デジカメぶらりぶらり

デジカメのほやほやの写真をご覧下さい。

パラリンピック

2012-09-01 05:55:43 | Weblog
信じられないことが、脊髄損傷で下半身が麻痺した人は、余命2、3年といわえていた。床ずれでの感染や尿毒症であっけなく、命を落とした。早く死ぬ方が周囲の人々にとって好ましいとまで考えられていた。

それを、一人の医師が変えた。迫害を逃れ英国に逃れたユダヤ人のグットマン博士は内科や外科の医師らがばらばらに行っていた脊髄損傷の治療に、チームワークを持ち込んだ。機能回復にスポーツを使い始めた。

効果は絶大だった。8割の脊髄損傷者が半年の治療で社会復帰するまでになった。第2次世界大戦末期にロンドン郊外のストーク・マンデビル病院で起きた革命だ(中村太郎著『パラリンピックへの招待』岩波書店)。

この病院で始まった競技大会はもう一つの五輪と呼ばれるまでになった。英国で開幕したパラリンピックには、4千人以上の選手が参加している。「失った者を数えるな、残されたものを最大限に活かせ」という博士の精神が、開花した。

ただ、一つ忘れてはならないことがある。英政府が博士を招き脊髄損傷治療に力を入れたのは、戦争のためだったということだ。余りに多くの若者が、戦闘で障害者になった。

きょうもまた、シリアやアフガンでは戦闘が続く。自らの手や足、そして命を失う人がこの瞬間もいる。人類の輝かしさと愚かしさは、ともに果てがないかのようだ。