今回の大相撲生観戦では、土俵下の親方衆の写真も撮ってきました。その元力士たちのネタを書こうと思い、今回は元関脇水戸泉の錦戸親方を取り上げます。
水戸泉は、190cmを超える上背を持っていた力士でした。その相撲振りは、とにかく肩越しだろうと何だろうと、右上手を引けば強引な投げを打って勝てるという不器用な力士でした。ベテランになっても、そんな強引な相撲で勝っており、いつまでたっても若手のようなイメージを持っていた力士でした。
彼のイメージは、膝に古傷があって休場が多かった記憶です。関脇以下の力士にしては、当時の横綱千代の富士と同じくらいの休場数という、ありがたくない記録も持っていました。そのため、水戸泉はよく十両に落ちてから再起しており、十両に落ちるくらいではへこたれない強さを持っていたともいえます。
ただ、そのあまりうまくない相撲振りと、変化のない正直な立ち合いゆえに、上位力士からは比較的取りやすい相手と思われていたようです。とにかく右上手さえ取られなければ勝てると、その巨体を突き起こす相撲に弱かった印象です。もっとも、相手を引っ張り込むことさえできれば、上位とも互角に取れる力はありました。
水戸泉は、平幕優勝を一度果たしています。弟の梅の里も幕下力士で、この優勝で兄弟で喜び合った姿は今でも思い出せます。勢いに乗れば強い、そんなところも見せてくれた優勝です。また、水戸泉といえば、大量の塩を撒くパフォーマンスでも有名だった力士でした。
このパフォーマンスには後継者も現れており、北桜、旭日松と受け継がれています。当時のロンドン公演で「ソルトシェーカー(大塩撒き)」と紹介されたこともあります。
懐かしい青春時代の関取衆が取っていた昔の相撲は今でも美しく、自分の中で輝いている思い出です。
水戸泉は、190cmを超える上背を持っていた力士でした。その相撲振りは、とにかく肩越しだろうと何だろうと、右上手を引けば強引な投げを打って勝てるという不器用な力士でした。ベテランになっても、そんな強引な相撲で勝っており、いつまでたっても若手のようなイメージを持っていた力士でした。
彼のイメージは、膝に古傷があって休場が多かった記憶です。関脇以下の力士にしては、当時の横綱千代の富士と同じくらいの休場数という、ありがたくない記録も持っていました。そのため、水戸泉はよく十両に落ちてから再起しており、十両に落ちるくらいではへこたれない強さを持っていたともいえます。
ただ、そのあまりうまくない相撲振りと、変化のない正直な立ち合いゆえに、上位力士からは比較的取りやすい相手と思われていたようです。とにかく右上手さえ取られなければ勝てると、その巨体を突き起こす相撲に弱かった印象です。もっとも、相手を引っ張り込むことさえできれば、上位とも互角に取れる力はありました。
水戸泉は、平幕優勝を一度果たしています。弟の梅の里も幕下力士で、この優勝で兄弟で喜び合った姿は今でも思い出せます。勢いに乗れば強い、そんなところも見せてくれた優勝です。また、水戸泉といえば、大量の塩を撒くパフォーマンスでも有名だった力士でした。
このパフォーマンスには後継者も現れており、北桜、旭日松と受け継がれています。当時のロンドン公演で「ソルトシェーカー(大塩撒き)」と紹介されたこともあります。
懐かしい青春時代の関取衆が取っていた昔の相撲は今でも美しく、自分の中で輝いている思い出です。