こばさん

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男が男に惚れるとき

2006-06-12 01:18:01 | 野球好き


人はいくつの夢を見て、そのうちいくつの夢を叶えられるのだろう。叶えられる夢と叶えられない夢・・・圧倒的に、叶えられない夢の方が多い。その夢をあきらめたとき、人は悔やむ。悲しむ。落ち込む。しかし、自分に変わってその夢を叶えてくれる誰かを見つけたとき、再び生きる希望を見出せる。

子供の頃の夢は野球選手。その夢を一緒に見続けてくれたのは、掛布雅之

掛布を知ってから、左打ちに変えた。サードを守った。打席に入れば、右手でグルグルとバットを回し、左手で体のあちこちを触り、最後にバットをチラッと見て、ピッチャーに向かった。選ぶ数字はいつだって31。その聖域には誰にも踏み込ませなかった。初めてホームラン王になった翌年、1980年、絶不調の掛布は8月に入ってもホームランが一桁台。そんなときに死のロードで訪れた平和台球場。観客席に座る僕の前で、掛布は鮮やかな一発を放ってくれた。いつでも見られるものではなく、記録となったものでもなく、ただ自分のために打ってくれたホームラン。今までに見たどのホームランよりも、あの夜の一発が一番美しい。

掛布が引退し、社会に出て野球に対する興味が薄らいできた頃、救世主のごとく現れたのが、城島健司

弱いチーム、その中で下手くそなキャッチャー。やんちゃでわがまま。しかし燃える闘志は誰にも負けない。世界一の監督にも信念は曲げない。次第にプロとして成長していく姿。それは社会人として未熟だった自分の人生とも重なり合い、城島ともに自分も成長していった。そして登りつめた日本一の捕手の座。自分の力でチームを導いていく統率力。城島と歩んだ11年は、常に階段を上っていく日々だった。

そして、城島が日本を旅立つことが決まった昨年末、次に自分を奮い立たせてくれる選手は誰かと考えたとき、真っ先に思いついたのが村田修一

村田を初めて見たのは、彼が1年目の2003年4月、横浜スタジアム。まだ彼の名前を知らなかった僕の目の前で、豪快なホームランを2打席連続でレフトスタンドに叩き込んだ。思い切りのいい選手が出てきた。――それが村田に対する最初の印象だった。

首脳陣・マスコミの低評価をよそに、僕が観戦する試合では村田はよく打つ。歴史に残る交流戦初戦、雨中の逆転サヨナラヒット。9番を打たされた屈辱の試合、最終回の決勝ホームラン。自分のために活躍してくれる選手。村田との相性は抜群だ。

このブログで村田のことに最初に触れたのは、去年の11月13日、ベイスターズの2005年回顧。ここで来シーズンの期待の選手として村田の名を挙げ、「タイトル争いに加わってほしい」と書いた。来シーズンではなくてもいつかそんな選手になってほしい、そういう想いだった。

6月11日時点、ホームラン20本、打点60。現在セ・リーグの二冠王。ベイスターズの新しい4番。プロ4年目、これまで眠っていた才能が一気に爆発。本当にタイトルを狙える選手になった。自分の見た夢が、早くも今年果たされようとしている。

この男になら、自分の夢を託せる。
この男となら、一緒に夢を追い続けられる。
この男の力で、夢は現実のものとなる。

村田修一、25歳。これからこの男と何年も同じ夢を見続けられる。



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2 コメント

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村田選手 (妃垣俊吾)
2006-06-12 02:59:41
このままホームラン量産といって欲しいですね。後からリグス選手らが追いかけてきていますが…。50発越えを期待したいですね。
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妃垣俊吾さんへ (こば)
2006-06-13 00:45:33
ホームランは、いけるような気がします。もともと長打力はありますからね。打点を稼ぐには、1~3番にも頑張ってもらわないといけませんね。でも、昨日のイ・スンヨプのホームラン取り消しは、正直ホッとしてしまいました。。
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