「中央区を、子育て日本一の区へ」こども元気クリニック・病児保育室  小児科医 小坂和輝のblog

川﨑の事件、不安な気持ちは、担任や養護、学校カウンセラーの先生、そして私達小児科医にご相談下さい。/病児保育鋭意実施中。

小説家と政治家

2008-03-27 09:00:00 | シチズンシップ教育
小説家と政治家は、似ていることに気付いた。というのは、ある本との出合い。

3/25の予算特別委員会で、会派友愛中央の態度表明文を書いた私は、もっとうまく書けなかったかと、自問自答。昨日3/26の昼の保育園の健康診断の帰りに、いつもの古本屋に寄った。

なにか、ハウ・ツーもんでもないかなと。

手にしたのが、『一億三千万人のための小説教室』(高橋源一郎著、岩波新書)
小説とスピーチは違うかもしれないが、書くことで共通していると思ったし、いつか小説は書きたいという夢はもっていたので、買い求めた。

ページを開くと、その本に引き込まれた。
一気に読みたいと感じた。
そして、一気に読んだ。

その本で、著者はいう。
「あることを(小説のことを、でいいでしょう。あるいは、書こうとしているなにかを、もし、なにを書くか決めていなかったとしたら、いったいなにを書けばいいのかを)徹底して考えてみる。考えて、考えて、どうしようもなくなったら、まったく別の角度で考えてみる」
小説家は、人生と言うものを徹底的に見つめる。身の回りのものを、徹底的に見る。世界を徹底的に見る。
政治家は、同様に社会を見る。その問題の原因は何かを見つけようと。その問題の解決方法を見つけようとして、徹底的に見る。
そして、ついに小説家は、書くものを“つかまえ”、政治家は、政策を“つかまえる”。

つかまえるには、
「暗闇の中で目を開き、沈黙の中で耳をすます」



「小説に書けるのは、ほんとうに知っていること、だけ」
とは、言っても、
小説家は、その登場人物に実際になっているわけではない。
だれも、“南の島の住民”になってから小説を書いてはいない。
“北朝鮮に潜入してスパイ”になってから小説を書いていない。
“虫”になってから小説を書いていない。

政治家も、“寝たきりの一人暮らしの高齢者”になってから政策を作らない。
“商店街の商店経営者”になってから、
“課題を抱えた人、問題に直面する当事者”になってから、政策を作らない。

でも、小説家は、
「虫になった自分を、つかまえる。
虫になった自分を、おもしろがる。
虫になった自分のところまで、歩いていく。
虫になった自分について心配したり、こわがったり、絶叫したり、これは夢にちがいないと否定したり、しないで、それを、受け入れる。
虫になった自分を、優しく、見つめる。」

政治家も、その同様の気持ちで、
生活している立場の人に共感し、政策を生み出す。



「小説は、どちらかというと、マジメにつきあう(「交際させてください」と相手の両親に頼むみたいに)より、遊びでつきあった方が、お互いのためになる」

そういう中から、

「人というもののこころが織りなす、かけがえのない営みの結晶」として、
小説が生まれている。


いい本と出合えた、一日だった。
(政治家を語るには、百年早いのは、わかりつつも、このブログは書きました。)


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