熊野醉軍

天に導かれるままに、旅紀行を綴っていきまする。

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2012年3月13日 三河 1 知立社

2012-03-13 23:00:01 | 中部
 旅の始まり。午前六時半ごろに到着すると、境内にあふれんばかりの人が體操中であった。體操が終わるのを車で待ち、その後、境内へ。最初に目に入るのが多寶塔であるが、逆光のため、寫眞がとりにくい。が、なかなか美しいものである。社としては、感じるものはほとんどないが、境内は小綺麗で氏子に大切にされているであろう事が傳わるところであった。

1.社號標



2.鳥居



3.手水舎




4.橋





 知立市指定文化財

5.拜殿





6.本殿



・流造。
・天保元年(1830)の棟上。

7.多寶塔




 國重要文化財

・嘉祥三年(850)、後の知立社別當寺となる宮寺が天臺宗の僧円仁によって建てられたが、このとき、多寶塔も建てられた。
・現存するものは永正六年(1509)、重原城主山岡忠左衞門によって再建されたもの。

8.攝社親母社



・祭は豐玉媛命。

9.末社小山天社



・祭は少名毘古那命。

10.末社合祀殿



・祭は天照大、豐受毘賣、素盞嗚尊、大物主、倉稻魂命、市杵嶋姫尊、猿田彥大、大山積、菊理媛、伊弉諾尊、伊弉册尊。

11.末社秋葉社




・祭は火之夜藝速男之命。

12.攝社土御前社





・祭は吉備武彦命。

★知立社★ 愛知県知立市西町神田12

・延喜式内社、三河國碧海郡、知立社。
・舊社格は縣社。
・祭は鸕鷀草葺不合尊。彥火火出見尊、玉依比賣命、日本磐余彦尊、聖太子、青海首命を配祀。
・三河國二之宮。
・東海道三社の一社。他は熱田宮、三嶋大社である。
・東海道の池鯉鮒宿の近くに鎭座。
・創建由緒等不詳。
・社傳によると、第十二代景行天皇四十二年(112)創建という。日本武尊が東國平定の際、當地で皇祖のに平定の祈願を行い、無事平定を終えた歸途に、皇祖を祀ったのに始まるという。
・主家永見氏の『永見氏家譜』によると、「天照大御孫天照國照彥火明櫛玉饒速日尊、御子三河姓祖宇麻志麻治命之末三河國造知波屋見命十五世之孫、三河姓貞連、白鳳二年蒙天武天皇勅命爲三河碧海郡知立主」とあり、永見氏は物部氏の末裔ということになる。
・古來より「蝮よけ、長虫よけ」の特殊信仰あり、札を身につければ、蝮蛇に咬まれないと傳えられ、北関東から山隂地方に至る各地に分靈されている。
・川家康次男結城秀康の母に當たる長勝院が職の永見氏出身といい、一説には秀康は當時忌むべきものとされた双生兒であったといい、そのもう一人が夭折した事にされ、母の生家に入り、永見貞愛として育ったという。彼は伯父永見貞親から知立社の職を譲り受けているが、三十一歳にて没する。

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(足跡)
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