ウサギ、耳、伸びた、私、

このブログはたしかにイタい・・だがどうだろうか。痛みを訴えるのは大事なことだと私は思う。戦争より餓死の方が酷虐なのだから

自己実現と世界の理(ことわり)

2011-05-10 07:41:45 | 哲学/世界観
やりたいことをやる。



世間からの干渉を避けて
一心不乱にやりたいことをやる



それが私のモットーだった


せっかくこの世界に生まれてきたのだ

自分のやりたいことをやって死ぬのが一番いい








しかしこの世界は、そんな単純ではない









世界は、2つの存在により構成されている

自分



自分以外の他人だ


この2つが共に認識を持たなければ世界は存在しない


どちらか1つでも欠けてはいけない



たとえ話をする




目の前にリンゴがある


でも自分以外の他人は、そんなものないと言い出す


それは目の前にあるはずのリンゴがないことに等しい




もしも


自分からしか見えないリンゴ


があるする世界を存在させてしまうと(1人から作られる世界)


他人の中の1人からしか見えないリンゴ(1人から作られる世界)

も存在させてしまうことになる




自分1人だけが存在を作れる世界

と思い込むことで一定時間の安定を得られることもできるが


人間は神ではない


自分以外の他人の目から物事がみれない以上、それは存在不可能な世界だ




どちらにせよ他人から存在の否定を受けたら、自分1人の力では存在を確立することはできないのである



ここではリンゴという物体で例えたが 抽象的な事でも同じことが言える




自分のやりたいことをする


それには、他人からの干渉が必要なのだ



それを拒絶するのであれば、


自分のやりたいことをやっている"ふり"でしかない



それがこの世界の理だ





もう一つだけ例え話をする




誰もいない山に1人で出かけるとする


山頂まで登り 景色のいい眺めを観ながらご飯を食べるのが生き甲斐であり自分のやりたいことなのだ


しかし 自分以外の人が誰1人いない


それは、この世界において 無 に等しい

自己実現とはよべない




ではどうすればいいか


自分以外の他人と山頂で一緒にご飯を食べればいい


そうして初めてこの世界における自己実現になるのだ



だから他人は大事な存在だ

自己と同じくらい大切だといっていい


一緒に登山をした他人からみたらどうだろうか?


人のためになにかをやったという情緒を抜きにしたら自分にとっての直接的な自己実現とは関係ないことの方が多いだろう


しかしいざ自己実現するときにはきっと力になってくれるはずだ



ー人のためになにかをするのが大切ー


これは欺瞞でもキレイゴトでもない

紛れもない事実なのだ

そこから幸福感や満足感が得らない人にとっても
大切なことには変わりないのだから







自分のやりたいことを実現させるには
自分に直接必要でないものや
やりたくないこともやらなくてはならない


自分のやりたいことが無かったり諦めたりしたら
それを見つけようと努力すればいい



見つける気になれなかったら他人のためになにかよいことをしてあげればいい


それは、難しいことじゃない 小さな小さなことでいい

嫌いだと感じても いつか絶対に好きになれる





何故なら貴方は




この世界に唯一無二で"存在"しているのだから





糸冬

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