奈良市北部・高の原の昆虫

奈良県と京都府の境の町、高の原周辺の昆虫を紹介します。
旅行や、でかけた先のお店や、日々の事などもつらつら。

クロメンガタスズメ、決死の蜂蜜強盗

2009年02月27日 | チョウ目ガ スズメガ科
2008年9月の何日だったか、
クロメンガタスズメの四齢幼虫を、 庭のコムラサキで見つけました。


一昨年夏にも、黄色いクロメンガタ幼虫を1頭見つけたけど、
それは何故か、普通のアサガオについていたのでした。
その時も、しばらく観察していましたが、アサガオを食べないので、
元のアサガオに戻したら、居なくなりました。

Photo
これは一昨年(2007年)のクロメンガタスズメ。

本来、クロメンガタスズメは、
普通のアサガオは食べないはずなので(ナス科のアサガオを食べる)、
なぜアサガオについていたのか、どこから来たのか謎でした。


コムラサキを食べていたのかあ~。
やっと分かりました。


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こちらは2008年のクロメンガタスズメです。

やっと食草が分かったので、今度は堂々と、
飼育ケースで観察しました。
終齢になっても、なかなかサナギになろうとせず、
ず~っと、食べています。
同居させていたオオスカシバが蛹化し、
その次に連れてきたオオスカシバも蛹化しても、
まだずっと食べ続けています。
写真の幼虫は、頭を下に向けて写っていますから、
頭をまっすぐにしたら、もうちょっと長いです。
存在感もなかなかのものです。

9月26日、
やっとサナギになりました。

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向かって左がクロメンガタスズメのサナギ、
右は比較用にオオスカシバのサナギです。
スズメガ科の中でも、かなり大きなサナギなのです。


このまま越冬かと思っていたら、10月25日に出て来ました。

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こんな顔です。もっさりしています。
スズメガ科もそうですが、ガの成虫には、
大きなおめめが、まんまるキョロッとついている者が多く、
アップで見るとえらく可愛いものです。

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あらら、もう、秋も深まろうかという頃に大丈夫なのか。
しょうがないので外に放しました。


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壁にとまってさかんに羽ばたきをしていましたが、何でしょうか?
まさかオオスカシバのように、鱗粉を落としたりはしないので、
単なるウォーミングアップなのでしょうか。

このクロメンガタスズメ、
ミツバチの巣を襲うことで有名です。
私は目撃した事はないのですが、
そんなに蜜が食べたいのでしょうか。
もちろんミツバチの攻撃にあって、死ぬ者も多いはずです。
蜜が食べたいなら、花から貰えばば良いのに、
なんでこんなややこしい事をするんでしょう。


あと、「鳴くガ」ということでも知られています。
幼虫もサナギも成虫も鳴くらしいのですが、
自分は成虫の声しか聞けませんでした。
「ギッ」とか「ジジッ」といった鳴き方です。
セミの声に似ていました。アブラゼミをつついた時みたいな感じです。


背中には、お面のような紋があります。
クロメンガタスズメの名前の由来です。
映画「羊達の沈黙」に出て来たガは、メンガタスズメの仲間です。
なんというか、不名誉な形で有名になってしまって気の毒です。

その紋ですが、ちょっとウサギに似ていませんか?

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(無理があるでしょうか)

同じクロメンガタでも、背中の顔にはいろいろあるようです。
ケロロ軍曹に似ている顔を見た事があります。





ゴマダラチョウ、コアラ顔の幼虫

2009年02月25日 | チョウ目チョウ タテハチョウ科
冬に、音浄ヶ谷公園の、エノキの木の下の落ち葉から、
ゴマダラチョウの幼虫を拾って来て飼育していたのですが、
2008年6月、ウチのエノキに、待望のゴマダラチョウの1齢幼虫を見つけました。

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とても小さいです。
孵化したては角がないのだと教えていただいて、
やっとこれがゴマダラチョウの若齢幼虫なのだと知りました。


2齢に脱皮すると、やっと、あの角が見られました。
若齢幼虫の角って、可愛いですね。
動き回る幼虫にピントが合わなくて、写真が撮れなかったので、
動画で撮りました。


(バックの音が「巨人の星」ですね、えらいミスマッチですみません)


3齢~4齢の幼虫は、その幼い姿がなんとも言えません。
虫嫌いの人にすら「かわいい~!」と言わしせしめる、
コアラ顔の魅力です。
 

歩いています。
 

アップです。
 

幼虫の脱皮の様子です。
頭の殻が取れているのですが、なんだか頭が2つあるように見えます。
身体の方も、半分以上、脱げていますね。
 

終齢になり、いよいよ蛹化です。
まずはおしりでぶらさがって、前蛹になります。
最初は前の手(いや、脚ですね)でも葉につかまっているのですが、
やがて手(脚)をはなし、完全にぶらさがります。
 

サナギへの脱皮がはじまりました。
頭からおしりへ、
写真で言うと下から上へ向かって脱いでいきます。
器用ですね。


サナギの形になりました。
脱いだ皮が、上の方に残っています。
この皮が残っていると本人は気持ち悪いのか、
必死でクネクネして落とそうとします。
見ていると面白いですよ。
皮が落ちると拍手してやるのですが、
なかなか落とせなくて諦めてしまう者もいます。

2~3週間程で羽化します。
 
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きれいなオレンジ色の眼をしています。
口吻は黄色です。
 

顔の写真です。
 
あとは外へ放すだけです。
 
エノキの葉が落葉した公園へ、ゴマダラの幼虫を拾いにいきます。
エノキの根元の落ち葉に幼虫がいるのですが、
その落ち葉を冬の間に清掃されてしまうからです。
拾った幼虫は、全部飼育しきれないので、春に戻しにいきます。
幼虫は、迷う事無くエノキの上の新芽目指して登っていきます。


 
 
 
2月4日に、羽化不良で出てきてしまったキアゲハが、
本日未明に死んでいました。
20日生きましたか、本人も無念だろうが、 自分自身、
羽化不良なのを生かしておくことへの疑問は、死ぬまで解けないだろう。
自分が死んだら分かるのかな、どうだろう?

亡がらは、食草の根元に埋めてやりました。
食草として生まれ変わり、後進育成の為の栄養となるでしょうか。


テングチョウ、金魚マークの生きた化石

2009年02月24日 | チョウ目チョウ タテハチョウ科
テングチョウのサナギを見つけて持って帰っては、
寄生バチとこんにちは。
そんなことが3回あり、諦めかけていました。

自宅周辺では成虫すら見た事無いのに、なぜかサナギだけ
見つかるんですよね。


2008年4月末のある日、庭のエノキに幼虫を見つけました。



う~ん、これは何だろう?
エノキなので、ゴマダラチョウかテングチョウか?
どちらも初齢幼虫を見た事がなかったので、
とにかく寄生されないよう、屋内に取り入れました。


しばらく育つとこのポーズをするようになりました。

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ああ、これは、写真でしか見た事の無い、
テングチョウ幼虫の、威嚇ポーズです。
これでも威嚇なんですよ、怖くもなんともないのですが、
誰に対して効き目があるのでしょう。

テングチョウは、その原始的形態と、化石でも発見されていることから、
恐ろしく昔からいるチョウということで、「生きた化石」と呼ばれているそうです。
原始的形態と言っても、どこが原始的なのか自分は分かってないのですが、
あの天狗の鼻状の突起(パルピ)もその一部なのでしょうか。

タテハチョウ科テングチョウ亜科に分類する考え方と、
テングチョウ科テングチョウとして分類する考え方があるようです。
自分も後者の方が好きなのですが、
当の本人達にとってはどうでもいいことですよね。


食草は、上に書いたエノキの仲間です。
エノキに、なんでかモンシロチョウの幼虫がいるなあ、と思ったら、
それは高確率でテングチョウの幼虫です、ここポイント。

「エノキにモンシロチョウのアオムシがいるなあと思ったら、
 それは大抵、テングチョウの幼虫ですよ!」
はい、大事なことなので、2度言いました。


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前蛹になりました。
クルッとなっていますが、おしりで葉にくっついています。


Photo

脱皮してサナギになりました。
このサナギの付いていた葉、別の個体に食べられてしまいました。
大きさは、上から下まで1.5センチくらいだったでしょうか。


時が経ち、羽化直前となりました。

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中が透けて見えます。
今までのサナギは、全て寄生されたサナギでしたが、
やっと、まだ見ぬ成虫に会えるのか。


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ちょっと油断している間に、出ていました。

テングチョウの翅には朱い紋がありますが、
これ、金魚にそっくりと思いませんか?
リュウキンですね、ウチにもいます。


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テングチョウの顔です。


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庭のエノキに乗せて、さようならです。
次代の産卵もここでよろしくと、宣伝しておきました。


テングチョウの発生は、年1回です。
梅雨~夏の初めに成虫が羽化し、暑い夏には木陰で夏眠して過ごし、
秋には起きて、冬を越し、春に産卵をします。
身近なチョウの代表として、例えばナミアゲハの寿命が2週間程ですから、
テングチョウはとても長命ですね。





オオスカシバ、「鷹の眼」を持つガ

2009年02月23日 | チョウ目ガ スズメガ科
自分は、昆虫の何が好きかって、
プニプニとした幼虫が好きなのですが、
このオオスカシバだけは、成虫が大好きです。
スズメガ科のガの仲間です。


幼虫時代は、まあ、アオムシですね。
シッポ以外は取り立てて可愛くないというか、
身体のシワシワも、マイナスポイントというか。
勝手なものですね。

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クチナシの葉を食べて、どんどん育ちます。
一部クチナシ愛好家からは、「オスカー」と呼ばれ、忌み嫌われています。
そりゃ、大事に丹精した幼木を、食われて枯らされたらかなわんですよね、
すみません。


終齢になり、蛹化が近づくと、身体が茶色になりました。

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見ていて気づいたのですが、この時期、
口から何やら水分を出して、身体に塗り付けていました。
水滴が見え、それをなめるように身体にのばしたら、すぐスッと乾くのです。
口が届く範囲は全部、しかも2度塗りまでする熱心さです。
この口から出ている水分は何なのか、
そして何故このような事をするのか、
昆虫エクスプローラさんでお尋ねしたけど不明でした。


この後、幼虫は飼育ケースのティッシュの下に潜り込み、
かんたんな繭を作って蛹化、2~3週間ほどで成虫になり、
ティッシュの下から出て来ました。

Oo3

オオスカシバと言う名は、翅が透けていることから付いた名前でしょうが、
羽化してすぐは、ちゃんと鱗粉が翅に付いています。
翅を伸ばして身体をしゃんとさせた後、鱗粉を落とす作業がはじまります。
翅を小刻みに震わせて鱗粉を落とす作業は、何回見ても面白いものです。
ケースから出しちゃうと、飛び回って鱗粉を落とそうとするので、
じっくり見たい人は、ケースから出さずに待ちましょう。


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どうです、この凛々しい姿。
「手乗りオオスカシバ」ですよ、最高ですね。

このガを、ハチと間違えて逃げ回ったことはありませんか?
飛んでいる姿は、空飛ぶエビにも似ています。
オオスカシバの魅力は、なんといっても、この鷹のような鋭い眼です。
もちろん複眼なのですが、我々のように単眼で瞳孔があるかのように
錯覚して見えます。
英語で、スズメガ科全体を「hawk moth」と呼ぶそうですが、
このオオスカシバが一番、hawk mothという名にふさわしいと思います。
同じくスズメガ科のホウジャクの仲間も、同じような眼をしています。


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アベリアの花の近くで、よく見かけますね。
スズメガ科にしては短い口吻は、
アベリアから吸蜜するのに適しているそうです。
ホウジャクの仲間もアベリアが好きですね。
昼行性の、宇治茶色のきれいなガですよ。
フサフサした体毛も、可愛いもんです。

見かけたら、蜜を吸う様子や、ホバリングの巧みさなど、
よく観察してみてくださいね。


ギンモンスズメモドキ、春日大社の近くで

2009年02月23日 | チョウ目ガ シャチホコガ科
高の原以外の場所で、見つけた昆虫です。


ぱっと見、どっちが頭でどっちがおしりやら?

2008年8月21日、春日山原始林から石切峠まで、ハイキングをしました。
奈良公園春日大社前を南へ進み、左へ曲がると
東海自然歩道へと続く道が、住宅地の中にあります。
その道の途中の川縁のカエデに、この幼虫を見つけました。

シャチホコガ科、ギンモンスズメモドキの大きな終齢幼虫です。

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8本の腹足で枝にぶら下がり、
前足6本のうち後ろの2本で身体を支えています。
ようするに頭は右側です。顔もちょっと見えていますね。
おしりの2本の突起は、何の役に立つのかなあ?

半透明っぽい赤色です。
触ると、ぷよぷよとグミのような手触り。
夏の暑い日でしたが、幼虫の身体はひんやりとしていました。


成虫は、翅に銀色のキラキラ光る紋があり、
とても格好いいので、人気のあるガです。



州見台、「きっず光科学館ふぉとん」まで

2009年02月22日 | 歩いておいしい高の原
高の原からはずれますが、
「高の原から歩いて行ける場所」ということで、
よろしくお願いいたします。

州見台(くにみだい)の「きっず光科学館ふぉとん」へ行きました。
最高気温は8度だったらしいですが、ほどほどに天気もよく、
歩いて気持ちのいい道のりです。


まず。娘の為に耳鼻咽喉科のくめさんへ寄りました。
くめさんから道路を隔てたとなりは、毎度おなじみ朱雀1丁目緑地、
自分で勝手に「ルリ山」と呼んでいる小山です。
サルトリイバラが多く自生しているので、春~秋まで
ルリタテハをよく見かけます。前に書いたオオミノガもいます。

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診察が終わり、となりの薬局で薬ももらって、いよいよ出発です。
朱雀から、左京団地の横を通ってならやま研究パークへ抜けます。

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写真に見えるDUOさんは、クラフト材料や教室のお店です。
画材店かと勘違いして入ったことがあるのですが、
確かにクラフト用の画材は販売されているのですが、
一般的な画材は無かったので、なにも買わず、、、でした。
スクラップブッキングやトールペイント材料の品揃えは、ものすごいです。
自分は今は、そちら方面に興味がないのですが、
もし機会があったら、お世話になるのかもかも。
工芸材料をもっと広く扱ってくれたらいいのになあ。

残念ながらこの1月いっぱいで閉館してしまった「野鳥の森」の
横の道から24号線に出ました。
木津IC出入り口のある交差点を右に曲がり、州見台へ入ります。


ガーデンモールを横目に、どんどん歩いて行くと、
州見台公園がありました。
あれれ、前ここは、空き地だったと思ってたけど、
いつの間に公園になったのだろう?
これだからやっぱ、歩かないといかんですね。

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向こうに見える芝生の山に登ってみました。
頂上からの写真です。

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季節が良くなったら、弁当持参で来るのもいいですね、
今日はまだちょっと寒いです。


昼をまわっていたので、「ぐすたーれ」というレストランに入り、
パスタランチとオムライスを頼みました。
パスタランチは、サラダ、スープ、パン(食べ放題)、
本日のパスタ(2種から選ぶ)、デザート、飲み物、です。
自分のキャラ的には「パスタ(笑)」な感じなので、
こういう文章は照れますね。
本日のパスタは、菜の花とベーコンのマスタードソースを選びました。
う~ん、塩気がもうちょっと控えめがいいかも、
料理をしてる方がお疲れなのかな、と思いつつ、
粒マスタードで菜の花を合えてあるのは美味しかったです。

娘のオムライスは、サラダ、スープ、飲み物とのセットです。
味見にふたくち貰って食べました。
こっちにしたら良かったなあ、たまごふわっと載せのオムライスで、
ソースがたっぷりかかっていて、文句なく美味しいです。
娘には多いかな、と思いましたが、食べきりました。

パスタランチのデザートは、コーヒー味のムース?ブラマンジェ?、
どっちかなあ。これは娘にやりました。
娘は「もらって当然」という顔で食べました。

ここの写真はありません、すみません。


さらに歩いて、
きっず光科学館ふぉとん」へ到着。
「光」をテーマに、遊びながら実験したり、
楽しく学べる子ども向けの科学館です。
こういう小さなブロックに、レーザー光線で名前を彫らせてもらえます。
名前を入力してオーケーするだけなので、子どもでも簡単に操作できます。
鏡文字でも彫れるので、はんこにする子もいました。

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ここの建物の外壁に、ハラビロカマキリの卵がついていました。
何もこんなとこで生まなくてもなあ。

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ここの写真は、これだけです、またまたすみません。


「ふぉとん」を出て、帰宅の方向に歩きます。
天然酵母のパン屋、regal+e(レガル)に寄りました。
もとは、高の原駅前のパティオにあった「コルマール」というパン屋が、
州見台に移転した店です。
「コルマール」の頃は、いまいちピンときませんでした。
2回程行ったのですが、駅前のパン屋にしては、どうも地味な印象で、
ショッピングセンターなどのテナントパン屋の、
トッピングやフィリングの多い派手なパンと比べると、
ビジュアルで負けてるなあと。
パティオと言う複合ショップの建物も、場所が悪いと言うか、
店内が暗く見えるんですよねえ。ここは店舗の入れ替わりが激しいのです。
1階に「コルマール」があったのですが、
大きな窓が通りに面しているのもかかわらず、
じっと見ないと営業してるのかどうか分からない位、店内が暗い。
だもんで、気になりながらも買わずに終わってしまった人が
多いのではないかなあ。
駅から中途半端な距離で、駐車場も2~3台分しか無く、
徒歩の買い物帰りの人は、あそこを歩いている時点で荷物いっぱいで、
「ああ、買いたかったけど、また今度にしよう」と思ってしまったでしょう。

州見台へ移って、やっと真価が発揮されたのではないでしょうか。

今は、人気ケーキ屋と喫茶店の並びの店舗。
住宅地の中で、駐車場も大きく、その横にはベンチが置かれ
誰でも気楽に休憩できる場所があり、ここで買ったパンを食べている親子がいました。
店の中もよく見えます。
店に入ると、以前は「地味だよなあ」と思っていたパン達が、
なんと、「毎日の食卓のための、素朴なテーブルパン」として、
キラキラ光って美味しそうに見えました。
「ああ、こういうことなんだなあ、この店の値うちは」と、
やっと合点がいきました。
「コルマール」の時には分からなくてすみませんでした。

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パンを買って、少し歩いてガーデンモールで買い物をし、
24号線を渡って帰りました。


本日歩いた距離、8.48キロ。
意外と歩きましたね。




ヨコヅナサシガメ、冬のおしくらまんじゅう

2009年02月18日 | カメムシ目 サシガメ科
今の時期、ヨコヅナサシガメの幼生をよく見かけます。

エノキやサクラの木の幹に、何か黒いもじゃもじゃががあるなと思い、
よく見たら、手足の生えた集団だったりします。

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彼らは、寒い冬は兄弟でかたまって生活をし、
その間、協力関係にあるようです。
肉食なので、他の昆虫を襲うのですが、
獲物を見つけると、あるフェロモンを発して、
兄弟に伝えるらしいのです。
自分はイラガ等の幼虫が、数匹に取り囲まれて餌食になっているのを
見た事があります。

そして、成虫になり冬を越すと、繁殖のためでしょうか、
一家は解散します。



普段は身体の下に折り畳まれている細い口吻を、
獲物に突き立て、ストローにして、体液を吸います。

同じカメムシ目であるセミにも長い口吻があります。
自分は無造作にセミを掴んで、刺されたことがあります。
セミは肉食ではないので体液は吸いませんが、
暴れて刺さってしまったのです。あれは痛かった。

ヨコヅナサシガメも、たまには人を刺しますが、
それはちょっかいを出されたことに対する反撃であって、
人の体液を吸う為ではないです、念のため。
哺乳類の体液を狙うサシガメは外国にはいますが、
日本にはいません。

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脱皮をして、成長した幼生です。
赤い人がいますが、脱皮直後はこのようにきれいな赤色です。
時間が経つとともに、黒くなるので、
だれかさん専用ではありません。

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幼生の顔を大きく撮ってみました。
口から伸びた口吻が、曲がって身体の下にたたまれているのが
分かるでしょうか。
結構、可愛い顔をしています。

樹木の葉を食害する幼虫を退治してくれるので、
園芸的には益虫とされています。


MIA’S BREAD(ミアズブレッド)と宇和奈辺小奈辺古墳

2009年02月17日 | 歩いておいしい高の原
高の原周辺には、美味しいお店がたくさんあります。
虫や植物を撮るついでに、そういう店に立ち寄ったりします。

今日は、MIA’S BREAD(ミアズブレッド)さんへ行き、
ついでに宇和奈辺小奈辺古墳(うわなべこなべこふん)辺りを歩いて来ました。

まず歌姫街道を、どんどん南下。


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公園の中の遊歩道をてくてく歩きます。

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公園を抜けて、ならやま大通りをくぐり、歌姫町へ入りました。


この街道は、山城の国から平城丘陵を登って降りて、
平城京へ抜ける古来からの道です。
歩道がなく車道も細いので、歩くのに神経を使います。
もとは、歩いて通る専用の道だったはずなのに(笑)、
車がびゅんびゅん通って、歩行者には危ないので、
「車は24号線通れ~」と自分勝手なことを思いながら歩きます。

しかし、道の端にへばりついて、車をよけていた時、
1台の車が、ウインカーを左右チカチカしてくれました。
歩行者に礼とは、今時奇特なお方だなあと、こちらも愛想。
こういう人に会えると、気持ちが良くなりますな。

2キロ程歩いて、MIA’S BREADへ到着。

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へんぴなところにあるお店ですが、人気店なんですよ。
写真を撮った時は、お店の前には誰もいませんでしたが、
小さなお店の中は、人でいっぱい。
カフェも併設されていて、その中も満員でした。

休日などに予約無しでパンを買いに来ると、番号札をとって
行列せねばならないので、1~2時間待ちとかあるらしいです。
自分はあらかじめ予約を入れていたので、
注文していたサンドイッチを受け取りました。
ついでにうまそうなクッキーも買いました。

さて、せっかくなので、ここから近くの
宇和奈辺小奈辺古墳あたりへ散歩しましょう。


MIA’S BREADさんを出て左に進むと、こんな道が続きます。

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歌姫町から佐紀町にかけては、
佐紀盾列古墳群と呼ばれる、大小の古墳が点在しています。
宇和奈辺小奈辺古墳は、その中で一番大きな古墳です。


右手の水上池に、カモがたくさん居ました。

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航空自衛隊奈良基地につきあたるので、
右へ行けば宇和奈辺小奈辺古墳です。

ここで、宇和奈辺小奈辺古墳じたいの写真を撮ってなかった事に気づきました。
何やってんねん自分。

ひきかえして、磐之媛命陵(いわのひめのみことりょう)へ行きます。
この、いわのひめサンは、仁徳天皇の奥さんです。
旦那さんの浮気に激怒して、山城の国に引っ込みつつも、
睨みは利かせ続けたというお方です。


こんなん建ってました。

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仁徳天皇皇后 磐之媛命
平城坂上陵

一、みだりに境内に立ち入らぬこと
一、魚鳥等を取らぬこと
一、竹木等を切らぬこと

宮内庁



…………虫は採ってもいいのかな?


このあたりは奈良の自転車道となっているので、
時々、こんな標識が立っています。

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標識にしたがって進めば、たしか24号線に出られるはず、
と思っていたのに、このあたり、交錯する小道が多く、
ちょっと迷ってしまいました。

あああ、この奥にナイスな虫がいそう~。

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でも、入ったらあかんねんねえ~。


こういう宮内庁管轄の土地の周りって、
わけありそうな空気がなんともいえません。
人通りが無く寂しく、道が分からないと、
ちょっと不安なもんです。

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飛び地か~。
いろいろややこしいんでしょうかね。


うねうねと歩いて、やっと自転車道から24号線へ出られました。
24号線沿いに平城大橋の下をくぐり、ならやま研究パークへ入り、
赤道(あかみち)を通って帰ってきました。


MIA’S BREADのサンドイッチです。
娘の分もあるので2個。こんなランチボックスになっています。
女性はこういうパッケージが好きですよねえ。

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開いてる箱は「月替わりサンドセット」で、これは自分の分。
娘の分は「お子さまサンドイッチセット」こちらは小さめのパンです。

今月のサンドの内容は、

●冬のポテトサラダ(黒豆、ラディッシュ、オニオンetc)のサンド
●削りチーズとマッシュルーム、アボカドetcのフレッシュサラダの
 網焼きキャロブパンのサンド
●菜の花と豆腐のサラダのピタサンド

の3点だそうです。
ここのサンドイッチの特徴は、野菜がたくさん入っていること。
しかも取り合わせが面白いんですよね。
ベジタリアン向けでもあります。


本日歩いた距離は、万歩計によると、4.57キロでした。
あんまり歩いてないですねえ。


高の原航空写真7 1999年(平成11年)4月

2009年02月16日 | 高の原について
いきなり14年経ち、
1999年(平成11年)4月の高の原です。



この写真、見にくいですねえ〜。
駅前付近の商業施設が異なる他は、ほぼ、現在の高の原です。
左京小学校は、1993年4月に創立・開校しています。


ならやま大通りの北側を東西に広がる平城ニュータウン高の原は、
このようにして開けてきました。
対照的に、ならやま大通りをはさんで南側の、
歌姫町から佐紀町あたりは、風致条例のため
ほとんど変化がないように見えます。

現在、JRの奈良電車区と佐保台にはさまれた地域が
造成開発されています。
歌姫町や黒髪山あたりの、なだらかな高低が続く土地も、
いつかは開発されてしまうのでしょうか。


※提供 国土地理院

2014年11月11日訂正・加筆
上に書いた奈良電車区と佐保台にはさまれた地域は、ビバリーヒルズ平城山ですね。
高の原ではありませんが、木津の広大な城山台の開発もずいぶん進みました。

高の原航空写真6 1985年(昭和60年)11月

2009年02月16日 | 高の原について
1985年(昭和60年)11月の高の原です。
先の写真の、ちょうど6年後となります。



桜ヶ丘から兜台、相楽台の造成が進んでいます。

平城東中学、朱雀小学校は、この年に開校しています。
朱雀幼稚園、朱雀保育園もこの年開園。
平城高校は1980年4月に既に創立・開校しています。
朱雀のコープはまだ建っていません。

左京では、造成が進んでいます。
左京内の巡回道路が途中まで工事が進み、総合福祉センターが出来ています。
1丁目に住宅が建ち始めました。



そして三井佐保台住宅が、出現しています。
先の6年前の写真では、佐保台はほとんど開発が入っていない様子なので、
佐保台の開発は、急速に行われた感があります。
この年、1985年12月に旧国鉄平城山駅が開業しました。
追って1988年4月に、佐保台小学校が創立・開校しています。

※提供 国土地理院

2014年11月11日訂正

高の原航空写真5 1979年(昭和54年)3月

2009年02月16日 | 高の原について
1979年(昭和54年)3月の航空写真です。
先の写真より5年後です。


神功~朱雀はこちら


朱雀~佐保台はこちら

右京の開発は、ほぼ完成し、兜台の造成が始まっています。
朱雀の造成が目覚ましいですね。
2丁目に一戸建て住宅が建ち並びました。
平城高校の第一期工事が、この年8月より起工しています。
翌1980年(昭和55年)4月に、平城朱雀第1住宅の入居が開始され、
同年同月、朱雀小学校が創立、始業しています。
右京小学校まで通っていた子ども達は、さぞ嬉しかったでしょうね。
平城東中学開校は、まだ先です。

左京では1丁目の造成が進んでいます。

※提供 国土地理院

2014年11月11日訂正

高の原航空写真4 1974年(昭和49年)7月

2009年02月16日 | 高の原について
先の写真から、3年経過しました。
1974年(昭和49年)7月の写真です。



神功~右京の造成はほぼ完成し、団地も出来上がっています。
駅前は、サンタウンの建築途中のようで、めざましく開発が進んでいます。
右京では、一戸建て住宅も多く完成しています。
北側の兜台あたりはまだまだ山ですね。

奈良大学は建設中でしょうか。開校は1969年ですが、
当時のキャンパスは宝来町にありました。
1988年2月に、キャンパスを現在の場所へ移転したそうで、
まだまだ先の話ですね。

東大寺学園付近は造成もまだですね。
1986年4月に、東大寺境内から現在の場所へ移転したそうです。

朱雀では、1丁目と3丁目の一部の街区が、現在と同じ姿で完成しています。
あとは3年前とほとんど変わりがありません。

左京では、環境清美センターが出現しています。
竣工は1982年(昭和57年)3月とのことで、まだまだ建設中ですね。
あとは、あまり変わりがない様です。

ならやま大通りは、完全に開通しています。
24号線からの連絡道も出来、平城大橋も完成しています。
よく見ると、車が走っています。

※提供 国土地理院

2014年11月11日訂正

高の原航空写真3 1971年(昭和46年)5月

2009年02月16日 | 高の原について
1971年(昭和46年)5月です。



右京の平城右京団地など、現高の原駅西側の開発が始まっています。
駅は、この翌年の1972年11月に、仮設駅舎での開業となります。

左京北東から、朱雀南西に向かって、1本の新しい道路が出来ています。
造成工事のための作業道路と思われますが、どうでしょう。
詳しい方がおられれば、どうかお教えください。

そして、ならやま大通りの工事も進んでいます。
ウィキペディアでは「1966年(昭和41年)に一部区間が開通し、
1988年3月に生駒市白庭台地区を最後に全通した」とありますが、
この写真の1971年には、高の原地域では、開通していたのでしょうか?
写真ではちょっと分かりません。

感慨深いのは、歌姫街道をはさんで左右に、田畑が見えることです。
今の歌姫街道からは想像もつかないのですが、
こういう風景の時もあったんだと思い、想像しながら歩いています。

※提供 国土地理院

2014年11月11日訂正

高の原航空写真2 1967年(昭和42年)7月

2009年02月16日 | 高の原について
次に、
1967年(昭和42年)7月の写真です。



先ほどの写真より、広域になっています。
中央からやや左下あたりが高の原、
左から現在の右京、朱雀、左京、佐保台と続いています。

先の写真から21年経過する間に、
左京南部にあった田畑と集落が消えつつあります。
街道から入り込んでいた田畑も同じく消えています。
土地の持ち主が、土地を売ったか、売りつつあるのか、
詳しい事情は、新参者の自分には分かりません。

北部の、木津の農作地帯は、昔からずっとそのままなのですねえ。

※提供 国土地理院

2014年11月11日訂正

高の原航空写真1 1946年(昭和21年)10月

2009年02月16日 | 高の原について
高の原の変遷を何回かに分けて、航空写真でご案内したいと思います。

まず、
1946年(昭和21年)10月の高の原の航空写真です。



上が北ですね。
写真に写っているのは、現在の朱雀、左京、佐保台です。
北から南へ縦に、筋が3本見えています。

左の細い筋が、後に近鉄に合併される奈良電気鉄道の軌道で、
1928年(昭和3年)に開業、桃山御陵前駅~大軌西大寺駅間の開通でした。
当時、高の原駅はまだありません。
1963年10月に奈良電気鉄道が近鉄と合併し、高の原駅開業はさらに後、
平城ニュータウンの開発と連動して1972年(昭和47年)のこととなります。

真ん中の筋は、歌姫街道ですね。
京都府木津から平城宮跡へと続く、古来からの主要な街道です。

右の筋は、現在の国道24号線と、旧国鉄の軌道です。
平城山駅は、まだなく、
三井佐保台住宅の開発と連動して、1985年(昭和60年)の開業となります。

この写真の下部に、現在のならやま大通りが東西に走るのですが、
当時はもちろん、陰も形もありません。

この頃のこの地域は、全体が豊かな広葉樹に覆われています。
林縁は今と同じく竹林が点在していたでしょうか。
朱雀・左京共に、街道から田畑が入り込んで整地されています。
左京南側には、現在とは異なる造成で、集落が見られます。
この頃には、さぞかし様々な昆虫がいたんだろうなあと思います。

※提供 国土地理院
http://mapps.gsi.go.jp/

2014年11月11日訂正
国土地理院の画像の使用が、出典を表示する事で可能になったので、
リンク(切れてたけど)をやめて、直接画像を貼らせていただくことにしました。