このブログ、ずいぶんこぶさたしました。気を取り直して続けます。
NHK大河ドラマは、「天と地と」から約30年、だいたい見ています。
ただし、「武蔵 MUSASHI」だけは、あまりにひどくて、全く見なかった。
今年のタイトルを見た時、ずいぶん地味だな、だいいち「篤姫」って誰ですか?・・
調べてみたところ、あの「大奥」の天璋院のことだと知った。今年も期待できないなと思った。
でも、第1回からずっと見ているのですが、面白くなってきたのでここで紹介することとした。はじめは、宮崎あおいがブスに見えた。「NANA」のときはカワイかったのに・・・でもだんだん慣れてきた。
今日は、先週放送(6月22日)分の第25回「母の愛憎」です。
【あらすじ】は省略します。見ていない人はNHK番組ホームページをどうぞ。
⇒ http://www.nhk.or.jp/taiga/story/st25.html
この回で印象的だったシーン
○将軍家定を慕う気持ちに気づいた篤姫が、姑の本寿院に対して、「(会いたいから)会わせて欲しい」とお願いする。
母が2人を遠ざけようようとしていることに気づいた家定は、本寿院に対して、「いままで養育してくれてありがとうございます、ですがこれからは私が母上を心配する番です。」と、母に感謝を述べ、篤姫のもとに行ってしまう。
これらのシーンは、母と息子、嫁と姑、夫婦とは、こうあるべきだという作者の意図が感じられ、とても嬉しい演出でした。
「大奥」のイメージを変えてくれた。270年続いた大奥である、権力闘争やいじめはあっただろうが、現実には悪役・愚か者ばかりではなかったはずだ。
○大久保正助(のちの利通)が、西郷と熊本へ行くにあたり、大久保の母フクが、「熊本では偉い人に会うのでしょう?、いいかげんな事を、してはないもはん!」と新しい着物を用意していた。下級武士の家である、それを用意するのはどれほど大変だったことか、・・・と思うと涙がでた。
○大久保が、西郷と熊本藩家老との会談の席で、大久保は席を外すことを求められ、悔しい思いする姿は、後の西南戦争を予兆させるものなのか、大久保が明治維新の立役者の一人となるきっかけを表すものなのか、本当にあったかもしれないと思わせ、とても感動した。これまで、維新のドラマや本は数多く見てきたが、こういうシーンは想像できないことだった、新鮮に感じた。この先が楽しみである。
ただ、ひとつ気になる。すでに半年が過ぎた、ドラマの進みが遅くないか?これから、家定・斉彬が死んで、和宮が大奥に来る、明治維新、江戸城無血開城まで、先は長いけれど、全部やれるのか?・・・。
ちなみに天璋院は、明治16年(1883年)に千駄ヶ谷徳川宗家邸で死去、享年48歳であったとのこと。
第26回「嵐の建白書」は、印象がうすい。ラブストーリーになってきた。それと幼馴染の小松帯刀(瑛太)がいつまでも篤姫のことばかりを心配するのは変でしょ?