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トヨタカップの記憶2(1994年ACミラン対べレス)

2015-12-15 22:06:06 | ワールドサッカー
トヨタカップの記憶で、試合内容が印象にある中で最も古いのは1994年のACミラン(イタリア)対べレス・サルスフィールド(アルゼンチン)です。当時は今ほどワールドサッカーを映像で見られなかった時代で、南米のべレスはもちろん、ACミランもこのときが初めての観戦でした。当時、欧州CLを優勝したACミランですが、当時はトヨタカップがリーグ戦の合間の平日に行われていた時代です。

強行日程のACミランは、どうやら何が何でもクラブ世界一を狙うというモチベーションは低かったかもしれません。事実、当時ミランのスポンサーだった自動車メーカー、オペルの販促活動に試合前の貴重な時間を割いて選手が従事したほどでした。

それは試合にも現れていました。相手の南米チャンピオン、べレスの方がコンディションが上だったからです。当時、べレスにはパラグアイ代表GKチラベルトがいました。のちに日本でも有名になり、さまざまな日本のテレビ番組に出演して話題を呼んだチラベルトですが、当時はまだ無名の若手でした。

また、べレスの選手で印象的だったのは、FWのアサドです。マラドーナに良く似た、低い身長ながら重心の低いドリブルが武器で、一時100kgを超えていた体重をこの大会に合わせて90kg台に絞っていました。当時はマラドーナの薬物使用による余韻があった頃で、マラドーナの再来に思えたアサドは刺激的でした。もっとも、アサドの名前を聞いたのはこのとき限りで、アルゼンチン代表などで活躍することはありませんでした。

ミランは、コスタクルタがバックパスをミスして拾われ、後ろから相手を押して一発退場になるなど精彩を欠き、試合は2-0でベレスが勝ちました。当時の中継では、何とかこの両チームに興味を持ってもらおうと、いろんなエピソードを話していました。今でも覚えているのは、ベレス・サルスフィールドという名前が鉄道の駅の名前で、この駅の周辺にサッカー好きが集まってクラブを作ったことから、そのまま駅の名前をクラブ名にしたことです。

当時、海外のクラブは100年、日本のプロチームはできたばかりと、歴史には圧倒的な差がありました。日本のJリーグも、アメリカの北米リーグが10年ほどで消えた過去から心配する声もあった頃です。今、20年を超えたJリーグ、さらなる発展を願いたいです。

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1 コメント

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Unknown (ミラニスタ)
2020-05-01 12:27:20
この年のミランは列記とした欧州王者ですよ
マルセイユ八百長で代替出場はこの前の年のミランvsサンパウロですよ

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