產田ノ眞名井戶ノ神ノ末裔ヨリ

天に導かれるままに、旅紀行を綴っていきまする。

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2009年5月15日 上野、武蔵 7 木曾三社神社

2009-05-15 23:00:07 | 関東
 当初は行くつもりはなかったのであるが、調べると愛する木曾義仲の所縁の神社であった為に、急遽、行くことにした。なかなかいいところであった。富岡市の上野國一之宮の貫前神社と同じく下り宮形式で興味深い上、湧き水が豊かで境内の緑がよかった。家臣の石像などは崩れていて何かわからなかったが、四天王の今井さん、楯さんの子孫の方がおられるとは感慨深いものだ。多分、根井さんもいるに違いない。木曾氏も残ってるみたいだし。でも、鎌倉、室町、戦国、江戸、どのように過ごしてきたのだろうか。


1.境内正面



2.一の鳥居



3.古木と社號標



4.二の鳥居



5.三の鳥居と社殿を見下ろす眺め



6.三の鳥居の周辺から見る拝殿



7.石橋と拝殿



8.拝殿



9.扁額



 従五位源直方とあるが、誰であろうか。

10.本殿




11.拝殿と本殿(側方から)



12.木曾氏遺臣の像



 木曾氏遺臣のモデルがわからない。楯七郎親忠かな。

13.御腰掛岩



 誰の腰掛岩か不明。木曾義仲の三男という義基か。

14.本殿側方付近の末社群



15.本殿に向かって右手側の末社群



16.本殿に向かって左側の末社



17.湧玉とその周囲の植物群




 赤城山麓で最も豊かな湧き水という。

18.社殿側から見る参道




★木曾三社神社★ 群馬県渋川市北橘町下箱田

・旧社格は縣社。
・祭神は須佐之男命、彦火火出見命、豊玉姫命、宇気母智命。
・元暦元年(1184)、木曾義仲が近江國粟津で討死後、義仲の三男と伝えられる義基を伴い、落ちてきた家臣今井、高梨、町田、小野沢、萩原、串渕、諸田等が、義仲が崇敬した信濃國の延喜式内社である筑摩郡の三座岡田、沙田、阿礼神社をこの地に勧請して創建したものと伝えられる。
・木曾義基が、藤原氏によりこの地を与えられたことに由来するというが、不明。
・滝之宮、木曾明神とも言う。
・関東管領上杉氏や白井城主長尾氏、歴代の前橋城主の崇敬厚く、神田の寄進や社殿の修復が行われた。
・寛政元年(1789)、火災にあい、同六年(1794)に再建、さらに明治二十年代に大改修を受けている。

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((足跡))

1.赤城神社(三夜沢) → 2.赤城神社(大洞) → 3.木曾三社神社 → 4.木曾三柱神社 → 5.棚下不動の滝 → 6.甲波宿禰神社 → 7.榛名神社 → 8.月波神社 → 9.箕輪城跡 → 10.妙義神社 → 11.高城神社 → 12.茜や
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