「中央区を、子育て日本一の区へ」こども元気クリニック・病児保育室  小児科医 小坂和輝のblog

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ここ中央区でも、乳幼児教育を、ぜひ、考えていきましょう!広島大学名誉教授 森 楙(もり しげる)先生の中国新聞掲載の論説を共有します。

2022-01-02 13:49:09 | 教育
 乳幼児教育を考えるあたり、その先達であられる広島大学名誉教授 森 楙(もり しげる)先生の中国新聞掲載の論説を共有します。

 広島大学は、私の母校でもあります。大先輩の論説です。

 同じ乳幼児なのだから、保育園、幼稚園、こども園、省庁の壁に分けられることなく、育ちの時間が充実する環境を整えていきましょう。


 昭和39年(1964年)の論説であり、すでに、克服されている点もあろうかと思います。
 ただ、58年前であっても、課題でありつづけることがらも存在します。
 

*******昭和39年(1964年)中国新聞*******************

『乳児の領分 集団保育の中で』
①  こんにちはボク赤ちゃんです
 そうぞうしい人間の世界にやってきてから、ボクはまだ三ヶ月しかなりません。だけどお母ちゃんは働かないと食べていけないといって、毎日働きにいきます。ですからボクは朝は八時ごろから、夕方の五時すぎまで、乳児保育所の一つであるここにごやっかいになることになりました。
 家の中で一日中、育児に専念していらっしゃる隣の奥さんは「かわいそうに、あんな所へ入れられて」と、ボクに同情してくださいます。だけどボクにはこんな同情はかえって迷惑です。女性が働くのは少しもおかしくないし働くのは当然の権利でもあるからです。婦人の人権がほんとうにみとめられるためにも女性は職業人として社会へもっと進出しなければならないと思うからです。
 おかあちゃんと離れて、ひとりでここへやってきても、へっちゃらです。 ちっともさびしくありません。 満三歳までの小さなお友だちがたくさんいるからです。おかあちゃんたちはみんな家庭の生活を守るために働いているのです。みんな働くおかあちゃんたちを誇りにしているので、朝と夜しかおかあちゃんにだっこしてもらえなくても平気です。ヨーロッパの子どもたちは、おかあちゃんが働きに出ていなくても親との接触時間はボクらより少ないぐらいだそうですから、親の愛情がうすいなんて、考えたこともありません。
 それにボクたちにはお友たちのほかに保母さんがいます。教育的なあたたかい愛情でボクたちをつつんでくれます。広い視野にたった専門教育を受けた先生たちなので、自分の子どものことしか考えない、そこらあたりの心理学ママよりは、よっぽど信頼がおけます。
 ボクたちをあわれんだり、軽べつされるおかあちゃんたち、「育児は母親の天職、働く母親は家庭に帰れ」とおっしゃるおとうさんたち、まぁボクたちのたくましい成長ぶりをみてください。明るくて健康なボクたちの集団生活をみたら、家庭教育至上主義が幻想にすぎないことが、おわかりになることと思います。静かなメロディーが流れてきました。おねんねの時間が来たようです… 。
写真の説明はありません。
 


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乳児の領分 集団保育の中で④
なんでも食べる 給食は楽しからずや
おかあちゃんがききます。「学校でいちばん楽しい時間は?」「きまってるじゃない、給食の時間よ」学校のおにいちゃんの答えです。ボクもまったく同感です。
 調理室のほうから、かすかにいいにおいがしてくると、からだがゾクゾクッとします。食事のあいだじゅう、三十分から五十分ほど、机にむかってがまんして腰かけることも、あまり苦痛ではありません。食事中トイレにたたぬよう必ずやらされる食前の排せつも、手や顔をふいてもらうことも、このときだけはいやがらずやります。手を合わせてイタダキマスと、コトバにならぬ声をだしてこっくりすると、万事 OK です。
 ゆったりとおちついたバックグラウンド・ミュージックの流れる中で、隣の子に笑われないようにきらいなものでもがんばって食べます。きらいなものを初めて食べたときの先生のうれしそうなえがおは、一生忘れないことでしょう。
 しかしボクたちにも要求したいことがあります。殺風景なアルマイトのサラの代わりに、割れない瀬戸物ふうの食器で食べれたら、それにはアトムやポパイの絵がついていたら、もっと楽しくなると思うのです。それに花や動物のかわいいアップリケのついたエプロンを胸にかけてもらえたら。おとなの感覚でなく、ボクらの感覚にあった味つけや切り方や盛りつけにも努力してもらえたらどんなにいいでしょうと...。 
 学校給食には栄養不足が心配されていますが、ボクらの は大じょうぶでしょうか。三歳未満児の給食費一日四十三円七十銭の予算単価で、ポクらのからだはすこやかに育つのか、物価高の現在、ちょっとばかり不安になります。
(森 しげる)





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  乳児の領分 集団保育の中で⑤
ひとりで遊び ひとりで考える
「ウマクタテバ、カッコイイノニナー。ドウシテタタナイノカナ。ヤッパリムリカ。ダケドモウイチドヤッテミヨウ」
 アコちゃん(十一カ月)はさっきから、くり返しくり返し三角のつみ木をさかさにたてようとしては失敗しています。「バカね。それではムリよ」家庭なら、ママの干渉がはいるところです。しかし、おなじことをなんどもくり返す自分の活動そのものに喜びをみいだしながら、かれらは成長していきます。
 オモチャを使ったひとり遊びは、二歳ごろまでのこどもに多くみられます。この時期までの遊びは、身体機能の発達とふかく関係しています
 神経組織が発達しますと、手が自分の意思どおり動くようになります。子どもは自分の新しい力に歓喜しその可能性をためそうと夢中になり、おとなからみれば至極他愛ないことに、長時間熱中します。ご当人にとっては、精神力のすべてを投入した緊張の瞬間であり、ひとり黙考する思索のときでもあるのです。
 こうしたひとり遊びは、自主性や自律心を育てるのに大きな役割りをはたしています。ですから保育所のような集団生活においても、ひとりだけの時間は必要です。
 「そんなふうに積んだら倒れますよ。ダメね、この子は。ママのいうとおりにやってごらん」家庭におけるこうした育児サービスの過剰は、自律心の育つチャンスをつぶしてしまうことになります。
(森しげる)
=写真は広島保問研乳児部提供




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乳児の領分 集団保育の中で⑥
協力の始まり~大切な〝遊び仲間〟
 マコちゃんは二十一世紀の建築家を夢みています。積み木の柱をあっちにたてたり、こっちに倒したり、十分以上も工夫しています。そこへヒロちゃんがやってきました。はじめはだまってみていましたが、ついにがまんができず「コレ、ツカッタラドウダイ」といわんばかりに、左手でマコちゃんの肩をつかみ、積み木をつかんでさし出しました。コトバを使わなくても、意思の伝え合いは、半年あまりの集団生活を続けてきた二人の一歳未満児にとっては可能だったのです。マコちゃんはさし出された積み木を、微笑みをもってごく自然に受けとったのでした。
 子どもの対人関係(社会性)の発達の基準は、つぎのように言われています。3ヶ月ーほほえみかけて他の子に反応する。半年ー相手の子にふれようとする 。1年ー自分のおもちゃをみせようとする。2年ー他の子と並行的あそびをする。3年ー集団あそびができるようになる
 社会性の発達はもちろん子どもの生活環境によって違い、どの子にでも当てはまりはしません。外にも出してもらえないで、お母さんの手でだいじに育てられたひとりっ子は、学校でもひとりぼっちで友だちができません。ところがマコちゃんやヒロちゃんにとっては、この基準は大幅に書き換えられないといけないようです。
 遊びは子どもの全生活であり、成長の栄養素です。これが長つづきする第一の条件は、高価で立派なオモチャがあることではなくて、いっしょに遊ぶ仲間がいることなのです。
(森しげる)
=写真は広島保問研乳児部提供

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乳児の領分 集団保育の中で⑦ 
 (『中国新聞』昭和40(1965)年2月連載記事から)
ボクハセンセイ~りっぱに社会生活
 「キョウハ、ボクガセンセイダ。サア、ミンナオトナシクミルンダヨ」ヒデ君は汽車の絵がだいすきです。毎日、家から持ってくる絵本は汽車の絵ばかりです。「うちの子は汽車の本しか買わないんですよ」お母さんもそういっていました。
 かれはまた、家から木でできた箱車を持ってきては、園内を押して歩きます。それがないときは、積み木をシキイのところで、押したりひいたり、汽車ポッポの代用にします。その熱中ぶりはすごいものです。だからほかの子も、汽車のことにかんしては、ヒデ君に一目おいています。「キシャノコトナラ、ボクニマカシトキ」と、リーダーシップをはっきしているわけです。
  集団の中で育つかれらは、こうしたかたちで、いろいろな社会的能力を身につけていきます。
 写真の子どもたちは、満二つをやっとすぎたばかりですが、自分の欲求を、社会的ルールにしたがって表現することを、すでに知っています。相手のもっている絵本が見たいときは、自分の手もちの絵本をもっていって「カエテ」といいます。すると相手は、その本の表紙をのぞきこみ、しばし考えます。気にいらない本なら「ダメ」といって、交換を拒否するわけです。
 かれらは自分の頭で考え、意思決定をやっているのです。ときにはそんな場合、保母さんのところへやってきて「カエテクレンノト」と訴えます。それでも保母さんは子どもの間にはいって口出しはしません。もう一度、子ども自身に交渉させます。そうすることによって自分たちの問題は自分たちで解決することの大切さを、子どもたちは学ぶわけです。家庭の中だけで甘やかされて育っているこの年齢の子はどうでしょうか。ひきつけを起こすほど泣き叫んででもほしいものは奪いとるのがふつうではないでしょうか。
(森しげる)
=写真は広島保問研乳児部提供






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乳児の領分 集団保育の中で⑨
 (『中国新聞』昭和40(1965)年2月連載記事から)
いきいきと描く~楽しいひととき
 E保育園の乳児保育室の入口正面の壁には子どもたちの絵が貼ってあります。クレヨンやマジックや鉛筆で線や円や点などがグシャグシャに描かれています。ところが子どもを預けているお母さんたちは、この絵に気づかないふうです。教えてあげても「あれが絵なの」と鼻先で笑います。学歴を鼻先にぶら下げた大学出のママさんは、特にひどいようです。彼女たちの頭にある幼児画は、青い空に軍艦旗みたいな赤い太陽が輝き、家があって電灯がついておりチューリップの花が咲いている─だいたいそういったものです。概念でコチコチに固まったもの以外は目に見えないらしいのです。
 保育園では十カ月ぐらいの子には、もうクレヨンを与えます。兄姉のいない子は経験がないので、なめてみたりトントンたたいたり材料そのものにまず興味を示します。
 いつもは小さな机の上で、小さな画用紙や西洋紙に描きます。机や紙の小ささが気になり、線は細くちぢこまります。ときどき大きな模造紙を床の上に広げてやると子どもたちの目は輝き、思い思いの自由なポーズで、力のはいった生き生きとした線をのびのびと引きます。ふつうなら20分─30分(二歳児)続く関心が、2倍以上になります。「紙がもったいない」「床をよごす」といわれはしないかとひやひやするのです。
(森しげる)
=写真は広島保問研乳児部提供


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乳児の領分 集団保育の中で⑩
こどもの中に生きるテレビ~大人の選択はダメ
   教育ものの中にもスピードと楽しさを
 わたしは当年とって二歳五カ月のオシャマな娘です。ときどき「ママジョセイネ」といっては「むずかしいコトバおぼえて。この子わりかし頭いいのね」とママを喜ばせたり、「アイスルッテ、ナーニ」と質問しては、ママをドキリとさせたりします。うちのママは、よろめきドラマとかいうのが大好きで朝っぱらから「愛より愛へ」「いつの日その胸に」といったものをみています。一日中ママとつきあうので、おシャマになるのも無理ありません。
 隣のカッちゃんは保育園に行ってますが、園では教育番組みしかみせてくれないので、コマーシャルソングがきけず残念だとこぼしています。カッちゃんの園で一番の人気番組みは「おはなしの森」です。「かくしてる─かくしてる」という歌がきこえると、みんなテレビの前にすわりこんで、終わるまでブラウン管にすいつけられるそうです。テレビからコトバと物や行動との結びつきを自然に学びます。けれど保育園では、なんといってもいちばん楽しいのは、テレビでおぼえた歌をお友だちといっしょに歌ったり、見たことを遊びの中に利用するときだそうです。私の場合ママ相手ではみんなお手あげです。テレビについてのカッちゃんの希望は教育番組みの中にも、アトムやケンや28号のスピードや力や楽しさをとりいれてもらいたいということです。おとなの番組みにノックアウトされないためにも。
 宇宙時代をになう世代の豊かなイメージは、おとなの目だけでの番組み選択ではダメなようです。白痴化番組みをつつき破って進むエネルギーをぼくらの中にみつけ、のばすことが、テレビ時代を準備したおとなの義務だと思うのですが、どこまで期待できるか疑問です。
(森しげる)
=写真は広島保問研乳児部提供

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ここ中央区でも、乳幼児教育をぜひ、考えましょう!広島大学名誉教授 森 楙(もり しげる)先生の中国新聞掲載の論説の続き

2022-01-02 13:18:38 | 教育
広島大学名誉教授
森 楙(もり しげる)先生の中国新聞掲載の論説の続き。



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乳児の領分 集団保育の中で⑪
ひとりで好きなように~手を使って考える
保育所や幼稚園では、切り紙細工や折り紙が盛んです。ところがおかあさん方は、できあがった作品のじょうずへただけを問題にされるようです。先生のほうでも親の誤った願望にこびるかのように必要以上に干渉したり、手を加えたりします。
その結果、クラスの子全部の作品が、型にはまった個性のないものになります。独創的な子どもが、能なしとして扱われる場合すらあります。
 写真の乳児保育所みどり園では、二歳になったらハサミを与えます。しかし最初からハサミの使い方を教えはしません。ハサミをはじめて手にした子どもは、両手で広げ、これに紙をはさんでひっぱります。なんとかうまく使おうと努力します。子どもらがあきたころ、保母は使い方を教えます。教えられてもすぐうまく使えるわけではありません。チョッキと一回動かせるだけです。一回ずつエッチラオッチラ紙の半分ぐらいまで切り進みますと、後の半分は破いたりします。
 ハサミの使い方にもかなり習熟すると、古週刊誌の色ずりグラビアが与えられます。子どもらはファッションスタイルや映画スターのからだの線にそって慎重に切り進みます。小百合ちゃんが自分の恋人でもあるかのように。ハサミを使い始めて二、三カ月もすれば、紙を5㍉ぐらいの短ざくに切ることもできます。また自分が切ったものにキシャだのワンワンだのと名まえをつけるようになります。
 こうした切り紙あそびの中で思考発達の基礎になる目と手の協応運動を訓練しているわけです。文字や数を丸暗記することが幼児教育だというバカげた考えの人には、ムダなことにみえるかもしれません。
(森しげる)
=写真は広島保問研乳児部提供





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乳児の領分 集団保育の中で⑫
ひるねの中の人間関係~団体規律の芽生え
アッちゃんは誕生をむかえて一歳児のクラスに進級しました。先輩たちは「赤ちゃんがやってきた」と、この新参者をかわいがり、人気者にしたてあげました。ところが二週間ぐらいして、アッちゃんはひるねの途中必ず目をさまして、起き出してしまうようになりました。保母さんはからだのぐあいでも悪いのかと心配していろいろしらべてみました。ところが原因はからだではなくて、仲間たちとの人間関係にあったのです。
 みんなからチヤホヤされていい気になったアッちゃんは、ある日すべり台の階段を登ろうとしていたヒロちゃんのスカートをつかんでひっぱりました。ステントとしりもちついたヒロちゃんに、甘えたつもりのアッちゃんはこっぴどくしかられました。アッちゃんは人気者の地位が、ガラガラと音をたててくずれるのを意識しました。
担当の保母さんは、アッちゃんにやはりみんなの仲間だということを知らせることが最良の解決方法だと考えました。そこでひるねの前にふとんの上で、子供たちをあそばせました。アッちゃんとヒロちゃんも手をつないでふとんの上をころがったりして、はしゃぎました。その日以降、アッちゃんが途中で起きだして泣き出すことはなくなりました。
保育所の保育時間は八時間以上なので、保育内容の中でのひるねは重要な位置をしめています。一日平均、二時間半ぐらい昼寝します。子供の健康のためだけでなく、生活習慣の規律を集団の中で身につけさせることが一つのねらいです。家庭ではダダをこねてひるねをしなかった子が、保育所に行きだして、きちんとするようになった例は無数にあります。仲間集団の影響力によって寝る子の精神面も育ってゆくのです。
(森しげる)
=写真は広島保問研乳児部提供



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乳児の領分 集団保育の中で⑬
オカシのユービン屋さん~責任感をつちかう
保育園の生活は、子どもたち自身による集団の生活がそのほとんどです。保母さんに教えられるより、仲間に教えられることが多いといえるかもしれません。ただ子どもたちの集団は、ほうっておけばボスの支配する集団になってしまいます。子どもたちのひとりひとりが自主的に責任感をもって行動し、共通の目標にむかって協力関係を結ぶことのできる集団をつくること─これが保母さんたちの指導のねらいです。
M園では二歳児から五~六人のグループをつくり、各グループに当番がおかれます。給食のとき、おやつのとき、それにおかたづけのときなど、かんたんな仕事を責任をもってやります。今日は二歳になったばかりのチーコちゃんが当番です。グループのみんなは、おやつのオカシが分配されるをかたずをのみながら待っています。
子どもたちは当番をすることの中からいろいろのことを学ぶのです。最初のうちは保母さんがそばにいて「コーちゃんわたしてください」「タカコちゃんにあげていらっしゃい」と言っていました。はじめての大役に、名前をまちがえてはと緊張しますが、無事わたしおえるとホッとしておカシを食べる以上にうれしいものです。次の段階では「広木みどりさんに・・・」と姓をつけて呼びます。そこで人にはみんな姓があることを知ります。おカシが人数と合わないときは、算数の勉強です。
当番を交代でやることによって、責任をもって行動することを学ぶのです。集団の正しい意思に従って行動することに喜びを感じる人間が、集団保育の中で育ちつつあります。
(森しげる)
=写真は広島保問研乳児部提供


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乳児の領分 集団保育の中で⑭
遊びの中で学ぶ人間観~自分の事は自分で
日曜日は天気がよかったので隣のミオちゃんとこのお庭でヤッちゃんやテツ君といっしょに〝ままごとあそび〟をしました。ボクがパパ、ミオちゃんがママ、あとのふたりが子どもです。ママのミオちゃんはごはんをたいたり、ミソ汁をつくったりたいへんないそがしさです。ボクが野さいを切るのを手伝おうとほうちょうをもったとたん「オトウチャンラシク、ダマッテ新聞デモヨンデナサイ」としかられてしまいました。「ボクトコ、ゴハンタクヨ」といったら、ヤッちゃんもテツ君も「オカシイヨ、オトコノクセニ」とさも軽べつするような目つきでボクをみました。「お前はオヤジの資格ないぞ」といって仲間はずれにされそうでしたのでだまってしまいました。
 保育園でも似たようなことがありました。タケちゃんが「オトコノタイタゴハン、マズイ」といって、ママゴト遊びが混乱したことがあります。そのときは先生が仲間にはいってきて、パクパク食べてみせ「男の人の炊いたごはん、おいしい、おいしい」といってくれたので、みんな男が炊事をしても別におかしくないことがわかりました。
 お昼寝がすんだ後、おふとんのかたづけをしていたときです。新入りのタダオ君がだまって立っていたので先生が「みんなといっしょにふとんをたたみましょう」とおっしゃいました。タダオ君は平気な顔です。でもタダオ君もやがてみんなといっしょに、自分のふとんは自分でかたづけるようになるでしょう。
(森しげる)
=写真は広島保問研乳児部提供





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乳児の領分 集団保育の中で⑮  『中国新聞』昭和40年2月連載
「みんな」とはボクのこと?~一歳児にとっても自己の認識は可能 
 自由あそびの時間が終わって使った遊び道具のおかたづけが始まりました。家庭では赤ちゃん扱いを受けている一歳未満児でも、ちゃんとやります。もっとも最初からできるわけではありません。初めはおかたづけの合図に鳴らす音楽にあわせて、保母さんが遊び道具を箱の中に投げこみます。そのオーバーな表現を子どもたちはおもしろがってマネをします。つまり初めは遊びとして、おかたづけをやるわけです。
 次の段階では「ボーン、だめ」というコトバといっしょに箱の中にきちんと並べてかたづけることを、保母さんがからだでもって教えてやります。
 二歳をすぎると、おかたづけをしないで手洗いにゆくずるい子も出てきます。おかたづけのあとは手を洗ってご飯だということを知っているからです。サボる子にたいしては、たいていの場合仲間のだれかが「ダメ、オカタヅケ」とたしなめます。もちろんこうした集団にまで成長するには、保母さんの側の指導=集団生活の規律づくりという仕事=があるわけです。ひとりひとりは、みんなのなかのひとりだということの教育が、一歳児にたいしても必要なのです。
 「コウちゃん、おかたづけはみんなでやらないとだめよ。みんなで遊んだんだから」と保母さんがいいます。「ボクモミンナ?」コウちゃんはわからないという顔つき。「ユキさん、みんなってだれのこと?」「ヨリチャント、マサチャント、ケイチャント・・・」そばでじっときいていたコウちゃん「ワタシモミンナヨ」集団の一員としての自己を認識することは乳児においても可能だということを、集団保育は事実をもって示し始めています。
(森しげる)
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乳児の領分 集団保育の中で⑯
コンドカワッテネ~仲よく遊ぶ楽しさ
保母さんのNさんは、ある日大学時代の友だちをたずねました。南向きの斜面にたった,青や赤の屋根ガワラの並ぶ住宅街はひっそりしていて、子どもたちの遊ぶ姿もみえません。友人のKさんは三歳半になる女の子を相手にママごと遊びをしていました。その子は母と子だけの世界に乱入した悪者めといった目つきで Nさんを見つめます。「いつもこうですよ」と友人はアリガトウ、ゴチソウサマ、シツレイシマスの練習を続けました。
Nさんが、ダナにぎっしりと並んだ絵本を手に取ろうとしたところ、その子はものすごい形相で突進して本をひったくりました。「貸してね」と言っても憎々しげににらみ返すばかりです。Nさんは保育園の子どもたちの遊びの情景を思い浮かべながら、家庭の物質的生活の豊かさは精神の豊かさと関係ないのかもしれないと思いました。
きのう保育園のしばふの上ではフトシ君が箱車にツヨシ君を乗せて引っぱっていました。そこへケン君がやってきて車に飛び乗りました。フトシ君はケン君のところへやって来て、「オモイカラオリテ」と静かにいいました。
保育室ではまだ、二歳にならないタケちゃんがダンボールの箱の中にすわり、それをマコちゃんが一生懸命を押しています。しばらくはしってからマコちゃんが「ウンウン」というと、タケちゃんはすぐ降り、マコちゃんが代わりに乗って満足そうな顔をしたのです。心理学の本には四歳にならないと共同遊びができないと書いてありますが、この子らは友だちと遊ぶ楽しさを失いたくないために仲間集団のルールを早くも身につけていたのです。
(森しげる)
=写真は広島保問研乳児部提供


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乳児の領分 集団保育の中で⑰
ジュンバンダヨ
 楽しい外でのお遊びが終わって手を洗えばおやつ。子どもたちはうきうきしています。家庭でなら「さきに手を洗ってきた人に大きいおかしあげる」といいかねないところです。こうした競争をあおるような親のやり方は、手をちょっとぬらして来て「アラッタヨ」と答えるずるい人間をつくります。
 でも保育園では、みんながそろうまではおやつはもらえないのでさきを争うようなことはしません。しかし、入園したばかりの子どもは、最初のうちは並ばなかったり、列に割りこんだりします。そんなときはまわりからすぐ「ジュンバンダヨ」と声がかかるのです。親にたいしてはすぐすねる甘えん坊も、仲間にたいしては気持ちが従順になっていて、忠告に素直にしたがいます。
 ブランコやすべり台やおもちゃを使っての遊び場でも「ジュンバン」というコトバはたえずきかれます。これは楽しい遊びをささえるルールであり、みんなでくらす生活の鉄則です。
 バスを待って並んでる行列にわりこんだのを注意されて、ナイフでさしたり、暴力をふるった青年が何人かいました。すぐカッとなる衝動的人間が、うようよしているようです。衝動をおさえる教育は何歳ごろ、どこでやったらいいのでしょうか。今日の家庭は、もっぱら保護過剰で、子どもは愛がん用の私有物であり、しつけはワタクシゴトになりさがっています。「三つ子の魂百まで」なら、できるだけ早くから集団保育の中で社会生活を体験させるべきではないでしょうか。
(森しげる)
=写真は広島保問研乳児部提供


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乳児の領分 集団保育の中で⑱
 (『中国新聞』1965年2月)
未知の世界の探究
冒険への出発
「おい、あのテッペンまでのぼろうぜ」「でもずいぶん高いのね。すこしこわいわ」「なーにへっちゃらさ。おれについてこいよ」ケン君とユキちゃんは、すべり台の低いほうから高いほうへと逆にのぼろうとしています。このアベック、まだ十か月の0歳児です。
 人間はサル時代の樹上生活のなごりか、一歳前後になると、高いところへ自分でのぼることに、つよい興味をもち始めます。家庭ではこの本能的ともいえる欲求を「アブナイ!」というひとことをもって禁止しています。法律のほうは家庭よりだいぶものわかりがよくて、二歳未満の遊具として、歩行器、イスブランコ、手押し車とならべて室内すべり台を、保育所の最低基準で備えつけるようにしています。
子どもたちが高いところにのぼるのは、たんに運動機能を発達させるためだけではありません。すべり台がそこにあるから?それもあるでしょう。先輩がおもしろそうに滑っていれば、ボクたちだって、という気にはなります。
しかしそれよりも、かれらにとっては、まわりのすべてが、あたらしい未知の世界なのです。探検家が極地や未踏の奥地に冒険を求めるようにアルピニストが新しい登山ルートに命をかけるように。未知の世界を征服することによって、子どもたちは、身体的に、さらには精神的にたくましく成長するのです。
(森しげる)
=写真は広島保問研乳児部提供



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乳児の領分 集団保育の中で⑲
(『中国新聞』1965年2月)
成功の喜び
勇気と決断力を養う 貴重なはじめての体験
 一歳前後でつたい歩きができるようになると、すべり台の階段のほうからアタックを試みます。やっと立てるていどなので、最初は一段目をあがったりおりたり、でも一週間もすれば頂上までのぼれます。
 しかしそこからがたいへん。のぼったはいいが、おしりからすべる、それも前向きでやるのは、そうとうの決断力がいります。そこではじめのうちは、また階段のほうからすごすごと逆もどり。そばで見守っている保母さんは、すべり方を教えたくてうずうずします。だがここで手を出せば、せっかくの自己教育のチャンスをつぶしてしまうことになります。子どもの伸びるものも伸びないことになってしまいます。
 階段の上まで行ってひき返すということを、何回かくり返すうちに、ある日なにかのきっかけで手をはなしてすべりおります。成功です。その瞬間、たいていの子どもは、ワーンとまわりのものがびっくりするほどの大声を出して泣きます。初めての体験なので、スリルにともなう恐怖感と、無事に下におりることができたという安心感が、いりまじっていると思われます。
 一度体験すれば二回目からは簡単です。何度も何度も頂上まで行ったあげく、勇気をもって決断し、自分の意思で決行したのですから。もしおとなの手をかりていたら、決断力も自信も身につけることはできなかったことでしょう。自分の力でやったところに意味があるわけです。十カ月になったばかりのキョウちゃんは、きょうもスルスルと滑降を楽しんでいます。そばでリョウちゃんも「ウマクナッタネ」といっしょに喜んでいます。
(森しげる) 
写真は広島保問研乳児部提供

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乳児の領分 集団保育の中で⑳
(『中国新聞』1965年2月)
可能性を試みる
ボクこそジャングルジムの王様
 「センセイッ!落ちる。うちの子が」園を訪れたひとりのおかあさんが写真のような情景をみて、まっさおな顔をしてかけより、自分の子をひきずりおろしました。はじめてこうした場面にぶつかった人はたいてい「よその子だと思ってむちゃをする」と、思うことでしょう。三段目に立っている二人の子をのぞけば、あとはみんな二歳以下なんですから。
 はじめのうちは保母さんたちもだいじょうぶかしら、と不安でいっぱいでした。このジャングルジムはなにかの手違いで、高さが二・七㍍もある幼児用のが取りつけられたからです。一歳児にとっては、間隔が広すぎるのです。
 ところが子どもたちは、保母さんの心配をよそに、この新しい世界を一刻でも早く征服し、自分こそはジャングルジムの王様になろうと張り切りました。マサちゃんもマユミちゃんも、男の子にまけまいとがんばりました。
 かれらの真剣な顔つき、しっかりとつかんだ手・・・。保母さんはもちろん近くで注意していますが、そばから「アブナイ」なんていわないほうがずっと安全なことを知りました。子どもたちは自分の力をわきまえているものです。それと同時に、無限の可能性もためそうとしています。冒険心や好奇心をおさえられて、頭デッカチに育てられた人間を、社会は高く評価するのでしょうか。子どもたちの未来への可能性を見とおす、広い視野にたった愛情こそ、今日の母親にとってもっとも必要なものだと思います。
(森しげる)
=写真は広島保問研乳児部提供

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『中国新聞』昭和39年(1964)年2月の連載記事から
乳児の領分 集団保育の中で㉑ 安全な遊び場
     太陽と泥の中で・・・・・・
 子どもには不潔とか危険とかどういうことかわかりません。まわりのものはすべて好奇心の対象であり、ある場合には口に入れたりして、その存在をたしかめます。ですから、アブナイとかキタナイというコトバばかり連発して、子どもの活動を禁止することは、のびようとする心をゆがめることになりかねません。
「子どもの生活は太陽と泥の生活である」といった人があります。ところが現在の子どもには太陽と泥の生活はだんだん縁遠いものになりつつあります。都会においてはとくにそうです。外の世界は危険に満ちています。子どもの死因はいつも不慮の事故がトップです。一歳以後の子どもでは、水死、自動車事故、その他の交通事故が死因のベストスリー。これでは子どもを家の中にしばりつけることになります。その家たるや、現在の住宅事情では二間あればいいほう。庭などは望むべくもありません。庭のない家庭論をいくら論じても子どもは幸福になれません。
 児童福祉法には児童遊園というけっこうな規定があっても、全国にたった九百六十三。広島市では二カ所。遊びの指導をする児童厚生員は名目だけ、せめて公園でもあればと思うのですが・・。アメリカのワシントンでは公園緑地が平均一人あたり四五平方㍍。ロンドン、パリ、ニューヨークでも十平方㍍。ところが東京は0・八、その他の都市平均でも二・九というおそまつさ。おまけに〝ユウカイマ〟が待っています。
 せめて保育園の中だけでも、明るい太陽のもとで泥んこ遊びを保証してやりたいものです。人づくりはまず、子どものための遊び場づくりから始めましょう。
(森しげる)=写真は広島保問研乳児部提供
 
 

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乳児の領分 集団保育の中で㉒最終回 (『中国新聞』昭和40(1964)年2月連載)
未来に向かって飛べ
ママからはなれて
 子どもは母親のもとで育てられるのがいちばん幸福。三歳以下の子どもを集団にいれるなんてむちゃだ。働く母親は家庭に帰るべし、という意見がだいぶ強いようです。しかし、そういった母親の愛情のもとで育ったはずの子どもが、厚生省の実施する三歳児の一斉検診で神経症だと判定されたりしています。〝頭でっかちの、自分のことしか考えない、こましゃくれたオリコウチャン〟が、どうも大部分の母親たちの理想像になっているような気がします。
 現代の良妻賢母とおもわれる人たちが、軽べつしあわれむ乳児保育所のようすを、三週間にわたってみてきました。家庭にまさるものはないといわれますが、そこには家庭ではできない教育が可能なようです。同年齢の仲間と客観的な立場にたった専門の保育者─これこそ家庭にない教育の条件です。乳児であってもほかの子といっしょに生活することによって、ひとりでものを考えることのできる独立心のある人間、規律をまもり仲間と協力していける人間、ゆたかな人間的感情をそなえた人間へと成長していけるのです。そこでは生活に即した正しい教育がなされます。
 乳児の集団保育が現在問題にされるとすれば、それがいいか悪いかではなくて、設備や保育者といったカネで解決できる範囲の問題です。集団保育の可否という原則の問題を、政治の問題とすりかえるべきではないと思います。保育者は貧乏人を助ける子もり業とはちがいます。幸福な未来の社会をきづく子どもを教育する場所です。子どもは親の愛がん動物であったり、型にはめこまれる私有物ではないはずです。
 きょうも幼稚園の送迎バスが、親の期待につぶされそうになって走っていきます。これが子どものしあわせかどうかじっくり考えてみる必要がありそうです。(おわり)
(森しげる)=写真は広島保問研乳児部提供
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2022年、本との出会いに期待する年。2021年の一冊は、『苦海浄土』でした。

2022-01-02 09:08:18 | 書評

 2022年、新たな出会いと共に、ポスト・コロナの時代に、精一杯生きたいです。

 新たな出会い、ひととの出会いが楽しい。

 その次に楽しい出会いは、本。

 2021年の本との出会いも楽しかったです。
 多読ではないけれど、心に残った本です。

  1月 『13歳からのアート思考』 
  2月 『学問からの手紙』『善の研究』 
  3月 『LGBTを読みとく クィア・スタディース入門』『善とは何か』
  4月 『火の鳥・鳳凰編』 
  5月 『スマホ脳』 
  6月 『手の倫理』 
  7月 『大人問題』 
  8月 『コンビニ人間』  
  9月 『悲しみの秘義』 
 10月 『ケーキの切れない非行少年たち』 
 11月 『テロリストのパラソル』 
 12月 『苦海浄土』『水俣病は終わっていない』

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