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自民党憲法草案 「緊急事態条項」の危険性 弁護士升永英俊先生より

2016-10-21 10:07:15 | 日本国憲法

 弁護士升永英俊先生。

 私のたいへん尊敬申し上げる弁護士先生のお一人です。

 法科大学院時代に、ご本人は、腕を骨折されすぐに病院に行く必要があるにも関わらず、私たちの特別講義を優先されて講義をして下さいました。
 政治の根幹にある重大な問題「一人一票の選挙権の平等」にも第一人者として取り組まれておられます。

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築地市場移転その奥にある政治の問題「民主主義と専門主義の相克」神里達博氏論説から 朝日新聞2016.10.21 

2016-10-21 08:34:43 | 築地重要
 心底から、同感の記事が、朝日新聞に掲載されていました。

 築地市場移転問題の核心をつき、そこにある政治の問題に切り込んでいます。

 築地移転問題に取り組み、自分が深く考えていることは、「政治が科学的真理をゆがめてはならない」ということでした。

 筆者は、「民主主義と専門主義の相克」ととらえた上で、そのための具体的な解決策も提案された記事です。

 自分の考えを一歩進めて下さいました。

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http://digital.asahi.com/articles/DA3S12617925.html

 最近、巨大プロジェクトの見直しに関するニュースが、紙面をにぎわせている。

 一つは、高速増殖炉「もんじゅ」。投じた予算は、今年度末までの累計で1兆円を超す。その内訳は建設費が6千億円弱、そして運転・維持費が約4500億円だ。もう一つは豊洲市場の問題である。今年春の段階で、施設整備も含めた全体の費用は、6千億円に迫る。

 言うまでもなく、施設の目的や責任の主体、また問題の大きさやタイプなど、あらゆる点で両者の性格は異なる。また今後両プロジェクトがどうなるかは基本的には未確定、それぞれ議論の最中である。しかし少なくとも、長い時間と関係者の膨大な労力によって完成、あるいは、ほぼ完成したプロジェクトが、無駄になるかもしれないという点では、よく似ている。施設本体の予算規模が似通っているのも共通点だろうか。

 結論がどうなるにせよ、今はこれらの混乱の根本的な原因について、私たちの社会が考え直すチャンスであるのは間違いない。当然、さまざまな見方があろうが、ここでは以下の角度から問うてみたい。それは、いずれのプロジェクトも、行政が専門家集団と分かちがたく結びついており、広範な利害関係者の合意を得る前に、ある意味で「見切り発車」されたことが、本質的な問題ではないか、という視点である。

 たとえばもし、問題が純粋に政治の問題であるならば、民主的に決めさえすれば、結果については「社会全体で責任を負う」ということで決着するかもしれない。しかし現代の政治問題は、単に皆で議論をして決めれば良い、というものはまれである。多くは、それぞれの「専門家の判断」の強い影響下で決定・推進されているからだ。

 ただし、ここで言う専門家とは、研究や調査を生業とする人々だけを指すのではない。研究者や学者のみならず、さまざまな種類の技術者やコンサルタント、さらには行政組織で働く技官なども含めた、プロジェクトを分担する専門的なスタッフ全体を「専門家」と呼ぶべきである。

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 ところで、専門家の判断と、民主的な議論の結論は必ずしも一致するものではない。両者は、判断の基準やプロセスが異なるからである。当然、簡単に優劣がつけられるものでもない。

 ここで問題となるのは、専門家の判断というものが、社会全体から見て、必ずしも中立的とは限らないという点だ。たとえば、ある組織に属する専門家は、その組織の利益が損なわれるような技術的決定を推奨しづらいだろう。それが、社会一般の利益と相反するケースもある。例えば安全性の確保などは、少なくとも短期的には、そういう傾向がある。

 これに対しては、個々の専門家の倫理の問題だという声もあるかもしれない。だが個人の資質に期待しすぎる「精神論」は危険だろう。適切な制度と人材があいまって、システムは健全に機能するものだ。

 そうだとすれば、専門的な場面に「専門知を備えた第三者」が分け入って、技術的なことも含めて精査する仕組みを導入すべきだろう。

 むろん、さまざまな安全規制や基準などは、元々は、そのような観点から整備されてきたとも言える。また、全ての技術的な決定において、外部の監査を導入するのは現実的ではない。基本的には専門家に委任しなければ、物事は動かないからだ。

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 だが一方で、従来の民主的な手続きだけでは見過ごされてしまうような、いわば「重要なディテール」が議論の俎上(そじょう)にのぼらなかったからこそ、「もんじゅ」も「豊洲市場」も、政治的・社会的な問題になったとも言えるのではないか。

 結局、問題の核心は、民主主義と専門主義の本質的な緊張にこそある。従って、そろそろ抜本的な改革を行うべき時期に来ているのかもしれない。とりわけ、今回の二つのプロジェクトのような、社会的な影響が大きい行政の決定に対しては、新しい仕組みが必要ではないか。

 以上のような状況に対して、欧米ではこれまで、「議会の力」を高める方法を模索してきた。当然ながら行政の行為を監視するのが議会の役割である。しかし、行政と専門家集団が結びついて運営されているプロジェクトを、市民の代表者である議員が読み解くことは、専門的な知識が壁になって容易ではない。もちろん、独自の調査で技術的な本質に切り込む議員もいるだろうが、制度的な支えを作ることは重要だろう。

 そこで生まれたのが、議会が独自に、高度の専門家から成る組織を擁するというアイデアだ。最初は1970年代の米国議会に設置され、後に欧州で広がった。国によって異なるが、例えば英国には、博士号をもった複数の専門家が議員を支援する、「議会科学技術局」という組織がある。その他にも、議会活動の実効性を高めるためのさまざまな工夫が試みられている。

 私たちの社会はいまだに、政治的判断と専門的判断は明確に切り離せるもの、と考えがちだ。しかしこれはもう、過去のものの見方かもしれない。巨額のコストやリスクを伴う大きなプロジェクトを行政が始めようとする時、専門性を高めた議会が冷静に評価をする。それは、一見すると遠回りに感じられるかもしれないが、長期的には十分に元が取れるはずだ。今、大切なのは、失敗から学び、後悔しないためのより良い制度を作ることである。私たちの社会の理性をもう一度、信頼したい。

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 神里達博かみさとたつひろ 1967年生まれ。千葉大学教授。本社客員論説委員。専門は科学史、科学技術社会論。著書に「文明探偵の冒険」など
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