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練習生から10番へ(福永泰)

2013-04-22 18:58:09 | 浦和レッズ
今日は通院で休暇です。湘南戦の勝利は嬉しくてレッズネタが何本も出ましたが、敗戦の後はなかなかネタが出ないので、困ったときの昔話で第1期オジェック政権を支えた名手、福永泰選手の思い出です。福永が入団したのはオジェックの1年目の1995年で、最初は練習生として入団しました。

前年の1994年、浦和は登録人数51人という大量の選手を置きながら結果を出せず、この年は大卒新人の土橋と福永だけという少数精鋭の採用にとどめました。当時の川淵チェアマンからは、浦和がこのまま最下位を続けるようなら特例でJFLに降格させると脅されていた、厳しい年でした。

福永にとってはオジェックがいろんな選手にチャンスを与えていたのは幸運でした。練習生でありながら、トップチームの試合に出場していた福永は、プロ契約を勝ち取るのは当たり前で点に絡む活躍を見せました。1stステージで優勝目前まで行った当時の浦和で攻撃を牽引した一人です。

福永といえば、複数のポジションをこなせた「ポリバレント」の走りでした。FW、トップ下、ボランチを高いレベルでこなし、歴代監督の信頼を得ました。今でも覚えているのは球離れの良さと精度の高いセットプレーです。

彼が一番やりたかったポジションはトップ下でした。ただ、テクニックには自信のあった福永も小野伸二の加入は衝撃的で、こんなにうまい選手なら小野伸二中心のチームを作らなければと思ったというエピソードもあります。小野伸二加入後はFWとして出ることが多くなり、ボールを引き出すセンスはさすがでした。

晩年は度重なる負傷で苦しみ、最後は仙台に移り引退します。ただ、浦和のオールドファンには夢だった第一期オジェック政権の中心選手だった福永は、たまにOB戦で見られます。スピードを武器にした大柴あたりは今はメタボ状態ですが、テクニックを武器にした福永はまだ高いテクニックを持っていて、少し当時を思い出します。

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