熊野醉軍

天に導かれるままに、旅紀行を綴っていきまする。

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2015年2月16日 宗像 14 織幡神社

2015-02-16 23:00:14 | 九州
 宗像最後の訪問先。疲勞もあり、夜中までには廣島の安藝髙田まで行く予定であったため、長時閒の運轉もあり、惱んでいたのではあるが、結局行くことにした。まあ、本當に海に近いところであった。

 正直、神社としてはあまり感じるものはなく、やはり、神は武内宿禰だな、という感触。ただ、地域的、傳承からも考えると海人族の神がこの小さな山もどこかに祀られていたのではないか、と思わざるを得ない。もしくは、山麓のどこかにあったのかもしれない。いずれにしても、海人族と半島からの渡來者が侵畧ではない形で融合したときに、驚くような技術を持つ渡來系の神を崇拜するようになったのかもしれない。

 ただ、個人的にはあまり興味はわかない神社である。

 この後は、長い旅路であった。とりあえず、國道四九五號線より岡垣で國道三號線に入り、關門トンネルを目指す。で、山口縣に入った後は、國道九號線、三七六號線、再び、二號線と走り、廣島市まで行き、北上、國道五十四號線から縣道五號線に入り、日が變わってはいたが、無事に道の驛舞ロードIC千代田に到著、仮眠となる。途中、山口市の道の驛仁保の郷で半時閒休憩をしている。

1.一之鳥居



2.社號標



3.二之鳥居



4.參道石段




5.拜殿




6.本殿



7.拜殿、本殿



8.海に沈んだ釣鐘と思われていた巨石



9.筑前鐘崎海女像



10.末社



11.末社



12.末社須賀神社



13.末社




14.沓塚




15.末社今宮社




16.末社惠比須神社

 

★織幡神社★ 福岡県宗像市鐘崎字岬224

・延喜式内社、筑前國宗像郡、織幡神社、名神大。
・舊社格は縣社。
・祭神は中座に武内宿禰、西座に住吉大神、東座に志賀大神。天照皇大神、宗像大神、香椎大神、八幡大神、壹岐眞根子命を配祀。『神名帳考證』は大御食津神、『太宰管内志』は吳織、穴織とする。山上伊豆母は『風神考』で、ハタを海神、風神の依代とし、航海民や海人集團の信仰とする說を述べている。
・玄界灘の航海の難所とされる鐘崎沖に面した岬の突端、佐屋形山の山頂に鎭座。
・鐘崎から神湊にかけての海濱は、古くから海部鄕に比定され、海に關わり深い地域であるが、當社の主祭神は、海神系の志賀(安曇)神、住吉神ではなく武内宿禰とされている。
・創建年代不詳。
・祭神、社名の由來について異說あるが、文安年閒(十五世紀中頃)成立の同社緣起によると、「金崎織幡大明神は本地如意輪觀音、垂迹は武内大臣の靈也」とし、その社名の由來を「神功皇后の三韓出征」にからませ、そのとき、武内宿禰が赤白二流の旗を織って宗像神の竿につけたことによる、と傳える。
・宗像神と機織に關わる傳承は、應神紀三十七年條に「阿知使主、都加使主を吳に遣して縫工女を求めしむ・・・吳の王、是に工女、兄媛、弟媛、吳織、穴織、四人の婦女を與えぬ」とあり、同四十一年條に「阿知使主等、吳より筑紫に至る。時に胸形大神、工女等を乞ひませり。故、兄媛を以て胸形大神に奉る。是れ則ち今、筑紫國に在る御使君の祖なり」とある。彼らは、大和國髙市郡檜前に住んだ朝鮮からの渡來集團である。これらの傳承からみて、宗像神と機織との關係も、五世紀に朝鮮から機織技術を持った集團が渡來し、宗像地方に定住したことから生じたものと思われる。これらが渡來集團の祖とされる武内宿禰が祭神となっている要因であると思われる。
・創建以來、神官は代代、壱岐氏、髙向氏の同族が務めている。

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(足跡)
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2015年2月16日 宗像 13 道の駅むなかた

2015-02-16 23:00:13 | 九州
 小雨の中、少し、道の駅むなかたの駐車場で昼寝休憩。その後、広島の安芸高田へ向けての大移動もあるので、おそらく山道を行く予定で、食べ物屋は期待できなかったので、ご飯ものを求めて、道の駅に行った。とりあえず、フグの炊き込みご飯(カナトとこの地域では呼ばれるがシロサバフグ)とイカのフライを買った。これは後で、山口の道の駅仁保の郷にて、休憩中に食した。おいしかったですぜ。

1.道の駅むなかた



2.河豚ごはん



3.イカフライ

 

●道の駅むなかた●

住所 福岡県宗像市江口1172

電話 0940-62-2715

HP http://www.michinoekimunakata.co.jp/

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2015年2月16日 宗像 12 宗像大社境外末社皐月宮

2015-02-16 23:00:12 | 九州
 道の駅むなかたの道を挾んだ反對側の奧にある皐月宮。宗像大社にも關係があるとのことでとりあえず行ってみた。神籬が殘っている綺麗な松原ではあるが、なんか抜け殼のようにしか感じられなかった。因みに對岸には濱宮というのがあるそうだが知らなかったので行かなかった。

1.參道、神籬




2.神籬



3.境内

 

★宗像大社皐月宮★ 福岡県宗像市江口

・祭神は瀨織津姬命、宗像三柱神、速秋津姬命。
・舊皐月神社祭神は瀨織津姬命、宗像三柱神、速秋津姬命。神功皇后を配祀。
・宗像大社邊津宮境外末社。
・舊皐月神社は辻八幡神社に合祀されている。
・每年五月五日、當地にて宗像大社邊津宮の二大神事の一つ五月會神事が行われる。
・古くは宗像大社邊津宮の頓宮であった。
・大正十四年(1925)四月一日、大字江口字原ニ鎭座の無格社原神社(祭神神功皇后)を合祀。

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2015年2月16日 宗像 11 らーめん湊龍

2015-02-16 23:00:11 | 九州
 大島に行くフェリーに乗るために神湊に行く途中に店を発見し、何かを感じたので、大島から帰ってきて、直行した。ちょっと昼ご飯時の後半であったが、割とすんなりと席につけ、注文できた。チャーシュー麺とご飯。写真の品物。

 今回の旅では結構、九州のラーメンに肩すかしを食らっていた感じだったので、最後の期待をかけての一口め。うん、あっさりだが、味もしっかりとしており、おいしい、と感じた。個人的には好きな味。チャーシューもスープにあっていておいしい味。今回の九州の旅行で正直一番おいしかった。もし、家が近かったら毎週食べに行くだろうことだけは確実と思う。

 行ってよかった。

1.チャーシュー麺とご飯

 

(味評価)
★★★★★★★★☆☆ 8/10点

◆らーめん湊龍◆

住所 福岡県宗像市神湊44-2

電話 0940-62-3033

営業時間 10:30-15:00(ただし、気分で変わるらしい)

定休日 水曜日

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2015年2月16日 宗像 10 フェリーターミナルへの歸り道

2015-02-16 23:00:10 | 九州
 なんとなく九州旅行最終日でもあり、睡眠不足、日日の旅の疲れもあり、重い足を押して戾った。フェリーの時閒をチェックしていなかったために四十分待ちという非常に暇な狀態で、賣店でカップ麺とカレーパンを食することにした。とても暇だった。

1.海岸




2.港



3.大島港フェリーターミナル



4.フェリー



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2015年2月16日 宗像 9 夢の小夜島

2015-02-16 23:00:09 | 九州
 觀光案内圖にあった「夢の小夜島」へ行ってみた。天氣が惡いので色が惡く、いい寫眞が撮れなかった。無念である。明け方とかはかなり美しいのではないかと思われる。水が引いてる時なんかは、というか濡れてもいいなら、島の上までロープを傳って登れるらしいね。




 

★夢の小夜島★ 福岡県宗像市大島

・祭神は道祖神。
・連歌師宗祇が『筑紫道中記』の中で、「濱千鳥 聲うちそへて おほしまの 波の閒もなく 誰を戀らん」 とこの地を歌っている。

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2015年2月16日 宗像 8 戾り道中

2015-02-16 23:00:08 | 九州
 沖津宮遙拜所のあとはまず、海岸沿いに行き、東側の岩場を激寫。その後、來た道とは一本東側の道をまっすぐ南下し、夢の小夜島方面を目指した。途中、魚の頭を食べていた鳶がいたが寫眞を撮ろうとしたら逃げていった。


1.岩場




2.標語



3.遙拜所に接する溝のゴミ



4.民家



5.溜池



6.鳶が殘していった魚の頭

 

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2015年2月16日 宗像 7 宗像大社沖津宮遙拜所

2015-02-16 23:00:07 | 九州
 二キロほど丘を越えて步き、沖津宮遙拜所に到著。想像されたとおり、どんよりとした空模樣なので何も見えない。天氣だと沖ノ島が見えるらしいが殘念である。まあ、そんなもんだろう。ところで、燈籠に「瀛津宮」という難しい感じの名稱が。意味としては有りだと思うが、これを「おきつ」と讀むのは當て字すぎる氣がする。あと燈籠の「筑前宰相源朝臣齊溥」の名。誰かと思い調べた。島津重濠の十三男で筑前福岡藩に養子に行った福岡藩十一代目藩主黑田長溥のことらしい。まあ、すごい人だったらしいが大甥にあたる二歳年長の齊彬とは兄弟のようだったらしい。なぜ源かと思っていたが、黑田は京極氏の末裔を稱しているし、島津も賴朝落胤を主張していたのだから、近江源氏もしくは淸和源氏の末裔を稱して姓をそのようにしていたのであろうな。でも、昔、長い歷史の中、地を治めていた人たちに神社は大切にされてきたのに、今の日本はいろいろな意味で地に堕ちていき、それすらもしていない。伝統も失い、歷史を知らず、哀れなものである。

1.向かい岸からの姿




2.參道、鳥居、拜殿



3.拜殿




4.石祠



5.澳嶋拜所石碑



6.沖ノ島方向の眺め(見えない)



★宗像大社沖津宮遙拜所★ 福岡県宗像市大島

 國史蹟

・遠く沖ノ島(沖津宮)を望み參拜するために建立された。

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2015年2月16日 宗像 6 大島を北へ

2015-02-16 23:00:06 | 九州
 安倍宗任の墓所から元の道に戾り、ただただ、次は海にぶつかるまで北上。その近くに、沖津宮遙拜所があるはず。
また、中学の橫を通るのであるが、学校の敷地を出た北側の丘になんやら鳥居が見えたのだが、足場が惡く、時閒も限られているため、氣にはなったのだがスルー。ただただ北上。途中、工事をしていたところも通り過ぎ、小雨で濡れていたため、若干蒸れながらも海まで到著し、沖津宮遙拜所の矢印を發見した。

1.道中



2.田圃




3.海に到著



4.遙拜所入口への小道

 

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2015年2月16日 宗像 5 安倍宗任墓所

2015-02-16 23:00:05 | 九州
 フェリーターミナルで觀光案内圖を見つけて、見ていたのであるが、まさかこんなところに流されていたとは知らず、「なんで?」という氣持ちとともにとりあえず、地圖に記された地を探し求めた。簡單な說明を見ると、二度目の配流の地で、沒地ということであったのでびっくりした。兄貞任とともに敎養もあり、蝦夷を粗野で無敎養と差別的に蝦夷を見下していた都の人人を驚かせる一面を持っていた。彼ら、俘囚は大墓公阿弖利爲、磐具公母體からの大和朝廷との戰いの中にあり、結局は、藤原泰衡が源賴朝に敗れるまで續いていたのだが、奧陸の頭領たちはすべて優秀であったことがもったいなくてならない。因みに奧州藤原二代基衡の妻が宗任の娘であり、毛越寺の鄰の寺の蹟に、その方の墓もあった。そういう意味では宗任とは緣があるものだなあ、と思わなくもない。まあ、大島での嬉しい偶然であった。

1.安倍宗任墓所



2.郞等たちの墓か




★安倍宗任墓所★ 福岡県宗像市大島

・長元五年(1032)生、嘉承三年二月四日(1108.03.18)沒。
・平安時代中期の武將。陸奧國の俘囚の長とされる豪族、安倍氏の安倍賴時の子。
・鳥海栅の主で、鳥海三郞とも呼ばれる。
・嫡妻であった淸原氏の子として嫡子格の地位にあったと推察されているが、賴時死後は兄の貞任が蹟を繼いでいる。
・前九年の役で、奧州奧六郡を基盤とし、父賴時、兄貞任とともに源賴義と戰った。一族は奮戰し、貞任らは最北の砦厨川栅で殺害されるが、宗任らは降服し一命をとりとめ、源義家に都へ連行された。その際、奧州の蝦夷は花の名など知らぬだろうと侮蔑した貴族が、梅の花を見せて何かと嘲笑したところ、「わが國の 梅の花とは見つれども 大宮人はいかがいふらむ」と歌で答えて都人を驚かせたという。
・前九年の役の後、四國伊豫國に流され、現在の今治市の富田地區に三年閒居住したが、その後少しずつ勢力をつけたために、治曆三年(1067)に九州の筑前國宗像郡の筑前大島に再配流された。
・大島の景勝の地に自らの守り本尊として奉持した藥師瑠璃光如來を安置するために安昌院を建て、嘉承三年(1108)二月四日に七十七歳で亡くなった。
・長男宗良は安倍權頭として、大島の統領を繼いだ。その子孫の安倍賴任は、九州の劔豪として知られ、秋月氏に仕え、劔術流派安倍立劔道を開いた。
・三男季任は肥前國の松浦に行き、松浦氏の娘婿となり松浦三郞大夫實任と名乘る。その子孫は北部九州の水軍松浦党を構成する一族になったともいわれている。その子孫には第九十、九十六および九十七代内閣總理大臣安倍晋三がいる。

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(足跡)
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