產田ノ眞名井戶ノ神ノ末裔ヨリ

天に導かれるままに、旅紀行を綴っていきまする。

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2009年5月12日 相模國、武蔵國、下総國 13 北条氏照供養塔

2009-05-12 23:00:13 | 関東
 八王子城跡の入り口に位置する北条氏照の墓というか供養塔。北条氏照は、豊臣秀吉に滅ぼされた小田原北条氏最後の当主氏政(家督はこの氏直が継いでいたが、実質的には氏政であったと思われる)の三弟にあたる。

 この人は非常に優秀な武将であったことで名高い。兄の氏政は北条氏を滅亡に追い込んだ人として愚人と評価されることが多い人であるが、実際のところ、名将といわれる父氏康が築いた版図を守りつつ、さらに勢力を広げ、北条氏最大の勢力版図を築いた当主ゆえ、彼もまた名将といってしかるべき人なのである。実際、関東の相模、武蔵から上野のほうまで旅をし、北条の名が刻み付けられているのを見ると、その勢力の程が見て取れるし、見たことのない大勢力豊臣秀吉に劣らず、戦えると思った気持ちもわかる。実際、情報収集および解析力に問題があったとても、このレベルの大きな数字になってくると、果たして何人のものが正常な判断が出来るのか、と考えるとあながち、彼を凡将というのは酷に思われるのである。氏政を愚者と申すほとんどの全ての人たちは、おそらく同じ立場であったならば、同様の、もしくはそれ以下の判断をしていたことは想像に硬くなく、彼には非常に同情するものである。

 その兄氏政の片腕として、その才能を使い支えた一人が氏照であるのだ。彼は、実際、最後に「北条」を名乗ったか否かは明らかでなく、大石源三氏照として死んだとも伝えられる。彼は、木曾義仲の末裔という大石定久の娘婿となり、その名跡を継いでいるのである。弟の氏邦は同様に藤田氏に入ったが、、彼は岳父の死後、一族を誅殺したのと異なり、岳父定久死後も義弟などの家族を大切に扱う、義に厚い人でもあったとである。

 氏照は、豊臣秀吉に対し、主戦派であったために重臣を八王子に置き、自らは兄氏政と共に小田原に籠城して戦ったというが、弟たちが一命を助けられたのと異なり、氏政と二人はその死を避けられることはなく、自害して一生を終えたのである。

 その名将北条氏照の本拠地に行き、そして、彼を知ってきたところである。

 八王子城跡は心霊スポットで名高く、霊感が強い人は近づくのも拒むというところと聞いているが、氏照の供養塔に行ったときに、晴れやかな表情で天に吸い込まれていった彼を見たので、一切の怨霊、怨念などを感じることはなかった。

1.墓所への階段



2.北条氏照墓




★北条氏照供養塔★ 東京都八王子市元八王子町三丁目

 東京都旧跡

・豊臣秀吉に敗れ滅ぶことになった小田原北条氏の四代目党首氏政弟であり、木曾義仲の末裔大石定久の婿養子となった北条氏照とその家臣の墓。
・両脇には、八王子城落城時に討ち死にした中山勘解由家範と、その孫で水戸藩家老となった備前守信治の墓が建つ。

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((足跡))

1.酒水の滝 → 2.棚倉神社 → 3.足柄神社 → 4.寒田神社 → 5.比々多神社 → 6.伊勢原大神宮 → 7.高部屋神社 → 8.高森神社 → 9.小野神社 → 10.日々神社 → 11.川尻八幡宮 → 12.八王子城跡 → 13.高麗神社 → 14.茂侶神社
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