Think Globally, Act Regionally:『言葉の背景、カルチャーからの解放、日本人はどこへ往く』

身のまわりに見受けられるようになった「グローバル化」と生きる上での大事な「こころの健康」。さまざまな観点から考えます。

★☆第50回目「グローバル・ジャパニーズ~自律型日本人のロールモデル(あるべき姿)」☆★

2010-03-25 15:18:33 | ■日本人はどこへ往く?

★☆第50回目「グローバル・ジャパニーズ~自律型日本人のロールモデル(あるべき姿)」☆★


さて、ブログ開設から50回目で、1084日目の今回は、日本を出て海外で働き暮らすための日本人(グローバル・ジャパニーズ)のあるべき姿を考えてみたい。

あるべき姿を実現するには、知識、スキルおよび態度の3種類の切り口から判断し、

5つのグローバル・ジャパニーズの条件が必要となる。
(といっても、十分条件ではないが)

これらすべては、学習によって習得できるものである。

★グローバル・ジャパニーズの条件1☆
「人間の知識習得は、情報処理システムに似ている」(知識1)

★グローバル・ジャパニーズの条件2☆
「Critical Thinking(クリティカル・シンキング。合理的な思考方法)に慣れること」(スキル1)

★グローバル・ジャパニーズの条件3☆
「語学、特に英語の運用能力(スピーキングおよびディベート)を高める」(スキル2)

★グローバル・ジャパニーズの条件4☆
「卑屈にならず、堂々たる態度をとる」(態度1)

★グローバル・ジャパニーズの条件5☆
「異文化(交り合う文化、多文化)に親しむためには、文化相対主義に目覚めること」(知識2)


それぞれ、解説してみよう。

◆条件の1:
「人間の知識習得は、情報処理システムに似ている」(知識1)

情報処理システムとは、「Output出力←Process処理+Storage蓄積←Input入力のシステム」のことである。
つまり、出力(=結果や成果)があるということは、まず第一に、「入力」(=的確な情報の収集)があり、その入力された情報を加工処理(脳の働き、2のCritical Thinkingを参考)し、蓄積(記憶)した上でなされるということである。

的確な情報とは、特に、海外発の情報には注意が必要となる。日本語に翻訳される時に、どうしても翻訳者のバイアスや思い込みが入り、原文との差異が出てくるからである。また、情報源の質の確認も重要となる。間違った情報を元にすると、その次の処理(分析や解釈など)や蓄積に齟齬をきたすことになる。英語の窓から知識を収集するひとと日本語だけの窓から知識を収集するひととの判断(出力)は、当然違ったものとなる。

参考:第31回「加速されるグローバリゼーションのモード(形)と情報の国籍」


◆条件の2:
「Critical Thinking(クリティカル・シンキング。合理的な思考方法)に慣れること」(スキル1)

Critical Thinking(クリティカル・シンキング)については、このブログで何回も触れているが、どうということはない。

というのは、ある分野では、日常的にやっていることなのだが、日本社会の中に身を置くと、つい伝統的な日本の文化慣習(空気)に流されて、和の精神、調和のこころが、正常な合理的な思考を停止(エポケー)してしまう。

ある分野とは、
自然科学分野の実験では、rationale(理論的根拠)を要請されるのは当たり前であり、スポーツでは、データ重視の野球が主流になり、産業界でも、POS(販売時点の情報管理)による販売管理などなど、西欧からの合理的な精神は日本社会の至るところにあります。一方で、「頑張れ、頑張る」といった、日本の伝統的精神主義的な思考(?)方法は、まだまだ、日本社会やビジネス社会には、根強く残っている。

社会に流されない、合理的思考を元にした判断および行動が求められている。

参考:第4回「批判するって、どういうこと?(健全なる批判精神のかたち)」


◆条件の3:
「語学、特に英語の運用能力(スピーキングおよびディベート)を高める」(スキル2)

「沈黙は金」、「男は黙って、、、」など、日本文化には「沈黙」は高く評価され、以心伝心のオリジナリティ(独自性)が長く言われてきた。これは、ホールの言う、周りの状況に左右されやすい「ハイ・コンテキスト社会」でのコミュニケーションの形であり、ほとんどの情報が既に人々に行き渡っているため、はっきりと表に出したり、メッセージとして明確に表現したりすることが、非常に少ない(苦手な)社会だ。一方、欧米社会に多い「ロー・コンテキスト社会」は、周りの状況に左右されにくい文化(ホール)であり、ロー・コンテキスト社会でのコミュニケーションは、大量の必要情報が、はっきりとした言葉で表現される。

欧米社会や欧米の言語(英語等)の思考方法に慣れたアジアやアフリカなどで生活、ビジネスを上手にやっていくには、あいまいでない、はっきりとした表現が必須となる。言いかえれば、話す能力や議論の技術を向上させていくことが求められている。

参考:第24回「クロスカルチャー・マネジメント理論と社会/ビジネスへの応用(その一)」


◆条件の4:
「卑屈にならず、堂々たる態度をとる」(態度1)

謙虚さは、欧米の文化でも、評価されることもある。英語では、humilityやmodesty(名詞)、humble(形容詞)などがあるが、謙虚さと卑屈さの境界があいまいなことや日本人の態度がともすると不可解なものととられ、市井では、プラスイメージというよりも、マイナスイメージになることが多い。

態度というと、極めて表面的なことだと思われがちだが、意外と、表面的なこと(例えば、身なりや自信に満ちた姿勢など)で他人を評価しているのは、海外の人々だけでなく、日本人自身の周りに見られることだ。卑屈さは、自信のなさに起因することが多く、自信のなさは、自己否定につながっていく。

この種の態度の分析は、第45回「Assertive(堂々と主張する)とSubmissive(従順な)のあいだで」を参照ください。


◆条件の5:
「異文化(交り合う文化、多文化)に親しむためには、文化相対主義に目覚めること」(知識2)

自文化絶対主義(エスノセントリック。一民族中心主義、自国中心主義、自グループ中心主義)とは、自分以外の他文化・異文化に対して、知識も興味もない状態のことを言う。言いかえれば、他文化・異文化への理解拒否あるいは否定の段階のことである。

一方、
文化相対主義(エスノレラティブ)とは、

自国文化を数多くの他の有効な世界観の正に一つであると感じることで、他の文化を容認することだ。世界は広い。アジアやアフリカなど、先進諸国とは違った貧困国でも、家庭生活はあり、人間としての感情はいずれも似たものがある。一度、その地に住めば、人間同じなんだなあと感じることが多い。つまり、多文化への共感の段階がくる。言いかえれば、他の異なる文化を理解し、それに相応しい方法で行動できるような段階がある。この経験を深めることが、2元文化あるいは多元文化理解の土台になっていく。そうなると、異なった文化の中に入ったり、出たりする、融合の境地に入ることが可能となる。

参考:「第21回「クロスカルチャー下でのチームワーク、そして朝青龍問題~それぞれの国の文化・習慣をどう乗り越えるか~」


この分野のメンター(師)となりうるような日本人(グローバル・ジャパニーズ)を写真としてあげた。


※上記の写真は以下のサイトから使用した。

・新渡戸稲造
http://www.klnet.pref.kanagawa.jp/denshi/g_works/gw07_nitobe.pdf
・岡倉天心
http://www.ibaraki.ac.jp/izura/data_item4.html
・鈴木大拙
http://www.klnet.pref.kanagawa.jp/denshi/g_works/gw14_suzuki.pdf
・白洲次郎
http://www.amazon.co.jp/gp/product/images/4101288712/sr=1-3/qid=1269487166/ref=dp_image_text_0?ie=UTF8&n=465392&s=books&qid=1269487166&sr=1-3
・大前研一
http://www.microsoft.com/japan/business/enterprise/executivecircle_jp/new_industryrevolution01.mspx

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