木村長人(きむらながと)。皆さんとつくる地域の政治。

1964年(昭和39年)千葉生まれ。元江戸川区議(4期)。無所属。

災害を本当に理解することの難しさ

2011-04-08 04:17:30 | 地方自治
 つい先ほど(23時32分ごろ)、マグニチュード7を超える大きな余震がありました。都内の揺れ震度3程度だったようですが、震度4くらいはありそうな印象の結構な揺れに感じられました。そう感じたのは、私だけでしょうか。

 先月の東北地方太平洋沖地震の発生から1カ月以上がたち、死者・行方不明者は2万7000人超にのぼってしまいました。こうした現状をみると、あらためて津波災害の恐ろしさを感じずにはおれません。

 ただ、正直に申し上げれば、東京に住んでいると、津波は必ずしも身近な災害というほどのものには思われません。たとえ太平洋沖で地震が起きたとしても、地理的には、外洋の波が直接東京湾に迫る前に房総半島が防潮堤のように突き出しているせいでしょうか、あまり東京湾に大きな津波が押し寄せ家屋が流されたという話を聞いたことがありません。

 しかし、実際には、沖合で地震があると江戸川区でも津波警報は出ることがあります。津波の恐れが全くないということではありません。侮ってはいけないのです! 南関東沖などで大地震が起きた場合には、東京湾に相当規模の津波が来るものと予測されています。東京湾であろうとも、津波の被害は十分にありうるわけで、頻度が多いか少ないかや被害が大きいか小さいかはあくまでも三陸沿岸、土佐湾沿岸、熊野灘・紀伊水道沿岸、道東海岸など津波常襲地帯との相対比較の問題にしかすぎません。

 つい数日前、災害研究の第一人者である河田惠昭先生の『津波災害 減災社会を築く』を購入し、少しずつ読み始めました。

 そこにも記されているのですが、津波は、その流速やそのエネルギーの恐ろしさを具体的にイメージするのが難しい点や、低頻度災害であることなどから、侮られやすいのだそうです。しかし、津波が襲ってくれば、たとえそれが高さ50㎝のものでも大人はすでに立っていることができずに、流されてしまうそうです。そうだとしたら、5m、10mといった規模の先月の北関東大震災時の津波では、家屋や車もひとたまりもなく流されるのも、何となく想像がつきます。あくまでも「何となく」ですが。「想像がつく」と言えるのも、映像の記憶がまだ新しいせいも大いにあるでしょう。

 2004年のスマトラ沖地震で押し寄せた津波の恐ろしさは、テレビの映像を通して見ていたことは見ていたのですが、だからといって、東京に住む私が疑似体験までできたというほど学習はしていなかったと告白せざるをえません。人間は経験の動物だからかもしれませんが、メディア映像のみから、ドラスティックな疑似体験をし、事態を経験者のごとく理解するのは困難なことです。

 今日、気仙沼市出身の知り合い(区民)の方とお会いしました。個人的にお世話になってきた方で、話を伺う中で、生家も津波に流され、ご親類も行方不明になってしまっているということでした。

 先週末、実家のあった場所を訪れたそうですが、現場の悲惨な状況の生々しさは映像で見るものとはまるで比較にならないとおっしゃっていました。例えば、津波で壊滅してしまった町を覆う臭い。これは、テレビの映像からは全く予想もしないものだったということです。

 また、津波が襲ってきた時に、目の前で流されていく多くの人々を目の当たりにし泣き叫ぶ人や、また、その人たちを救いだすことができなかったことで心的外傷ストレス障害を患ってしまった人の話などを直接現地の人から聞き、ご本人もすっかりストレスを抱えて帰京してきたようでした。

 無理もありません。

 話を戻します。決して津波を侮るつもりはないのですが、経験をせずに災害の恐ろしさを理解すること、あるいは他人に理解させることは、とても難しいことだと感じます。2010年のチリ沖地震の際の津波警報に対する避難勧告に従って避難した人はわずかに3.8パーセントだったそうです。この事実は、この問題の難しさを証明しているような気がします。

 むろん、減災の視座に立つなら、これではいけないのは言うまでもありません。こうした、災害理解の難しさを克服していくことが必要です。もう少し私も『津波災害 減災社会を築く』を読み、勉強したいと思います。




江戸川区議会議員 木村ながと
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