コドモの王国

文部科学省解体による教育自由化で、
効率のいい学習方法が日本中に広がる、
と思っているブログ。

無力感

2012年07月17日 | weblog
いまテレビでは、連日のように
いじめによる自殺をした中学生の事件を、報道している。

そして私自身、そのことをキッカケに、
このブログの事を思い出し、こうして
何年ぶりか書き込んでいる。

誰も責任を取らない教育システムは、
この事件をもってしても変わらないだろう。

記者会見をしている校長をつるし上げるぐらいで、
問題の本質が変わることはないだろう。

変わらない事を前提として、
この糞ったれな教育システムで、
現役の中学生として生活している人たちに、
私が言えることは、

日本中の中学生、数百万人の中には、
将来、暴力団員やチンピラになる人間が、
確実に存在していて、

そういった暴力的人間にとって、
排除されることもなく、教室にい続けることができ、
暴力で、周囲の真面目な生徒を威嚇し、攻撃すればするほど、
自分が教室の中で「王様」のごとく振る舞える今の教育システムは、
自身の人生の黄金期と言えるほど、居心地のいいものなのだ。

そして、その最大の犠牲者となるのが、
将来、社会人となって、この国を支えてくれる勤勉な労働者に
なるであろう「真面目な生徒」なのだ。

だから暴力的人間に執拗な攻撃をうけたのなら、
学校にいかなくていい。

大人だって、会社に暴力団員がいて攻撃されれば、
会社には行かず、警察に相談します。

暴力に耐えてまで学校に行くなんて、危険な事です。

教師や教育委員会、文部科学省は、何の責任も取りません。

犯罪レベルの攻撃を受けているなら、
犯罪のプロ、警察に相談し、学校には行かないでください。

いま、あなたの教室でいい気になってる暴力的人間は、
社会にでれば、誰にも相手にされない「社会のクズ」
「人生の敗北者」です。

あなたが、そんなクズのために自殺を考えるのは、
馬鹿げたことです。

そして、そんなクズを排除せず、責任も取らない
教育システムのために、自殺するなんてありえません。

あなたには、将来、好きな人達とドライブに行ったり、
笑い転げてる楽しい20代が待ってるのですから。




最後に。

2008年11月30日 | weblog
私の中には、こういった方程式があります。
国のシステム×国民の努力国民の幸福力である。

軍国主義のシステムに、国民の努力をかけても、国民の幸せは少なかった。
民主主義のシステムに、国民の努力をかけたら、国民の幸せは増大した。

それの教育版として、新しいシステムにするべきだという思いがあります。

現状の教育システムに、学生、教師の努力をかけても、学ぶ幸福感は少ない。
文部科学省を解体して、
新しい教育システムで、学生、教師の努力をかければ、学ぶ幸福感は増大する。
というものです。

その思いをこのブログに叩きつけました。

教育関係者の方を、徹底的に罵っています。
それは「現場での努力」に対してではなく、その努力を台無しにしてる
「システム」に対して、なぜ改善しようとしないのか、その「無関心さ」に
対しての罵声であります。

目の前で、「浮きこぼれ」「落ちこぼれ」が続出している教室で働き続けて、
教師として、このシステムがおかしいと思わないの?
生徒達と教師達の努力が空回りするこのシステムを変えようと思わないの?
そういった怒りであります。

  最後に、自作の詩を載せます。
  現状の教育に対して、自分が言いたかったことが
  すべて詰まっている、と思えたから。
  今までブログを読んでいただき
  ありがとうございました。


 『或る告白』

 俺達の絶叫は生け捕られた
 沈黙だけに席は与えられる支配
 憂鬱な炎に焼かれ黒焦げになった魂が並んでゐる

 授業中 俺達の大半は陽も届かぬ深淵で
 想ひ想ひの泳ぎをしてゐる深海魚
 遥か天上で教師の声がする
 真摯な想ひは受け止められることは無く
 俺達は意味の無い歳の取りかたをする
 食ひ散らされた時間が散乱し 冒涜は続く

 俺達は襤褸塗れの外の世界で暮らす人間では無く
 飼育器の中の綺麗な世界で生かされてゐる蟲なのか
 身を潜めた獣の群が残酷な昼間の光を遁れ
 真夜中 自由の荒野で咆哮してゐる
 惨忍な扱ひを赦したその先に何が有るのだと

 それでも俺は待ってゐる
 一滴の叛逆がやがて大洪水を生みて
 穢れた大地を清めることを




















I LOVE ニッポン

2008年11月30日 | weblog
思いつく限り、勝手にかかせてもらいました。

この中で書いた教育方針は、教育が、他業種のように
自由競争の原理の中に置かれていたら、これぐらい
とうにやってるだろうな、と思ったことを書きました。

これを読んで共感する方も、そうでない方もいらっしゃると
思います。

ただこれだけは、大勢の人と同じ気持ちです。
それは
「日本がだいすきだー!!」
ということです。

この国で生まれ、育ち、年をとり、亡くなっていく、その過程を共有している
すべての日本人が、1回でも多く笑い、幸せを感じてほしい。
そう願っている多くの日本人の、私もその1人であります。

そのためのひとつに、私の目には教育改革は不可欠に映っていました。
このブログを読んだ方なら分かって頂けると思いますが、
「文部科学省解体」イコール「勉強しない」ではありません!
むしろ逆です!
真の意味で「勉強するため」の「文部科学省解体」なのであります!
分かりきった授業を聞かされている浮きこぼれは、その時間、真の意味で勉強
してると言えるのか?
分からない授業を聞かされている落ちこぼれは、その時間、真の意味で勉強して
ると言えるのか?
私の答えはこうです。
勉強なんかしていない!ただの時間の垂れ流しだ!!
そんな気持ちをブログにぶつけていました。

とりあえずぶつけるものが、私の中から消えたようです。

これから書く予定がありません。

アクセス・ランキングを見ると、長いこと書いてないときでも20人ほどの
方がみてくださり恐縮であります。

それは本当に、宝物をもらってるようなありがたい気持ちでありました。

ただただ感謝であります。








教育方針 9

2008年11月30日 | weblog
資格を取るために「高卒以上」「大卒以上」でないと、試験自体受ける
ことが出来ない。
会社に就職するにも、「高卒以上」「大卒以上」でないと応募することも
出来ない。
という、そんな学歴差別を法律で禁止する。

義務教育さえ受けていれば、どんな難関な資格の試験でも受けれるし、
一流企業にも応募できる。

もちろん大部分は、試験に受からないし、就職することも出来ないだろうが、
なかには、中卒でも受かるレベルの資格試験、仕事もこなせる業務内容なのに、
世間に対して箔を付けたいのか、意味もなく「高卒以上」「大卒以上」でないと
チャンスすら与えないものが、世間には満ち溢れているから、それを根絶するのが
目的。

あと新生・文部科学省の教育方針だと、高校3年間で学ぶ内容を、ほぼ完全に
理解している者が「高卒」になるわけだが、「7・5・3」と言われてる現状を
当てはめると(ほぼ理解してる生徒が、小学校で全体の7割、中学で5割、高校で
3割と言われている)、全体の3割しか「高卒」になれない。それも考慮しての
学歴差別の撤廃である。

小学校の問題も解けない者を「高卒」にしてきた、今の無責任教育システムに
馴れた人たちには、なかなか「高卒」になれない。「中卒」すら難しい、
新生・文部科学省に不満を感じる者もいるだろうが、真の意味での「学力向上」
とはこういう事だということを理解してほしい。

そして、だからこそ義務教育の範囲を、今の中卒から小卒に引き下げたことも
理解してもらえると思う。

義務教育にあたる小卒後、専門学校のような実践教育を受けてもらうのも、
実は理解できてないのに、聞き流して過ごした中学、高校の無意味な垂れ流しの
6年間の莫大な損失を考えると、このほうが社会人になっての武器、就職に
役立つ能力が身につくからだ。

日本人の大部分が「高卒」「大卒」と高学歴だったのは、学力が高いわけでは
なく、「高卒」「大卒」でないと、無意味に試験も就職もさせない、学歴差別の
社会の仕組みと、理解してない者を、無責任に中卒、高卒、大卒にしてきた
教育システムの両者から産み出されたものだと、白日に晒されるだろう。

低学力の中身のくせに、高学歴の皮を被った、そんな役立たずを大量に
産み出し続けた日本社会。
理解していない授業を、中学、高校と受けさせられ、世の中に出て役に立つ
能力を手に入れる事が出来ない環境で時間だけが流れ、役立たずにさせられた
膨大な学生の群れ。

そんな恥ずかしい国家からの脱却なのである。

教育方針 8

2008年11月24日 | weblog
8・第1段階の「義務教育」を終えた者は、
  第2段階の「実践教育」に移る。ただし、義務教育のような強制力はない。
  本人が受けたくないなら受けなくて良い。その事で将来、損失があったとしても
  自己責任なので。(もちろんいつでも入り直すことは可能。)

 【「実践教育」の段階は、今の「中学教育」の学習をしながら、「専門学校」のような学習も並行にやる。
  現実的にいって、いわゆる「一流大学」にはいり、「お勉強だけ」で、世の中を渡っていける者は、1割も満たない。その現実から目を逸らさずに考えれば、「専門学校」的な知識、技術の習得は、9割以上の者には有効だからだ。

  まだ10才から14才くらいの者に、一生に渡る自分の職業を選択するのは、困難なので、専門学校の入学から3ヶ月ぐらいで学ぶものを、複数体験、習得する。
  最大の目的は、いつかなる「社会人」に向けての覚悟、自覚であり、何が自分に向いていて、何が実際にやってみると向いていないかを、知ることである。

  このような事、今は高校を卒業してやっと体験できるが、専門学校に入学し、体験した後に、向いてない事を知り、退学。高い入学金が無駄になるという事があとを絶たない。そのような膨大な時間と金銭の浪費を防ぐ。あと専門学校にかかる高い入学金、授業料も、最初の3ヶ月ぐらいの内容で、文部科学省が全国的に展開することで、生徒側に金銭の負担がほとんど無いように出来る。
  自分に合ってるものが見つかれば、いつか高い入学金を払っても、やめる生徒は減るだろう。

親が金持ちでなく、本人も特別な才能がない、大部分の人たちにとって、
『時間』だけが、それだけが、唯一の武器となりえるのだ!!!
これまでの、中学、高校のドブに捨てた6年という時間を有効に使い、
一生続けられる仕事を見つけ、就職、再就職できる実践的な力を手に入れるのだ!!
プロ野球選手になれないものに、野球の練習をさせ続けることが残酷なように、
一流大学に入れないものまで、「お勉強」だけをさせた残酷で無責任教育からの解放である!!



  

教育方針 7

2008年11月24日 | weblog
7・教師は、伝達能力の向上に専念するかわり、それ以外の業務は基本しない。

 【部活の顧問なども、地域の協力者がいるなら、優先してその方にまかし、教師の負担を減らす。校外に出て非行防止のパトロールもしない。学校の敷地外の出来事は、生徒自身とその家族の責任である事を明確にする。つまり有名進学塾の講師と変わらない存在になる。伝達能力の劣っている教師は、退職してもらう。教師にも、「普通の社会人」並の競争原理の中で仕事をしてもらう。】



教育方針 6

2008年11月24日 | weblog
6・教師は、知識を伝達する能力の向上に専念する。

 【新生・文部科学省の教育方針で、授業を妨害する生徒は皆無になったのだから、ノイローゼになる教師の数も激減するだろうから、
  習得するのに5年かかるものをどういう教え方なら4年半、4年、3年に出来るか、提案、実践する。たとえば英語。今の教育だと、日本人の100人に1人も英語をマスターしていないし、その事の改善もせずに、出来損ない英語教育をして、英語教師は平気で給料を貰っているが、そのような事は、新生・文部科学省は許さない。
『試験』があることで、英語嫌いになるなら、試験を撤廃して、英会話を楽しく
触れ合うことを、2,3年やるなど、、あらゆる事を地区を限定して同時に試していく。そうやって、効率の上がる学習方法のノウハウを蓄積していく。(こんな事は、普通の企業は当たり前にしているのだが、結果を出さなくても責任を取らなくていい今の教育システムでは、こういう方針をわざわざ示さないといけないから)
  100人に1人を、2人3人とし、20人ぐらいまでに向上させる、
  考えればすぐ分かるが、100人に20人、つまり5人に1人の日本人が英語をマスターしたら、どれだけの国益になるかを!!!】



教育方針 5

2008年11月24日 | weblog
5・「義務教育」を第1段階とし、それを、11才や10才、9才で終了してもちろん構わない。そして理解する能力が遅い者も、15才を過ぎても、20才を過ぎても終了させるのを前提とする。

 【「義務教育」というものは、それだけの重みがあるという事です。】



教育方針 4

2008年11月24日 | weblog
4・生徒個人個人の学習能力にあわせて、授業スピードを決めます。
  全国共通のテストが、各教科の各課程ごとにこまかくあり、それに合格した生徒は次の過程に進み、合格しないかぎり、
  次には進めない
  これにより、分かりきった授業を聞かされる「浮きこぼれ」、分からない授業を聞かされる「落ちこぼれ」を皆無にします。

親の経済状態の悪化で、高校を中退する生徒も、救えます。
学校に通えない状況になった生徒も、全国共通のテスト受け続けて、独学で、歩みは遅くても卒業できるからです。

これまでの『教師が授業しやすいための、日本教育』をドブに捨て、
本来あるべき『生徒が勉学を身につけるための、日本教育』に変われば、あらゆる生徒が救われるのです!!

そして、文部科学省は、莫大なお金を手に入れることが出来ます!!
理由はこうです。15歳以上、もしくは18歳以上の人からテストの受験料を取るのです。
50円や100円程度でかまいません。それでも莫大なお金が、文部科学省に
入ってきます。
「漢字」だけの「漢字検定試験」で、あれだけ儲かるのです。
文部科学省公認の、あらゆる教科の、細かいランク付けされたテストは、
途方もない収入源になるでしょう。

学ぶ人の立場に立ったこの「優しい」教育システムは、
喜んでお金を支払う、巨万の富の「善循環」を発生し、
文部科学省を「金のなる木」に変貌させます!!
世間の大勢の人に喜んでもらえる「優しいもの」「便利なもの」を、
提供した企業が、当然の報酬として、世間から莫大な利益をいただくように、
新生・文部科学省は胸を張って、巨万の富を手に入れればいいのです。
そして、そのお金でさらなる教育サービスの向上をはかればいいのです。







教育方針 3

2008年11月24日 | weblog
3・義務教育は小学校までとする。

 【「義務教育」とは、日本人に生まれた者が最低限身に付けて置かないと、社会人としての生活に支障がでるほど必要不可欠な知識の事を指します。
  ですから、子供が学校に行かず、外で遊んでいる自由を踏みにじり奪い、泣こうが喚こうが、「強制的」に身に付けさせる必要性のあるものです。そして教師サイドも
  身に付けさせる「責任」が発生します。今の中学校のように、ほとんど理解してない生徒を「卒業」させるという「無責任」は「新生・文部科学省」は許しません。
  そう考えたとき、きちんと理解しないといけない生徒、きちんと理解させないといけない教師、その両者の負担を考えたとき、小学校4,5年生までの知識に、中学1年の2学期ぐらいまでの英語を加えたものが、「責任をきちんともつ」新生・文部科学省の義務教育の範囲であります。】




教育方針 2

2008年11月24日 | weblog
2・学生は教師の指示に従い、従えない者は、教室および学校から退場させる。
ただし、学習内容は、文部科学省からの一方的な押し付けでなく、学生側からも、学びたい知識、得たい技術を主張出来る。それを、受け入れるにしても、却下するにしても、その理由を文部科学省は明らかにする。

 【社会人になって、会社の上司などの指示に従えない者は、会社から退職させられても
  当然なので、学生時代からその苦痛を体験し、克服するのが目的です。
  今の教育では、教師の指示に逆らう「不良生徒」が、追い出される事もなく、逆に
  教室を我が物顔で威張ってるという「社会人」では考えられない「非常識」な状況が
  まかり通っているので、その「異常事態」を、社会人として当然の状況に戻します。
  親がその事に対して抗議をしてきても、一切受け付けない。そういう親に対しては、
  「これが会社で、あなたのお子さんが会社員で、上司の指示を受け付けず、逆らう事
  しかしないので、退職させられた時、あなたは会社に抗議しますか?しないでしょう?
  そんな非常識な会社員は退職させられて当然ですし、その会社員の親も、自分の子供
  の未熟さや、そんな子供に育てた自分を責める事はあっても、会社を抗議するなんて恥ずかしい事できないでしょう?」と説明する。
  もう一度言います。学生時代は、社会人になるまでの「猶予期間」です。
  社会人になって、通用しない、逆に弊害となるような考え方、習慣を排除する時期なのです。まちがっても増長させるところではありません。

しかし、社会人においても、上司の側が、セクハラ、パワー・ハラスメントと問題行動をしていれば、部下の側が正当な抗議が出来るように、教師の側に問題がある場合、生徒がその事を告発できるようにします。

授業の内容について、生徒側が参加するのも、無意味だと思える授業なら受けなければいいし(義務教育を卒業しているなら)、学校での貴重な時間を、本人が納得した形で過ごすべきだからです。

生徒側も納得した授業内容で、その授業をする教師の進行を、生徒も邪魔せず積極的に参加し、教師側もより理解しやすいように技術を磨く。
本来あるべきこのような授業を、実現します。】



教育方針 1

2008年11月24日 | weblog
1・決められた時間に登校し、決められた間、学校の敷地内・教室に拘束され、
  決められた時間に下校する。
 【これは今の教育となんら変わりません。社会人は決められた場所(会社、工場などの
  職場)に、決められた時間、拘束されることを、退職するまで何十年とやり続けるので、
  そのことの苦痛を学生時代から体験し、克服するのが目的です。】



新生・文部科学省

2008年11月24日 | weblog
余りに無力な一個人に過ぎない私ですが、
『文部科学省解体』後の、
新しく生まれ変わった『新生・文部科学省』は、
こういう教育プログラム、教育方針でやる、という
ものを、書きたいと思います。

『新生・文部科学省』の教育方針、
その大前提は、学生時代は社会人になるまでの「猶予期間」である!という事。
この大前提から、すべてが始まります。






メモがわり

2008年11月22日 | weblog
しばらく書いていませんでした。

今回書く気になったのも、100%自分自身への
独り言として、今思っている事を忘れないための
メモがわりに、書きたいと思います。

職業を訊かれたら、「会社員」「学生」など、みなさん、それぞれ
答えると思います。

で、何をするのが本業と訊かれたら、
・「会社員」→「会社の利益を上げること」
・「学生」→「学業をがんばる」
と答えると思うのですが、

実際、学生が答えるのは、
「学業をがんばる」より、「友達に会いに行く」というのが多い。

別に楽しければそれでいいんですが、効率の悪い学習システムの中で
学生として膨大な時間を使い、落ちこぼれはじめても、フォローする
仕組みがない無責任な教育関係者に囲まれて、本業である学力向上に
向かうことなく、分からない授業を聞き流して、貴重な10代の時間を
ドブに捨ててる。

そして本業ではない、「休み時間」「部活動」で「友達と盛り上がる」
ことが、本業にとって変わっている。

人気テレビ番組「ヘキサゴン」を観てる方なら分かると思いますが、
おバカが売り物の人気タレントの人たちは、小学校の問題も解けません。
でも彼ら、彼女たちは、中学や高校を卒業しています。

どういうこと???

高卒どころか、中卒どころか、小卒の学力も無いのに。

日本中の教育関係者に、100万回こう叫びたい。
そんな無責任なことして給料もらってるお前らは、ヤクザと変わんねーんだよ!!

でも学力向上しなくても、高卒になれることを、ラッキー、と、
思っている学生が多数いるのも事実だ。

俺はマジメすぎるのか?
お金持ちの家の子でもなく、才能もない、大部分の10代にとって、
社会にでるまでの猶予期間である学生時代は、一生を左右する。

それなのに、ついてこれない授業を平気でしている教育関係者、
友達に会いに行くのが、目的の学生。

なるほどなあ。
「お金」より大事な「時間」を、垂れ流す事が我慢できない自分と、
楽しければいいじゃん、という人たちとは、一生分かり合えない、
そう今の時点では確信した。

司馬遼太郎の『俄(にわか)』という小説の中で、「善人」について
書かれているところを、抜き出します。
「善人とは、小心で毒にも薬にもならなくて、一向に前後の見通しが
なく、常に大きいものに巻かれることをもって生き方としている人間」
「しかし考えようによっては善人ほど始末にわるい悪をする者はない。
○○のため、という立派な『善』に装飾されていれば、人の命も奪おう
とする」

なぜ司馬遼太郎の言葉を紹介したかというと、私には、今の教育問題は
突き詰めれば、役人、教師、父兄、生徒、そのすべての「無責任な善人ぶり」
が、その元凶だと思えるからです。

今までの流れに乗っているだけの善人の集まりが、「楽しければそれでいい
じゃん、新しく始めるの面倒くせえじゃん」ぐらいのノリで、それだけで、
教育改革もせず何十年とやってきた。

この悪人のいない、悪意のない、流れに身を任せるだけの「思考停止」の
巨大な流れが、教育だけでなく、日本の様々な問題を深刻にさせ、
しまいには致命傷を負わせるのだろう。

そして、日本という「巨木」が国家として倒れる日、私はその悲しい姿を、
その振動をきちんと、目を逸らさず焼き付けようと思う。

「思考停止」のツケを払う日は必ず訪れる。
日本が破綻した日が、日本が新しく生まれ変わる日なのだ。

「思考停止」の巨きな流れは、そうでもしない限り止らない。
それが、教育についてブログで書いてきた自分の、誇張のない
実感です。







学校とは『飼犬の幸福』を教え込むところ

2008年11月08日 | weblog
学校とは、究極的に何のために存在し、何を教えるために在るかといえば、
「飼犬の幸福」を教え込むために存在しているということです。

将来、自分たちを飼ってくれる企業という「ご主人様」に気に入られるよう
調教される場所。それが学校です。

だから、自分で会社を作ったり、才能で暮らしていける起業家、芸術家のような
「野良犬」は学校に行く必要はありません。

そのような才能のない大部分の人が、将来、車や家を購入し、結婚するためには
どこかの企業で長年働く必要があります。企業に気に入られる存在にならなければいけないのです。

そのような存在、「立派な飼犬」「人気のある飼犬」になるために学校に通っているのです。

決められた場所で、決められた事をする。その中でより上手に出来るよう日々訓練しています。

社会人は、「この仕事をしてくれ」と会社から言われればそれをこなさないといけません。

だからそういう人間になるための練習として、学生は、「この勉強をしてくれ」と言われればそれをこなしていくのを求められます。

だから当然「飼犬タイプ」の人にとって、学校は居心地のいいもので、
「野良犬タイプ」の人は、学校はどうにも馴染みにくいところになります。

以前このブログで取り上げた新米教師になる女子大生は、学校大好きな典型的な
「飼犬タイプ」の人です。担任の先生がいれば、尻尾を振って近寄って、ワイワイ話す。決められた文化祭、体育祭に夢中になれる。
「ご主人様」である「学校」「教師」からはとても可愛がられる飼犬です。

一方、「野良犬タイプ」は大変だ。担任だからって理由で、尻尾を振る理由も発想もない。文化祭、体育祭のイベントも教師の手の平にのせられた退屈なイベントだと感じる。自分に対して上からものを言う「学校」「教師」の「ご主人様」的態度が気に入らない。もちろん教師たちからは好かれるはずもない。

飼犬タイプの人には何も言う事が無い。そのまま突き進んでください。
半径10メートルの円の中で遊んでおきなさいと、親、教師、学校、会社、国家に言われれば、疑問に思わずそれに従い、その行動範囲のなかで「喜び」を
見出すあなたは「飼犬の幸福」の達人です。

そして野良犬タイプのあなた、気をつけましょう。
私自身、私の友人たち、そんな野良犬タイプの人間からアドバイスをさせていただけるのなら、「才能」で「野良犬」として暮らしていけるのは、ごくごく一部で
残りは「飼犬」として生きています。

社会人になっても、年間100日から120日の休日はあります。(会社によりますが)その休日で自分のやりたいことをやり、才能を証明できれば、「野良犬」として鎖の無い自由生活を楽しめばいい。

それまでは「飼犬」としてやっていかないといけないし、一歩前向きに考えて、
その中で面白さも見つけないといけない。そういう発想やしたたかさは必要です。

物事の本質を、いつだって野良犬タイプは見抜いていて、飼犬たちは尻尾を振るだけの根性なしだ。

私はそう思ってきたし、これからもそう思います。

ただ「飼犬」のしたたかさも、野良犬タイプは学ぶべきだと思うこのごろです。

「学ぶ喜び」が教育の本質なら、文部科学省は解体すべきです。
「飼犬に調教する」のが本質の文部科学省。

10代の野良犬たちは、その本質を見抜き噛み付く。
私はその純粋さが好きだ。

だからこそ、飼犬たちのしたたかさも手に入れて欲しいと心から願います。