このごろ気になること。

ちょっと気になったことを
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いきること

2006-01-27 | Weblog
井上美由紀さんが書いた本を読みました。
彼女が18歳の時に書いた本を読んだのです。

 「私は生まれたときの体重が500グラムしかありませんでした。生まれてすぐお医者様から説明があったそうですが、母は私のあまりの小ささに,涙があふれて先生の説明が聞き取れなかったそうです。私の5本の指はまるでつまようじのよう、頭の大きさは卵くらい、太ももは大人の小指くらいだったそうです。それから7ヶ月間、私は病院の保育器の中で育ちました。母はその間、雨の日も雪の日も、毎日欠かさずに、私に会いに来てくれました。母が指を私の手のひらにやると、私はそれをしっかりとにぎりしめていたそうです。・・・・」
などと書かれています。

美由紀さんは生まれつきの盲目になってしまいますが
母親の強い信念のもと、健常者(普通に目もみえ、両手両足もそろっている人)より、がんばれる人になっています。
だから他の盲目の方から、美由紀さんになんでそんなに強くなれるのか質問をされるそうです。

僕がいつも思うことなんですが
目が見えない人や、片足がない人をかわいそうと思うのではなく、
それがその人の特徴であり、それを克服し社会に適応してきたけれど、その人には健常者と同じことは出来ないことがある。だから健常者はそれを理解し、必要なときだけ助けてあげればいいと考えています。

ほとんどの盲目のかたは生まれつき、または失明からどん底に落ち込んだことでしょう。でも目の見える人でもどん底に落ちることもあります。ただそのときに助かる術は、誰かのために自分は生きたいという気持ちです。

美由紀さんは人とかかわることが自分の生きがいと書いています。
自分は気づいていないと思いますが、人間は一人では生まれて来れないし、自分ひとりでは生きていけないことをわかったからそのことを言えるのです。
そして美由紀さんは、その人たちに恩返しをしたいと思いますが、目の見えない自分ではかえって迷惑をかけることをわかっていて、自分より苦しんでいる人を助けることにより、恩返しにしたいと書いていました。
とても18歳が言えることではありません。
40を過ぎた自分でもこの子のきれいな心には勝てません。

自分も30歳の頃、子供が死んで、そして2年後初めての子が産まれ
やっと「いきる」ことの意味がわかりました。
しばらく子育てで忘れていたことを美由紀さんの本で思い出しました。


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