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三軍から這い上がる(宇賀神友弥)

2018-10-24 22:06:30 | 浦和レッズ
今日の天皇杯鳥栖戦は、テレビの前に座れたのが後半頭だったので明日以降に回し、ヒーローとして先制点の宇賀神友弥選手を取り上げます。宇賀神の経歴を見ていると、流通経済大学の前にある「クラブ・ドラゴンズ」があります。これは何だろうと思う方もいらっしゃると思います。クラブ・ドラゴンズは流通経済大学の3軍チームで、なかなか一軍に上がれなかった宇賀神が下積み時代を過ごしたチームです。

今のチームメイト、武藤雄樹とは流通経済大学の先輩後輩の関係ですが、1年生から試合に出ていた武藤雄樹を、2年生の宇賀神がスタンドで応援していたこともあるという関係です。そんな宇賀神の開花は4年生のときでした。浦和の特別指定になり練習を積むと、流通経済大学の一軍が天皇杯でガンバ大阪と対戦した試合で左MFとして機能し、自信をつけて浦和に加入してきました。

もっとも、プロでは即戦力とはいかなかった過去があります。宇賀神の場合、4バックの左SBにあまり向いていない欠点があります。新人時代のフィンケ監督は左MFで起用して、持ち味の攻撃力を生かしてくれましたが、翌年のゼリコ・ペトロヴィッチ監督時代に4バックの左SBで出て、頭上を抜かれるミスをしてから、出番を失うことになります。

彼がプロで成功できたのは、間違いなくミシャのサッカーに向いていたからです。3バックのアウトサイドというポジションは、体力レベルの高い宇賀神の攻撃力を生かすには最適の場所でした。毎年のように、左アウトサイドには即戦力を補強されましたが、その挑戦を跳ね返してミシャ時代のほとんどを左アウトサイドで過ごすことができました。

もちろん、ミシャがどちらかといえば体力レベルの高いタイプを好んだという運もありますが、宇賀神自身も体を強くすることを意識した肉体改造に励み、守備力も向上させたことが成功できた理由です。ミシャ解任後は堀監督に左SBで起用されますが、堀監督の解任後は再び3バックに戻るという、彼にとっての追い風がまた吹きました。

地元戸田市育ちの宇賀神には、是非ともサイドのスペシャリストとして、これからも浦和を支えていって欲しいと期待したいです。
ジャンル:
サッカー
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