地区に集中的に検査数を増やせば、陽性者数が増えるのは理の当然です(それでも思惑通りには増えていないようですが)。
しかもこの検査は打率7割という低さです。
陽性と診断された人が再検査で陰性となることもあれば、逆もあります。
つまり、マスコミが報道している「陽性者数」の増減というのは、まったく客観性が担保できない数字なのです。
批判Cはマスコミの報道を鵜呑みにしていて、より信頼のおける死者数に言及していません。

筆者は、このたびのマスコミ報道を見ていて、どうして感染者数ばかりを強調するのか、視聴者はどうしてこの報道姿勢に疑問を持たないのか、不思議でなりませんでした。
つまりは、この数字だけでこの疫病がたいへんな病気なのだという印象を植え付けるためだとしか思えなかったのです。
あるいは、頭がそこまで働かなくて、無意識にやっていたのでしょうか。
そうだとすれば、バカとしか言いようがありません。
窪田氏の記事で最大の要点は、こうした全体主義的空気を作り上げるのに、たとえ無意識にもせよ、マスコミと一般国民の大多数とが一役も二役も買っていたという事実なのです。

こういう批判(これを批判Dとしましょう)もあります。
窪田氏の記事には、「日本人はお上の言うことに従う」というステロタイプな思い込みがあって、それが鼻につくというのです。
批判Dも、これによって、彼の記事を最後まで読んでいないことがわかります。
たしかに「管理されたい病」などとレッテルを貼れば、そういう印象を抱くのも無理はないとは言えるでしょう。
しかし彼が言いたいのは、むしろ逆で、大衆はある普遍的な不安や危機的な情報に煽動されると、そこで作られた正義とされるイデオロギーを「自主的に」選択して、それに従わない者を「社会全体にとって害になる」とばかり、容赦なく排除する行動(時には「暴走」)に走るものだという指摘なのです。
そのことを読みえていない批判Dも、窪田氏の記事をきちんと読んでいないと言えます。

ところで窪田氏が言っていることは、思想的にもたいへん重要な指摘なのです。
いったん暴走のエネルギーを持った大衆の情念は、「お上」の規制など平気で乗り越えてしまい、次々に異端を火あぶりにしていきます。
そこには経済的なゆとりを失った人々が不満のガス抜きのために多数参加しているでしょう。
そうして、そこに生じた混乱を一気にまとめ上げるべく、単純なスローガンを掲げたヒーローが登場します。
あるいは、その下に多くの小ヒーローが参集し、弱気な者たちに「正義」を押し付けてマウントするのです。
こうして「全体主義」が完成することは、歴史がさんざんに証明しています。

筆者はこのたびのコロナ騒動に接して、こうした全体主義の影を、国民大衆の「自主的な」姿勢そのものの中に垣間見たのです。
それにほとんど近いことを窪田氏が説いているのを見て、賛意を禁じ得ませんでした。
いま思うことは、何かある言説がまことしやかに流れたら、本当かどうかよく調べること、世の動きの大勢に対してたえず違和を抱く感性を失うべきでないこと、そして、いまだこの国に残り続けているヘンな心理的コロナ後遺症から早く国民が脱却してほしいということです。


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