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県北が生んだ天才少年(原口元気)

2018-03-22 22:35:04 | ワールドサッカー
代表期間なので、代表選手を取り上げます。今回は左FW候補の原口元気選手です。原口は埼玉県江南町(現熊谷市)の出身で、少年時代から「江南南サッカー少年団に天才少年がいる」と注目を集めていた存在でした。中学時代から、浦和のジュニアユースで育成されてきた「浦和の秘宝」です。

もっとも、当時指導した池田伸康コーチ(現トップチームコーチ)によれば、中学時代の原口はまだまだ自分勝手なところもあったそうです。チームのためにプレーするという意識をこの時に学び、ユースに上がった当時は浦和ユース史上最強のチームとして、1学年上の山田直輝、高橋峻希らとともに高円宮杯を優勝する活躍を見せます。

17歳でトップチーム入りした原口は、就任したばかりだったフィンケ監督の目に留まり、開幕戦でいきなりスタメン左MFで起用されます。当時はまだまだフィジカルが弱かった原口ですが、ポンテなどが見せるダイレクトプレーに反応できるサッカーセンスの良さは当時から光るものがありました。ドリブルで抜いて決めた、C大阪戦のミドルシュートは今でも思い出せます。

原口にとって、試練だったのはミシャ時代の2012年に1トップで起用されたことです。当時、FWしかできないタイプを放出していた浦和は、MFタイプの原口をFWでプレーさせざるを得ませんでした。その1トップでフィジカルで潰される苦労を味わった原口ですが、その経験が本来のポジションであるシャドーに戻ったときに生きました。

海外挑戦はドイツのヘルタ・ベルリンでした。当時、浦和との契約が半年残っていましたが、移籍金を払ってでも今すぐ欲しいと判断したヘルタ側が、移籍金8000万円を支払って獲得しました。この移籍金で、浦和はレッズランドにフットサルコートを作り、原口自身のサインもこのコートに残されています。

ヘルタでは左MFとして起用されていましたが、出番が減りドイツ2部に移籍したのが今シーズンです。代表では最終予選でこそ結果を出しましたが、今はその優位性は失せ、横一線のポジション争いが待っています。是非ともロシアW杯のピッチを踏んで欲しいと、かつて浦和でプレーしていたこともあって思っています。

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