KJだより

アロマとコーチングをこよなく愛するナースとして徒然なるままに・・・。

広告

※このエリアは、60日間投稿が無い場合に表示されます。記事を投稿すると、表示されなくなります。

先祖代々墓石の購入

2010-05-29 07:54:41 | Weblog
父の死に伴い、我が家の墓石を先祖代々の物に替えることにした。
今までは個人別あるいは夫婦別になっていたが、ご近所さんが皆そうしているのでうちもそうすることにした。
将来私が入るかもしれないことを仮定して、お金は出すけど口は出さず。
さっぱり墓石についての予備知識がないので母に任せるしかない。
私はてっきり石材店まで出掛けて、購入決定をするのだと思っていたが、違った
何と!母は墓場にメジャーを持ち込み、ご近所さんの墓石の寸法を測り始めたのだ!!
「墓石やさんにある見本よりたくさん並んどるし、こっちの方が本物やろ。石屋さんにきてもろたらええんやで」
ほ~。そうやって墓石の購入は決めるのか。
びっくりした。

しかし、ここからが問題である。
我が家には何故か姓の違う植木家の墓石が並んでいる。
「○○家先祖代々之墓」に集約してしまってもよいのかどうか?
お寺さんに聞いたら、「血のつながりがなかったらそれはおかしい」とのこと。
そこで仏間にある「繰り出し位牌」というのを見ていたら、難しい漢字で
「○○家は末代まで植木家のお墓を守りなさい」というようなことが書いてある札が見つかった。さっそく老僧に相談に行った。(老僧は88歳だけどとても明晰である)
年号を見て、「これは200年くらい前のですな」
日本史で習った元号が出てきて驚いた。
細かいところは分からないが、すごい昔から続いている家のようだった。

墓石の購入がきっかけで、自分のルーツを探るためにちょっとした歴史研究をしているみたいでおもしろかった。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

20年後は葬祭コーディネーター

2010-05-27 19:53:50 | Weblog
本日、父の葬儀を終えた。
地元の葬祭業者に依頼し、会場で行った。
保守派の私は、昔ながらに自宅でやりたかったけど時代の流れには逆らえなかった。
しかし、正解!!大満足だった。

地元密着の個人の会社なので小回りが利いていた。

しっかりグリーフワークまでしてくれていた。
それは故人を偲ぶために、家族が回想する機会が何度があったからだ。
インタビューを受け、それを元に文章を作成してくれた。特に会葬礼状については、決まり切った文言ではなくオリジナルの物が出来上がってきたので驚いた。
これらの作業を通じて残った家族はグリーフワークをしているのだと思った。

帰宅後、縁があって担当の葬祭コーディネーター(専務)さんと話をじっくりした。
5年前の6月に父をがんで見送ったという。
「自分で包丁を使って好きな食事を作ってあげたかった」
「時のねじを巻き戻すことができたら、一日でもよいので家で過ごす時間を作ってあげたい。仕事で1日に2回ご遺体を病院へ迎えに行っていたのに、すぐそこまで来ていたのに忙しくて十分に会いに行くことすらできなかった。でも、父が一番自分の仕事のことを応援してくれてたのです。
その後の葬儀は自分の思うように取り行うことができましたが、亡くなる前のことは今になっても悔やんでます。
だから、人生の大切な節目、取り返しがつかずに後悔することがないよう葬儀の仕事をしたいと思ってやっている」

5年前はまだこの地域に緩和ケア病棟がなく、在宅介護の環境も充実していなかったと思う。今は在宅緩和ケアも可能な環境に変化してきている。
定年までの20年間は、「家の畳の上で死にたい」という患者さんの希望がかなえられるよう仕事をし、定年後は葬祭コーディネーターに転職して仕事をしてみたいと思った。
高齢多死時代を迎える中で、仕事を通じて得た経験をもとに新しい分野を創造し、社会に役立つ仕事ができればと思う。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

エンゼルメイク

2010-05-26 14:59:21 | Weblog
昨日、無事に父を看取ることができた。
14:18だった。
下顎呼吸になってきたので、訪問看護に電話をしようとしていたところ母が「ちょと~」と私を呼んだ。
「息が止まったみたい」
ん?
間をおいて、
「う(ぷ)っ…」静寂…。
母は呼吸延長し、呼吸停止までの経過をしっかりと自分の目で見ていた。
私も最期のひと息を看守ることができた。
このとき私は「お父さんしっかり力強く旅立って!!」と心の中で応援した。
私の弟も会社から早退してきて間に合った。
家族だけの看取りだった。

その後、かかりつけ医(往診医)に電話を入れた。
医師は出張を早めに切り上げ、死亡診断に来て下さった。
(先週の土曜日に看取り時の対応方法について相談してあってよかったあ)

医師「何にもできませんでしたけど。明るい人でしたのになあ」
私「先生が居て下さらなければ最期を家で看取ることはできませんでした。本当にありがとうございました」

祖母そして父の看取りをしていただいた。
患者・家族の望むように薬の処方、点滴の処方、往診をしてくださった。
よいかかりつけ医(往診医)を持てたことに感謝したい。

訪問看護に連絡を入れたら、エンゼルケアに来てくれることになった。
午前中に普通の清拭をして下さった看護師長と看護師。
本日2度目の清拭になった。
「化粧する?」という声かけにちょっと驚いた。
エンゼルメイクって女性だけにするものだと思ってたから。
私の化粧品(アイビー)を使ってエンゼルメイクをしてもらった。
すごくきれいな顔になった。
祖母の時も思ったが、「死顔が一番きれい」。
在宅での看取りのご褒美は、きれいな死顔を拝めることかもしれない。
2ヶ月間にわたり、毎日2名体制で訪問看護に来てくれた訪問看護に感謝したい。

かかりつけ医(往診医)と、訪問看護ステーションのお陰で「在宅緩和ケア」の締めくくりがきっちりとできたと思う。

母の明確な目標、「最期のひと息を自宅で看守る」ことができてよかった~。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

皆さんへの感謝

2010-05-23 17:55:31 | Weblog
患者をケアし、家族をケアする。
有形無形のケア方法があると思う。
どれだけの人が私たち家族のことを気遣ってくれているかと考えると有難くて涙が止まらない。
特に父の通う病院そして私の職場でもある病院スタッフ、かかりつけ医(往診医)には感謝する。

「看護師になって、そして今の職場で約20年働いていてよかった~」と気付くことはそれほどなかった。けれど、父の病気が見つかってからのこの1年間で、「ここの職場、ここの病院に間違いはなかった!!」と思えた。本当にいい人達の集まりだ。

昨日は私の同級生で”がん看護専門看護師”が電話で泣いている私を気遣い、父の口腔ケアに来てくれた。なかなか行き届かない部分まで愛護的に丁寧にしてくれた。そして、絶飲食となり口の渇きを癒すための方法として、ガーゼによる口の湿らせ方について指導してくれた。おかげで、口渇の訴えに対する効果的な対応方法が分かり、イライラからくる興奮状態そして酸素飽和度の低下を最大限に防ぐことができるようになった。
ケアは消えていくものであるが、私たち家族の心にしっかりと残る。
プライベートで来てくれたが、本来は訪問看護料金を支払わなければならないことだ。
彼女には化学療法時の口腔ケア指導でも助けてもらったのだが、口腔ケアとは奥深いものだと思った。
そして、東京の出張みやげだと言い、チーズケーキ「銀のぶどうのかご盛り 白らら」を持ってきてくれた。もう1日早かったら、父がきっと「うまい」と言って食べただろうな、と思った。
http://www.ginnobudo.jp/kashi/namakashi.html
ついでに。彼女はグルメ。父もうまいもの好き。
同じく4月に東京みやげに買ってきてくれた、「成城石井」のいちごジャムはヒット作だった。
http://www.seijoishii.com/d/3850
それから、島重のチョコ大福も。

そして、この黄色いバラは○○部長からのお見舞い。我が家にお米を買いがてら見舞いに来て下さった。父の信仰する宗教の親先生の写真の隣に飾った。居室が柔らかい雰囲気になった。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

バッドニュースを伝える

2010-05-23 07:36:01 | Weblog

昨日、父のための栄養課役割を卒業した。
その理由は、肺がんによる反回神経麻痺で飲み込んだものが肺に流れ込み、「もうあかん」と本人が自覚するほどの呼吸困難を感じるようになったからである。
一昨日までは、とろみ食を何でも「うまい」と言いながら食べていたので、とても残念である。
食べれなくなることが分かっていたのかもしれない。
開眼すると、「お茶」「甘いの(が欲しい)」「エンシュア」そして「うまい」

最後のヒットは、森永の「とろふわプリン パンナコッタ&ラズベリー」だった。
その他は、自家米の粥(すりつぶし)、味噌汁の汁のみ(たまねぎ・ごぼう・厚揚げ)、完熟メロン、おばが栽培したトマトのマヨネーズがけ などなどだった。
もう少し遡ると、なすのしぎ焼き、マーボ豆腐、すき焼き味の煮物、梅シソ巻き、天巻き…。

病状の変化に伴い、食事の形態を変えてきた。喀血している真っ只中にでもお茶ゼリーを飲んでいたのだが、ついに経口摂取を止めなければならなくなり、今後どうするかを決めるときが来た。

訪問看護師長、緩和ケア医師の意見を参考に、母、弟と話し合いをした結果、輸液をしないことに決めた。ふだん、仕事では”何かをしなければならない”ということを自分たちの使命のように考え、医療に携わってきた。
だから、自分としては、輸液をしないとうことは、父を見捨てることになり、倫理に反するのではないのかと不安になった。しかし、専門家の意見では、「輸液をすることでかえって患者に苦痛を与える場合もある。1日500mlの輸液ならする選択もあるが、口渇に有効ではない」とのことだった。
つまり意識があるのにinをしないということ。

かかりつけ医(往診医)に現状と家族の考え、看取り時の対応方法についての相談をするため受診に行った。
①輸液をせず自然の経過で看取ることの同意を得た
②呼吸停止時は夜間でも連絡をしてよいことの確認をした
 ①については、浮腫による輸液ルート確保が困難であることが理由ならば、利尿剤で水を引けば血管確保が可能になるという方法もあるとの案をいただいた。
 ②については、そんなに医師のことを気遣わないでくださいとの言葉をいただいた。

父は多くの発語があるわけではないが意識ははっきりしている。
だから「お茶、甘いのが欲しい」と言う。
さてどうやって本人に伝えるか。
「○○先生のところに相談に行ったら、食べたものが肺へ入って苦しいのは病気のせいだって。だから、しばらく口から食べるのはやめよう」。本当は○○先生が言ったのではなく、緩和ケア科の医師の意見、そして私の最終判断だったのだが、一番信頼している○○先生の名前を使わせていただいた方が納得できると考えた。その結果、これ以降「お茶」とはあまり言わなくなった。

介護休暇を取って、看護師兼娘をやってきた。今まで辛いと思ったことはなかったが、「喉が渇いているのに飲んではいけない」ということを伝えることはとても辛いことであった。仕事としてやっているときも感情に寄り添いながらしているつもりであったが、ビジネスとして伝えるときの気持ちと家族の立場で伝えるときの気持ちは=(イコール)ではないと分かった。
家族は患者によいことだけをし、医師や看護師は嫌われる役割をとるという役割分担があった方が楽だということが分かった。
バッドニュースを伝える係りは、本当に辛かった。
今回の介護生活の中で初めてしんどいと思ったときだった。

それでも、これで私の主な役割は果たした気がする。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加