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超速マッハ観光!京都・奈良!(その13)再び春日大社へ・・・春日大社の秘密を暴け!

2018-05-18 23:46:26 | 66号室 2018年5月2泊3日京都奈良
この旅行で春日大社に来るのは、二度目です。


昨日は天気が良かったので景色がとても綺麗でしたが・・・雨の日はどうかな?



鹿はなんだか寂しそう。



雨に濡れた石灯篭も悪くないよね。
当時、砂糖の販売で富を築いた豪商が奉納したもののようです。
・・・デカイですよ。



雨でも、観光客は結構いるんですねえ。
観光地では傘を持ち歩くのが面倒くさいなあ。



何故、春日大社に二度来たのかと言うと・・・『【事前予約制】御本殿(国宝)特別参拝』というのに参加するためです。
前日に来る必要は無かったじゃん、って言えばそうなのかもしれませんが、これに参加する予定の日が雨になるという予報だったので、晴れた日に見ておきたかったんですよ~。
ここが特別参拝のツアーの集合場所です。



参加証と参拝記念のストラップ。
ストラップのヘッドは春日大社の藤をかたどっています。



参加証を貼って・・・特別参拝、開始!



神職さんが付いて、色々と説明をしてくれます。
普通に参拝しただけじゃ分からないことがいっぱいありますよ~。



この石灯篭が、境内に約2000基ある石灯篭の原基となるものです。



春日大社は奈良時代に平城京の守護と国民の繁栄を祈願する為に創建され、藤原氏の氏神を祀っています。
つまり、当時栄華を誇った藤原氏がココを参拝していたわけですね。
でも、国民の繁栄を祈願するために創建されているわけでもありますので、当然一般市民も参拝します。
とはいえ、やっぱり貴族と一般人は区別したい・・・そうしてできたのがこの参道。
当時の話ですが、左の参道が藤原氏専用で右の参道が一般人用です。



この石灯篭には『春日社』と書かれています。
春日社は昔の春日大社の呼び名です。
(その12)で行った『興福寺』と春日大社は深い関係にあって、春日大社が藤原氏の氏神であるのに対して、興福寺は藤原氏の氏寺なんですね。
平安時代に入って藤原氏の勢力が増大するにつれ,興福寺と春日社は藤原氏の氏寺・氏社として尊信を受けるに至ったんですが、神仏習合思想の高揚とともに興福寺は春日社(春日大社)との一体化をはかり,1136年頃に春日社を支配下に置くようになったんだそうです。
はい、これで前回の興福寺と春日大社が繋がりましたね!!



この石灯篭には『春日大明神』と書かれています。
春日大明神とは春日権現(かすがごんげん)のことで、神仏習合の神であり不空羂索観音・薬師如来・地蔵菩薩・十一面観音を本地仏とします。
神仏分離・廃仏毀釈が行われる以前は、春日社(現在の春日大社)で祀られていました。
この春日大明神の石灯篭、境内に約2000基ある石灯篭の中にたった3基だけあるそうです。
3基すべて見付けると願いが叶うそうですよ。
・・・叶った、という話は聞いたことがないって神職さんは言ってましたが・・・(見付けた人がいないだけかも)。
探してみるのも楽しいかも!!



ええ、この中から探すんですよ♪



『南門』に来ました。
この南門には、門にだいたいはあるはずの『社額(しゃがく)』がありません。
社額は門の上の真ん中あたりに社名などが書かれて飾られている額の事です。
まあ、表札みたいなものなんですが・・・ここにはありません。
昔はちゃんとあったそうなんですが・・・。



南門のすぐそばには、こんな石があります。
無くなった社額と関係あるみたいですよ~。



なんと!社額は雷で落ちたのね、ココに!



『中門・御廊』が見えました。
雨の朱色も悪くないけど・・・やっぱ傘が邪魔だね。
昔はここに興福寺のお坊さんたちが並んで座って御祈祷をしたそうですよ。
春日大社の建築物は、山に立っています。
なので、建築物の通路などは斜めになっているところが多いです。
・・・ん?山だから斜め??
平らにすればいいじゃん!・・・って考えますが、それダメ!!
山自体が信仰対象で神様の持ち物なので、削ったりならしたりすることができないんだそうです。
なので・・・あちこち斜め。



中門の前からは御神木が見えます。
その御神木は2本ありまして、一本は真っすぐ伸びているんですが。もう一本は隣の建物の壁と屋根を突き抜いて生えています。
凄いね、あれ・・・。



『桂昌院奉納の灯篭』。
桂昌院は徳川5代将軍綱吉の生母です。



なんだか徳川の時代を身近に感じちゃうね。
神社のこういうところが・・・イイ。



これは『吊灯篭』っていいます。
金色の方が奉納されて間もないもので、50年ほど経過すると右のような青銅色になっていきます。
ちなみに、吊灯篭の奉納は200万円、石灯篭は400万円だそうです(ああ、神社ってホントお金でできてるんだなあ)。
吊灯篭は奉納(ぶっちゃけ発注)から1年ぐらいで出来上がるそうです。
ハンドメイドの上、職人さんが少ないそうですから・・・。



この御廊、三年前から参拝客が歩けるように開放(有料ですが)されました。
それまでは神職しか入れなかったんですが、神主さんが変わって「一般参拝客にも」ということになったそうです。
現神主さんの大英断だって!
で、ここも斜め。



ツアーは中門の右裏を通って『御蓋山浮雲峰逢拝所』に向かいます。
坂ばっかりだねえ。



武甕槌命(タケミカヅチノオ)が白い鹿に乗って降臨したとされる場所です。
白い鹿は白タクじゃないよ。



これがその説明です。



確かに・・・神々しい感じがします・・・。



中門に来ました。
ここには特別な吊灯篭があります。
これは『直江兼続(なおえかねつぐ)』が寄進した吊灯篭。
直江兼続は戦国時代から江戸時代前期にかけての武将で上杉景勝を主君とする米沢藩の家老です。



『宇喜多秀家(うきたひでいえ)』が寄進した吊灯篭。
宇喜多秀家は、安土桃山時代の武将で大名。
豊臣政権下末期の五大老の一人です。



『藤堂高虎(とうどうたかとら)』が寄進した吊灯篭。
藤堂高虎は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将で大名。
伊予今治藩主で後に伊勢津藩の初代藩主となりました。
加藤清正などと共に築城の名人と呼ばれました。



『5代将軍 徳川綱吉』が寄進した吊灯篭。
生類憐れみの令(しょうるいあわれみのれい)が有名ですね。
「生類を憐れむ」ことを趣旨とした動物・嬰児・傷病人保護を目的としたアレです。
これが後に犬猫、昆虫にまで及んで、御存じの通り町民たちを苦しめる天下の悪法になったわけです・・・。
それにしても、凄いもの見ちゃったなあ。
昨日来た時には全く気にせずにスルーしちゃったよ。



この階段・・・凄いね。
捻じれて台形になってます。
『捻廊(ねじろう)』といいまして、かの有名な左 甚五郎(ひだりじんごろう)が作ったものだそうですよ。
左 甚五郎は江戸時代初期に活躍したとされる伝説的な彫刻職人です。
この人の彫刻はとんでもない高値になるそうな。



その詳しい説明です。



そしてここが『本殿』です。
本殿の正面からの撮影は厳禁なんですが、この位置からの撮影はOKです。
まあ、撮影できる範囲は限られていますが・・・。
この朱色、他の場所の朱色とちょっと色味が違いますね。
赤茶色が濃いような色合いです。
この朱色の染料には鉛が使われているので、法律上、今後使用できるかどうかが難しいそうです。
奈良時代から続いたこの色合いは現代の法律によって失われていくのか、それとも特例で守られていくのか・・・。



お?飾り瓦が・・・!
これ、桃です。
桃には魔除けの力があるそうですよ。



おお!!
神職さんが・・・!
こんなに大きな神社で、なかなか姿を見られるものじゃないなあ。



ふふふふ、楽しいツアーでしたよ。
知ることと知らないこととでこんなにも違いが出るのか。
趣味って、そういうものだよね。
次回、これは楽しかった!
墨っす。
お楽しみに!!!
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