まだ読みかけなのですが
「神の棄てた裸体」は単身イスラムの世界に入り込み
「男女の営み」という観点からイスラム世界の現実に迫ろうとした
ルポタージュです。
こういうルポは取材者がしっかりしてないと
変に取材対象に肩入れしてしまったり、
単なる「マレビト」で終わったりしがちです。
でもこの本の著者はなかなかどうして絶妙のバランスで取材しています。
読み進めると「悲惨」というよりもさらに救いようのないような
行き場のない暗澹とした気分になることもあります。
理屈や道徳でなくただ、「生きるために」「生きる手段を選べない」
人々の多さに呆然とします。
その事実をわずかながら聞きかじり、嘆いてみたり
憤ってみたり。ただ、それだけ。
当事者でない私たちにできることはほとんどありません。
でも、知らないよりはいい、と思っています。
何もできないけれど
安易に批判したり拒否反応をしめしたりするよりはいい、と思っています。
以前、辺見庸の「もの食う人びと」を読んだときにも
そんな風に思ったことがあります。
当事者を自分たちの論理で非難したり、蔑んだりするのはたやすいこと。
でも当事者には当事者のやむにやまれぬ現実があるのだ、と。
あくまでも異文化に触れた場合の話ですが。