ko2sionのコツコツ日記(アラシック気味)

現在、嵐に夢中の社会人1年生です。

『在宅死』100%を読んで

2005-10-03 21:29:56 | Weblog
在宅死100%を読んで』
精神的に参っていては、何事も前には進まない。
「病は気から」という言葉がありますが、暗示...いや、言葉には何か不思議な力があるようにおもいます。
そして、家族に支えられているということが一番の薬のように思います。けして治るという意味ではありませんが、苦しいときに傍に居てくれる...。
一緒に頑張ってくれる...。それは、医師や看護師も同じかもしれませんが、家族のソレには「愛」が存在すると感じます。
家族に支えられ、自分が過ごした家で逝くことができる...。それは、自己満足の域かもしれませんが、そんな最後もいいと思います。

『在宅死』90%を読んで

2005-10-03 21:27:45 | Weblog
『在宅死90%を読んで』
「孤独死」が一時期話題になりましたが、この状態を招いているのは、今の日本でのネットワークの悪さではないのでしょうか?
地域関係も希薄な状態では、自分の身に何かあったときに頼る人もおらず、追い込まれていく...。
そんな状態が許されるものではありませんが、やはり仕方がないのでしょうか。
家で看る家族のために存在する、介護サービスや制度が乏しいことも気になりました。

『在宅死』80%を読んで

2005-10-03 21:25:05 | Weblog
やはり、本人と家族の間には通じないものもあるのでしょうか...。
確かに家族の立場から言えば、「少しでも長生きしてほしい」と思うでしょうが、いざ自分が病人ならば「このまま、自分らしく」と思います。
そこから溝が出来てしまえば、通じるものも通じなくなり、最後のときまで幸せに生きれるでしょうか?
やはり家族に支えられ、自分の家で最後を迎えられるのがベストなのでしょうね。

『在宅死』70%を読んで

2005-10-03 21:22:30 | Weblog
『在宅死70%を読んで』
嫁姑の関係ほど難しいものもないように思います。
お嫁さんの立場では、介護一つにしても遠慮が入ってしまうんではないかと思うのです。
そして、それは決してお嫁さんだけの問題ではなく、介意される側の姑さんも同じように遠慮してしまうのではないでしょうか?
以前施設に入所している方に聞いたことがあるのですが、「自分の体が言うことを聞かなくなれば、近いうちに家族の者にも迷惑を掛けてしまうから、施設に来た」と...。
まして、それが実の子ではなく嫁ならば、自分も惨めだと言ってました。
あと、日本には変な暗黙の了解があるらしく、「自分の親は子が診る。姑の世話は嫁の義務。」実際に、姑さんの介護の大半はお嫁さんであり、いつも頑張らねばならないのもお嫁さんのなのです。
例えば訪問介護を利用した場合、何故か近所の方々に嫌味を言われるそうです。「介護に対して手抜き」「嫁なのに...。」等...。
だから、お嫁さんは介護や看護サービスを利用できずに頑張るんだそうです。
姑さんは「悪いから」と思い、お嫁さんは「やらなきゃ」と思い、ストレスを溜めていく...。
悪循環な気がします。

『在宅死』60%読んで

2005-10-03 21:20:01 | Weblog
価値観の違いは当然人それぞれなのは当たり前ですが、それが時に家族ですれ違うのはつらいと思います。
野口さんの場合もそうですが、娘さんは「延命」を望んでいて、でも野口さんは「このままで」と望んでいて...。
私は、そのひとが満足に生きれるのならば、延命だけが幸せではないと思います。
そして、病院の粗雑とも取れる対応には腹が立ちます。手術のために入院したのに、痴呆を抱えての退院...。
「風を拗らせたから、手術は出来ない」で済む問題では内容に思います。
そして、家族が看取るまでの葛藤は計り知れません。

「人生の楽しさは、その時その時の刹那の中にある。」
私は、刹那主義ではありませんが、もし自分の命の時間を知ったら「今、生きてるときを大切にする」でしょう。
いや、時間を知らなくても、この時を大切にしなければいけないのかもしれません...。
そして命尽きるときまで、自分を見つめ続けたいですね。木元さんは、病気でも恋人とドライブに出かけ、お洒落をして...。
確かに、最後のときまでやりたいことをして亡くなった方の内容を読みましたが、自分が死んだときの着物まで決められて、すごいの一言でした。
そして、いつか別れが来ると知っていても、最後のときまで支え愛し続けた恋人の方は、どんな気持ちでいままで見守っていたのでしょうか...。

人生の師

2005-10-02 00:24:19 | Weblog
突然ですが、今日は私の恩師の話をしましょう。
その先生は、小学校4年の時に赴任してきて、担任だったのですが、誰かが悪さをしても叱ることはなく、「話す」をモットーにしていました。
そして、頭が悪かった私は、社会科が苦手でその先生に手紙を出しました。「私は、社会科が苦手です。どうしたら、出来るようになりますか?」と書いたら、ある日呼び出されてこう言われました。
「出来るようにならなくていいんですよ?ただ、一つで良いから面白いことを見つけてください。それは、社会科だけの事じゃありません。もし、貴女が大人になっても大好きな事が見つけられ続ければ、きっと楽しい人生ですよ。」
小学生の悩みにも親身になって考えてくれました。当時から考えても、嬉しかったです。
そして、5年になって...友達関係で泥沼になり、中傷の手紙を貰い出したころ、担任ではなかったハズの先生がそのときの担任から話を聞いたらしく、昼休みに会いに来てくれて、泣いてくれました。
「辛かったね」と言いながら、男泣きする先生の姿は今でも忘れられません。後で聞いた話によると、中学になってからも、気に掛けてくれていたそうです。
「ぼちぼち行きましょう。」が口癖の先生なので、私も人生のモットーにさせて貰ってます。
そして、そんな先生だからこそ「人生の師」と尊敬してます。
皆さんは、「私の生き方を変えた!」って方に会ったことはありますか?