熊野醉軍

天に導かれるままに、旅紀行を綴っていきまする。

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2008年1月2日 薬師寺および田原本5

2008-01-27 00:05:27 | 近畿(奈良)
((ルート))

 1.薬師寺 → 2.津島神社 → 3.浄照寺

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 さて、田原本の津島神社のあとは、昔よく通った元カノのアパートの近くに
ある有名な浄照寺。先代住職は父や伯父、叔母の恩師だという。ここは、
西本願寺別院、田原本御坊として知られたところで、また、この地は、賤ヶ岳
七本槍の一人として名高い平野長泰が田原本の領主となったことで、彼は終生
江戸詰めであったが、その男長勝が陣屋を築き、以来、平野家とも縁がある。

①浄照寺楼門



②浄照寺表門

 文化財指定は受けていないが、豊臣秀吉の伏見城高麗門の移築門である。
Wikipediaの伏見城の移築関連で抜けていたので、付け加えさせていただいた。



③浄照寺本堂

 奈良県指定文化財

・慶安四年(1651)創建。
・古風な面取り角柱、小屋組など当初材を多く残し、内外陣境の組物・蛙股、
 向拝の木鼻・虹梁等美術的に優れる。
・浄土真宗大規模寺院の典型として文化財指定を受けた。



④境内でどんよりM子師匠



★松慶山淨照寺★  奈良県磯城郡田原本町茶町584

・浄土真宗本願寺派
・賤ヶ岳七本槍として有名な平野権平長泰は、田原本他六カ村の地頭となっ
 たが、終生江戸詰めであり、富田の真宗寺院教行寺に寺内町経営を委嘱。
 しかし、後に田原本陣屋を構築した二代目長勝と教行寺の間に軋轢を生じ
 教行寺は箸尾に去り、長勝はその跡地を二分し一宇を建立、西本願寺の第
 十三世良如門主に寄進。西本願寺別院田原本御坊とし県下に72カ寺の末寺
 や配下を持つに至った。
・門跡寺院として五本筋壁の土塀を許された位の高い寺院。
・名は当初「円成寺」といい、寛延二年(1749)淨照寺と改称。
・慶安四年(1651)創建の本堂は、奈良県指定文化財。
・本堂の前にある表門は、伏見城高麗門の移築である。
・明治十年の明治天皇陛下の行幸、明治二十三年の昭憲皇后の行啓を仰ぎ、
 当時ご使用の書院が現存する。


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