内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

一九七〇年代、まぶしいくらいに輝いて見えていた二十一世紀…… そして、今、「大洪水の前に」

2022-11-20 12:09:00 | 読游摘録

 大橋幸泰『潜伏キリシタン 江戸時代の禁教政策と民衆』(講談社学術文庫、2019年。原本、講談社、2014年)は、ここ数年、毎年「近代日本の歴史と社会」で取り上げるテキストである。
 その序章「キリシタンを見る視座」には、少し意外なことに、「二十一世紀は輝いているか?」と題された節が冒頭に置かれている。
 「筆者が小中学生だった一九七〇年代、二十一世紀は輝かしい未来であった。」という一文でそれは始まる。そして、少し先で著者はこう述べている。「一九七〇年代当時、二十一世紀がまぶしいくらい輝いて見えたというのは、決して誇張ではない。この言葉に代表されるように、現実の二十一世紀は筆者が子どもだったころのイメージとは大きな隔たりがある。ちょっとした違和感どころの話ではなく、そのころは思いもよらなかったくらい息苦しくなっている、というのが筆者の偽らざる実感である。」
 その実感のよって来るところを、直近の出来事や状況のなかに探るのではなく、「もっと長期的な視野を持ち、どのような経過を経て現在に至ったかを知ったうえで、その息苦しさの原因を見極めたい。そうすれば、“いま”という時代はどのような時代であるのかを理解することができると同時に、このさきの未来を希望あるものとして展望するためには何が必要か、という見通しも立てることができる。」これが著者のキリシタン研究の根底にある動機である。
 私は、本書から読み取れる著者の誠実さとその専門研究としての価値を疑うものではない。しかし、現在の状況はもっと深刻な仕方で危機が差し迫っているのではないかと思わざるを得ない。そう思わせる事象には日々事欠かない。
 そうした事態の緊急性を前にして、近視眼的に騒ぎ立てるのではなく、十九世紀にまで遡り、マルクスのテキスト(特に未公刊の草稿類)を丹念に読み抜くことで、資本主義と徹底的に対峙しつつ、その対峙を可能にする環境思想をその中に読み取った画期的な研究である斎藤幸平氏の『大洪水の前に マルクスと惑星の物質代謝』(角川ソフィア文庫)が先月文庫版で刊行された。
 原本は三年前に堀之内出版から刊行された。その基になっているのは、二〇一四年一二月にベルリン・フンボルト大学に提出された博士論文と二〇一七年に刊行された英語版であり、「その後に刊行された論文も加えて、日本の読者に合わせて全体の流れを整えるための加筆・修正を行った日本語オリジナル版である。」(「あとがき」より)
 二〇一六年に刊行されたドイツ語版に基づいたフランス語訳は昨年、La nature contre le capital. L’écologie de Marx dans sa critique inachevée du capital というタイトルで Éditions Syllepse から刊行された。修士の演習と学部三年の授業では仏訳を推薦図書として紹介すると同時に、日本語版の「はじめに」の最後の二段落を日本語テキスト読解演習をかねて一緒に読んだ。日本語のレベルとして学部三年生ならこれくらいは自力で読めるようになってほしいと願うのはちょっと要求過剰かも知れないが、内容をとにかく伝えたかった。

 残念なことに、「大洪水よ、我が亡き後に来たれ!」という態度は、グローバルな環境危機の時代において、ますます支配的になりつつある。将来のことなど気にかけずに浪費を続ける資本主義社会に生きるわれわれは大洪水がやってくることを知りながらも、一向にみずからの態度を改める気配がない。とりわけ、一%の富裕層は自分たちだけは生き残るための対策に向けて資金を蓄えているし、技術開発にも余念がない。
 だが、これは単なる個人のモラルに還元できる問題ではなく、むしろ、社会構造的問題である。それゆえ、世界規模の物質代謝の亀裂を修復しようとするなら、その試みは資本の価値増殖の論理と抵触せずにはいない。いまや、「大洪水」という破局がすべてを変えてしまうのを防ごうとするあらゆる取り組みが資本主義との対峙なしに実現されないことは明らかである。つまり、大洪水がやってくる前に「私たちはすべてを変えなくてはならない」(Klein, 2014)。だからこそ、資本主義批判と環境批判を融合し、持続可能なポストキャピタリズムを構想したマルクスは不可欠な理論的参照軸として二一世紀に復権しようとしているのだ。

 この一節の中の「私たちはすべてを変えなくてはならない」という一文は、Naomi Klein, This Changes Everything. Capitalism vs. The Climate, New York. (『これがすべてを変える:資本主義 vs. 気候変動』(上・下)岩波書店、2017年)からの引用である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


大学へのでこぼこ道

2022-11-19 23:59:59 | 雑感

 私が担当するほとんどの授業は大学の中央キャンパス内の建物のいずれかで行われている。通勤には通常自転車を使う。通勤路はほぼ一定していて、大学宮殿正面を通過し、宮殿脇の rue de l’Université へと左折し、その通りを突き当りまで進み、天文台を背にするように右折すると中央キャンパスはもう眼の前だ。
 この rue de l’Université は、路面電車が走る中央キャンパス脇の Boulevard de la Victoire と並行しており、宮殿と中央キャンパスを行き来する学生たちがよく横断する。半分は車の駐車スペースになっている。この通りはだからそれだけ大学にとって重要な位置にあるわけなのだが、路面状態がひどい。工事のためだったのか掘り返されるたびごとに舗装をし直した痕が歴然としており、一言で言えば「でこぼこ道」なのだ。雨が降れば水たまりができ、雨が上がってもしばらくは消えない。車で通過する分には支障はないだろうが、自転車だとその凸凹のせいで振動がひどく、それが通るたびに不快だ。
 このようなでこぼこ道をフランス語で何というか。Une route pleine de bosses と言えば、瘤のような凸状部分が多い通りのイメージが浮かぶ。Une route cahotante と言えば、通過する際振動を引き起こすような状態にあるということがわかる。Un chemin cahoteux と言ってもほぼ同じだが、現在分詞の形容詞的用法である前者は道路自体が振動の原因であることを示し、形容詞は道路の状態性の記述にやや傾いている。Chemin montueux は山道のように起伏が多いということで、これは「大学通り」には当てはまらない。Chemin plein de ressauts は突起が多いということで、その突起の原因・理由が自然発生的なのか人為的なのかはわからない。Chemin pierreux et raboteux と言えば、石ころだらけで凸凹な道ということで、raboteux だけだと凸凹なということになる。しかし、この場合も、その凸凹が自然発生的なのか人為的なのかは問われない。Route défoncée と言えば、損壊によって生じた凸凹がある道ということになる。しかし、当該の大学通りの場合、損壊しているわけではないからこれも適切とは言えない。Une route inégale と言えば、見た目の状態が不規則な道ということで、例えば、ユルスナールの Nouvelles orientales の 第一話 « Comment Wang-Fô fut sauvé » の中の « Soutenu par son disciple, Wang-Fô suivit les soldats en trébuchant le long des routes inégales. » という一文は、多田智満子訳『東方綺譚』では、「弟子に身を支えられて汪佛はでこぼこ道につまずきながら兵士のあとに従った。」となっている。
 「大学通り」は一つの街路であるから rue を使うとして、 « une rue asphaltée, mais inégale et cahotante pour le vélo » とすれば、かなり正確にイメージを表現したことになるだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ウクライナ文学作品を日本語に訳す試み ― 経験のない知的・文学的冒険

2022-11-18 23:59:59 | 講義の余白から

 ここ五年、前期の修士二年の演習 Technique d’expression écrite では、学生たちが準備中の修士論文から一つのテーマを自分で選ばせ、そのテーマについて日本語で二〇〇〇~四〇〇〇字の小論文を書かせるという課題をずっと課してきた。
 この課題は、学生たちにさらに苦役を課すためではなく、フランス語で修士論文を書き進めていく過程で、この日本語小論文作成が何らかの形で役に立つようにという配慮から選択されたものである。
 通常この演習は一回二時間計六回行う。しかし、一昨年コロナ禍で全部遠隔だったことがきっかけになって、対面授業に戻っても、個別指導は遠隔で行うというハイブリッド方式を取り入れた。これがうまく機能していた。
 最初の一時間は全員(といってもせいぜい五、六人だが)教室で日本語の作文技術について学び、残りの一時間は、一人二〇分を目安として、それぞれの論文の個別指導を行った。ただ、これだと全員の個別指導が二時間の枠に収まらないので、教室での個人面談は三人、残りは遠隔にした。昨年は六人だったので、それぞれ隔週で教室面談と遠隔面談になるようにした。
 遠隔の利点は、学生の書いた文章を画面共有にしていっしょに効率よく推敲できることである。それにそれぞれ時間を決めての面談であるから、待ち時間もなく、移動のための時間も必要としない。
 今年も同じ方針で行くつもりでいた。ところが、今年の出席学生は女子学生たった一人(その他に五人登録学生がいるのだが皆一年間の日本留学中)。彼女はウクライナ人である。戦争勃発当初は、それこそ学業どころではなかったが、家族は他国に避難して無事なようで、本人も今はストラスブールで学業に専念できる環境にあるようだ。学部のころから日本語ですぐれた作文をいくつも書いており、思考力の高い優秀な学生である。
 演習方式をどうするか思案した結果、今年はすべて遠隔、一回一時間、週二回、計十二回の演習を行うことにした。このほうが明らかに効率よく文章指導ができるからである。
 火曜日が第一回目だった。演習の目的と進め方を説明したところで時間となり、今日金曜日の第二回目の演習までに小論文のテーマを選び、選択理由の説明を準備しておくようにと伝えた。
 今日の演習はだから彼女が自分で選んだテーマについて説明し、そこから一緒に今後の作業プランを立てるのが主な目的だった。
 準備している修士論文のテーマは、ウクライナ文学作品の日本語訳の試みを通じて日本語の人称代名詞(あるいはそれに相当する自称詞および他人称詞)の特性を分析することである。主にウクライナ人作家 Микола Хвильовий (Mykola Khvyliovy, 1893-1933) の Я (Romantica) (仏訳は Moi (Romantisme)。現在フランスでは入手困難だとのこと)という短編心理小説の翻訳の試みを通じて、自称詞および他人称詞の選択が作品理解にいかに貢献しうるかを示しつつ、そこから日本語における人称代名詞(あるいは人称詞)の特性を浮かび上がらせることが論文の目的である。
 きわめて興味深いテーマである。本人からの説明に対して、私が質問を繰り出しながら、どのような小論文にするか話し合った。結論として、修士論文の主要部分が翻訳になることから、いわゆる小論文形式は捨てて、作品その翻訳そのものを課題とすることを私から提案した。本人もそうしてもらえるととてもありがたいと喜んでくれた。
 というわけで、次回からさっそく翻訳の推敲という作業に入ることになった。私はまったくウクライナ語がわからないから、彼女から原作についてのフランス語での説明を聴きつつ、翻訳の日本語としてのどのような表現が適切か、二人で探っていくことになる。
 かくして、今までに経験したことのない知的・文学的冒険に出発することになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ふと前任校の学生たちのことを思い出し、ちょっとほろっとしてしまいました

2022-11-17 23:59:59 | 雑感

 今から思うと、2006年から2014年まで八年間勤めた前任校の学生たちとはほんとうに仲がよかったなあとしみじみ思う。大半の学生たちがとても人懐こかった。
 風薫る皐月のある日、「先生、今日はいい天気だから、屋外授業にしませんか」と提案してくる。「いいね、じゃあキャンパスの芝生で授業しようか」と応じると、学生たちから歓声が上がった。
 学期末が近づくと、「先生、お疲れ様でした」と「打ち上げ」の申し出がある。学生たちがお膳立てをしてくれる。ほんとうは飲食禁止の教室にノンアルコール飲料と菓子類持ち込んでおしゃべりして、最後に記念写真を撮るだけのことだけれども。
 一部の学生たちではあるが、六年間にわたって日本での三週間の夏期語学研修に引率として同行した。その間、大学の授業外で見せる学生たちの生き生きとした姿は見ているだけで楽しかった。
 授業中、私語がひどかったことがあって、日本語で、「てめえら、うるせえんだよ! 授業ツマラナイと思うなら、今すぐ出て行け!」と一喝したことがあった。それで静かにはなったが、誰一人出てはいかなかった。私が怒っていることは見ればわかるが、何を言っているのか、わからなかっただけのことである。
 翌週、私が教室に入ると、全員起立、「先生、先週はスイマセンでした」と全員が深々と頭を下げる(これ、フランスでは普通ありえません)。「やめろ! もういいから。それに全員で謝るって、おかしくないか。私語してなかった人たちもいたのだから。こういう連帯責任的な行動はおかしいよ。変なところで日本人的な態度取らないでくれよ」、で全員一笑、一件落着。
 現任校の学生たちに不満があってこんな思い出話をだらだらしているのではない。それはそもそもお門違いというものだ。ただ、2014年にストラスブールに着任して、もちろんそれは望んでいたことであり、その意味で嬉しかったし、今も満足している。が、こと学生たちの関係性ということになると、前任校で出会った数百人の学生たちが今でもとても懐かしい。
 それにはいくつか理由があると思うが、すぐに三つ挙げられる。まず、新設学科だったので学生たちといっしょに学科を作っていったという、いわば「同志感」、つぎに、最初の二、三年間はほとんどの授業を私一人で担当していたので一緒に過ごす時間が長かったことから来る、時の「共有感」、そして、それによって生じる「親近感」。今になって気づいた、得難い経験をさせてもらったのだと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


貧困化する社会が大量に生み出す「聖職者」たちによって支えられている富裕層

2022-11-16 23:59:59 | 雑感

 高校二年生のときだったかと思う。仲良し三人組とまでは言えないかもしれないが、よくツルンでいた友人が二人いた。三人揃えば大抵は共通の他愛もない話題や趣味の話でうち興じていた。
 ときどきは結構シリアスな問題で議論することもあった。ただ、そういうときはもっぱら、二人のうちの一人と私との間の議論であって、もう一人は、私たちの青臭い議論に対して、さもつまらないという態度を露骨に示した。それでも二人で熱くなって議論し続けていると、彼はふとその場から立ち去るのを常としていた。
 ところが、あるとき、もう何がきっかけだったかはまるで覚えていないのだが、確か私が警察組織に対してかなりあけすけな批判をしたときだったか、突如、その「無関心」君が、「でも、聖職だぜ」と、私に向かって真顔で言い放ったのである。
 「聖職」という言葉を知らなかったわけではないが、めったにお目にかからないし、耳にすることも稀で、ましてや自分で使ったことなどなかった(以後、現在までの半世紀近く、使ったことがほとんどない)ので、このまったくの抜き打ちに面食らってしまい、返す言葉も出て来なかった。警察官が聖職であるという考えが私にはまったくなかったことと、彼が確信をもって「聖職」という言葉を警察官について使ったこととの間の大きな社会認識の隔たりにすっかり困惑してしまったのだと思う。議論はそこで打ち止めとなって、別の話題に流れていったように記憶している。
 手元の『新明解国語辞典』第八版によると、「聖職」とは、「キリスト教の僧職。〔広義では、教師・牧師など、単なる労働者・サラリーマン以上の奉仕が期待される職業をも指す〕」とのことである。警察官を「聖職」と考えるとすれば、それはこの広義においてということになるが、私にはピンとこない。ほとんど定義にさえなっていないと思う。
 何をすれば奉仕になるのか。何あるいは誰に対する奉仕なのか。もし教師が生徒たちのために給与以上の働きを無報酬ですれば「聖職」ってことになるのだろうか。教師に限らず、給与以上の働きをすれば、みな「聖職者」になってしまうのだろうか。それならば、安月給でこき使われ、サービス残業で疲労困憊している労働者たちだってみんな「聖職者」じゃあないですか。
 上掲の定義をこのように解釈してよいのならば、格差社会において深刻の度を増す一方の貧困化は大量の「聖職者」を産み出しているのであり、一部の富裕層はそれら「聖職者」の犠牲によって支えられているという結論に至らざるを得ないと私は愚考する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


学部二年生向けの日本研究入門 ― 徐々に語り物に似てきた講義

2022-11-15 23:59:59 | 講義の余白から

 今年で五回目になる。学科の各専任教員が一回ずつ、自分の研究分野について学部二年生向けに « Initiation à la recherche » というタイトルの二時間の研究入門講義を行う。今日が私の担当日であった。
 研究入門といっても、まだ日本語のレベルも初級の域を出ない学生たちが大半であるし、哲学の講義をするわけにもいかないので、彼らがすでに学習済みのごく初歩的な日本語の用例を基に「日本語的思考」についての話をするところから私の講義は始まる。
 「思う」と「考える」の違い、「わかる」と「理解する」の違い、「から」と「ので」の違い、「好き」や「寒い」の単独用法、形容詞の情意性と叙述性の二重性、「あなたが好き」と「あなたのことが好き」の違い(より一般的には、「~のこと」の用法)などの話をする。日本語学習者である学生たちはこういう話には概して興味をもつ。
 説明の途中で、「から」しか使えない実例として映画やテレビドラマの一部を視聴させ、なぜそれらのシーンでは「ので」は使えないのか説明するなどして、講義が単調にならないようにも配慮する。
 ここまではいわば導入部で、メインテーマは主語の話である。しかし、この話になると、学生たちはだんだんついてこられなくなる。これは彼らのレベルを考えれば無理もないのだが、学習の早い段階から日本語における主語あるいはその不在について敏感になり、日本語の文章をとんでもなく間違った仕方で読まないためには必要だと考え、数十分時間を割いて説明する。
 といっても、私がするのはいわゆる文法的説明ではない。それは日本語教育の専門家の先生の領分だ。私の話は、主語の問題を通じて、日本語的思考とフランス語(あるいはヨーロッパ言語)的思考との違いがどこにあるのかという点に焦点が合わされる。
 これでおおよそ二時間である。学生の反応に応じて用例を増やしたり減らしたりするし、横道にそれたり、準備しておいた話題を省略したりするので、毎回同じ話というわけではないが、五回も繰り返していると、準備にかかる時間が年ごとに減少する一方、講義そのものはだんだん語り物に似てきているような気がする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ドリアン助川の『あん』の初版と文庫版の違いについて ― 映画『あん』を介して気づいたこと

2022-11-14 23:59:59 | 講義の余白から

 今日の授業では原作ドリアン助川・河瀨直美監督の『あん』を教材として授業を行った。その準備として、原作を再読していて気づいたことがある。それは原作の初版2013年(ポプラ社)と同社の「ポプラ文庫」版(2015年)との間の違いである。仏訳(2017年)は初版に依拠していて、両者の比較は過去に何回か行っていたのだが、原作の初版と文庫版は両者の出版年に二年しか間がないから本文はまったく同一だろうと思いこんでいて、文庫版はこれまで注意深く読んでいなかった。今回、文庫版と仏訳を比較しながら全文読んでみて、両者に一致しない箇所があり、不審に思って原作初版と文庫版を比較してみると、こちらの両者に違いがあることがわかった。
 その違いは、千太郎の吉井徳江に対する呼び方にある。千太郎が徳江からもらった最初の手紙に対する返事の中で、初版では文中の呼びかけが徳江の名字である「吉井」に「さん」付けで通されており、それは二通目の手紙でもそのまま「吉井さん」になっている。ところが、文庫版では、最初の返事のはじめの方で「今日からは徳江さんと呼ばせて下さい」と千太郎が呼び方を変えているのである。当然、第二の手紙の中も「徳江さん」という呼び方で一貫している。
 この変更に関して、文庫版には著者によるなんの注意書きもないが、文庫版発売前に撮影が開始されていた映画の中での呼び方と関係があるのではないかと思う。映画では、最初の返事を出す前から、千太郎(永瀬正敏)は店の先代の奥さんで「どら春」の現オーナーである「奥さん」(浅田美代子)に対して徳江(樹木希林)のことを「徳江さん」と名前で呼んでいる。それを観た原作者ドリアン助川が文庫版では手紙での呼びかけ方を変えるというかたちでそれに応じたのではないだろうか。
 初版でも文庫版でも、映画と違って、吉井徳江をめぐっての奥さんとの最初のやり取りでも二回目のやり取りでも千太郎は「吉井さん」と呼んでいる。初版では、最後まで、本人に対しても、他の人たちに吉井徳江のことを話すときにも、呼び方は「吉井さん」だったが、文庫版では、途中から「徳江さん」に変えることで、千太郎の吉井徳江に対する親近感の強まりをよりはっきりと示そうとしたのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


三年生の試験問題はちょっと易し過ぎたし、採点も甘かったかな

2022-11-13 16:32:22 | 講義の余白から

 先程、三年生の「近代日本の歴史と社会」中間試験答案の採点を終えた。平均点は12点(20点満点)、最高点は18,2点(2名)、最低点は1点(1名)。受験者38名のうち、合格点の10点以上が27名。これでは平均点は高すぎるし合格者も多すぎる。問題が易し過ぎたようだ。学生たちが授業をよく聴き、試験準備もしっかりした結果とも言えなくもないが、10点台、11点台の8名は、和文仏訳と日本語のテキスト説明の方は落第させるべきレベルだったが、単語知識と語彙説明で点数を稼いで合格点を得ている。期末試験は配点を変えたほうがいいかもしれない。
 さて、和文仏訳問題は以下の二題出題した。

1. 明治大正期の日本の知識人は、日本は欧米(おうべい)に比較(ひかく)してすこし遅れており、 克服(こくふく)されるべき欠陥(けっかん)をもってはいるが、基本的には欧米とおなじ方向に向かっている近代の文明国だと考える傾向(けいこう)があった。彼らはたいがい国民(こくみん)主義(しゅぎ)的な近代派(は)であり、この立場からは江戸時代は近世、明治維新(いしん)は革命(かくめい)であった。
 欧米 : Occident 比較 : comparaison 克服する : surmonter 欠陥 : déficience
 傾向 : tendance 国民主義 : nationalisme 近代派 : moderniste 革命 : révolution

2. 私はまず史料のなかに私自身が面白いと思った「事実」から出発する。研究史や既存(きぞん)の知識などはひとまず括弧(かっこ)にいれ、できるだけ先入見を排(はい)して、私がその時その場で素朴(そぼく)に面白いと思うということが、さしあたっては唯一(ゆいいつ)の史料選択(せんたく)の基準(きじゅん)である。
 既存 : établi 括弧 : parenthèse 排する : écarter 素朴に : naïvement 唯一 : seul/unique 基準 : critère

 第一問は学生たちにとってどこが難しいか。それは助詞の「は」がどこまで支配しているかの見極めである。「明治大正期の日本の知識人は」は文末の述部の「考える傾向があった」と呼応している。これを正確に理解できていた学生は数名しかいなかった。
 この文には、「知識人は」に意味上呼応する動詞は他になく、仮に「知識人」の意味がわからなくても、少なくとも「人」であることはわかるはずであるから、呼応する動詞の特定はそれほど難しくなかったはずである。
 ところが、「知識人は」のすぐ近くにそれと呼応する動詞を探そうとする学生は少なくない。しかし、見つからない。そこで、テキトーに動詞を補ってしまう。あるいは、「知識人は」「遅れて」いるとしてしまう。こうすると「日本は」が何と呼応しているのかわからなくなり、結果、大きく逸脱した誤訳をする。そこまで酷い訳(とも言えないが)はさすがに少数だったが。
 「日本は」が「遅れて」、「欠陥をもってはいるが」「近代の文明国だ」すべてと呼応していることは理解できている学生が多かったが、それは構文理解に基づいてというよりも、文の内容についての既得の知識によるところが大きい。
 第二文については、構文は易しいのに文の前半と後半の関係がよく理解できていない誤訳が意外に多かったのには失望した。この文の内容上のポイントは「近世」をどう訳すかだ。これを moderne とした場合は減点した。「近代」と「近世」の区別がこの文の内容上のポイントだからである。
 第二問の第一文は「事実」を vérité あるいは réalité と訳している答案が少なからずあり、これはこの文章の言いたいことがわかっていないことを意味している。内容をよく考えもせず、単語レベルでテキトーに訳語を選ぶとこういうことになる。
 第二文は、「排して」までをまず訳してしまい、史料選択の基準は「私がその時その場で素朴に面白いと思うということ」のみとしている訳がかなりあった。まあ、それでも、「研究史や既存の知識などはひとまず括弧にいれ、できるだけ先入見を排」することが史料選択の前提条件になっていることが理解できている訳に対しては大幅な減点はしなかった。
 それに、「研究史」から「思うということ」までの全体が、さしあたっての「唯一の史料選択の基準」であるのかどうかの判断は、文法からだけではできない。第二文が第一文をより詳しく説明していること、ただ面白いと思うことが選択基準なのではなくて、そのために研究史や既存の知識を括弧に入れ、先入見を排することが方法的に前提されていることが理解できてはじめて正しい訳ができる。
 概して言えることは、文章に対して近視眼的な学生が多いということである。文全体の構造、あるいは文章全体(といったって、どちらの問題もたった二文である)としての論理的整合性を考えずに、部分ごとに訳してくだけの学生が残念ながら少なくないのだ。それでもいわゆる部分点は得られるから、冒頭に示したような成績になってしまった。
 期末試験は、採点をもっと厳しくするか、問題文そのものの難易度を高める必要がある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


異国で行き(生き)どころなき偏屈者が出題した和文仏訳問題についての一感想

2022-11-12 19:48:07 | 講義の余白から

 一昨日の記事で話題にしたように、二年生の「古代日本の歴史と社会」の中間試験答案は学生たちに返却しましたので、もう問題を公開しても差し支えないでしょう。和文仏訳の問題は以下の通りでした。

日本の神々はさまざまな由来(ゆらい)を持(も)つものが重層(じゅうそう)するので、その性格(せいかく)を捉(とら)えにくい。記紀(きき)冒頭(ぼうとう)の神話(しんわ)は、最終的(さいしゅうてき)にまとめられたのは遅(おく)れるので、慎重(しんちょう)に扱(あつか)う必要(ひつよう)がある。もともとの神はそれぞれ個性(こせい)をもつわけではなく、禁忌(きんき)を犯(おか)すと怖(おそろ)しい祟(たた)りで報復(ほうふく)するので、慎(つつし)んで祀(まつ)る必要があった。また、動物(どうぶつ)などにその姿(すがた)を変(か)えて現(あらわ)れることもあった。

由来 : origine 重層 : multicouche 捉える : saisir 冒頭 : début 最終的に : définitivement 慎重に : avec prudence 扱う : traiter 個性 : personnalité 禁忌 : interdit, tabou 犯す : enfreindre, violer 怖しい : effrayant 祟り : malédiction 報復 : vengeance 慎んで : avec pudeur 祀る : adorer

 実際の問題用紙では、訳すべき文章中の括弧内の読み方は振り仮名としてそれぞれの該当語の上に小さなポイントで示されていました。文章の下にはご覧の通りに訳語も与えられていました。ここまで親切に訳語が与えられていたら誰でも簡単に訳せるだろうとお思いですか。それがそうでもないのですよ。
 漢字語彙レベルでは、確かに、一年生で確実に習っている語、あるいは私が授業で説明した語以外は、すべて訳が与えられています。だから与えられた訳語と基礎語についての知識があれば、簡単な問題のはずなのです。実際、文法的には厳密に理解できていなくても、「頭のいい」学生たちは、与えられた語彙情報と「常識」から文意を把握し、かなり的確な訳ができていました。
 しかし、ここが日本語学習で躓きやすいところなのですが、習ったこともない漢字がやたらと並んでいると、それだけでもうパニックに陥ってしまう学生が多いのです。冷静にこの文章を読めば、この文章を構成している四文のうち、最後の一文を除き、「ので」を使った同じ構造の文であることがわかります。ところが、あまりの漢字の多さに恐れ慄き、それさえ見えなくなってしまっている学生が十数人はいたのです。まあ、それがこちらの「狙い」ではあったのですが(嫌な奴、この教師)。
 他方、これはこの文章の著者の責任なのですが、第三文の「~わけではなく」までの部分とそれ以降の部分との論理的関係が不明です。ほんとうによくできる学生はここで困惑するのです。この「わけではなく」をどう訳せばいいのか、と。最優秀な学生たちは、この「わけではなく」を自分なりに解釈して訳していました。その訳は必ずしも正解ではなかったのですが、そこは減点しませんでした。なぜなら、繰り返しますが、そもそもこういう非論理的な用語法は著者の責任だからです。
 こういう例は、分野を問わず、日本語の文章には頻繁に見られます。著者たちはほぼ間違いなく無意識なのだろうと思います。それでも日本人同士だったらなんとかなっちゃうんでしょうね。あるいは、こういうところをさらっと理解できるってことが日本語がわかるってことだよ、とでも嘯きますか。
 それでも私はこう思うのです。こういうところに徹底的に厳密であろうとすることが日本語をフランス語に劣らず明晰な言語にする鍵の一つなのだ、と。こんな偏屈な考えは、私がフランスで不遇をかこっている、行き(生き)どころなき捻くれ者だからでしょうか(念のため、誤解のないように、申し上げます。フランス語自体が明晰なのではありません。もうそんなおフランス幻想にしがみついている日本人はいないと思いますが)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


悲しき休戦記念日

2022-11-11 23:59:59 | 雑感

 今日は第一次世界大戦休戦記念日である。1918年以来、フランス語で L’Armistice と言えば、この日を指す。語源辞典などによると、もともとは17世紀末から一般名詞として使われていた。いくつもの戦争があったから、休戦のたびに使われていたのだろう。ラテン語の arma(武器)と sistere(止める)を組み合わせてできた armistitium は14世紀から使われていたらしいが、中世からヨーロッパにはしばしば戦争があったからこそできた言葉なのだろう。ちなみに第二次世界大戦に関しては、5月8日が記念日だが、そちらは Victoire(勝利)と呼ばれている。
 国際法においては、休戦と和平は区別される。前者は交戦状態を一定期間あるいは無期限に停止すること、後者は敵対状態そのものを終わらせ友好関係を築くことである。
 ウクライナ戦争は休戦への見通しさえ立っていないし、どちらかが勝利に終わることもないだろう。ましてや和平は想像することさえ難しい。戦争が続くかぎり、ただ犠牲と破壊が積み重なるだけなのに、ウクライナとロシアのどちらかが自ら譲歩するようにも見えない。アメリカとヨーロッパが態度を変えないかぎり、まだまだ戦争はずるずると続くだろう。日本は例によってアメリカの驥尾に付すだけ。この間、中国だけが漁夫の利を得ているとすれば、近い将来、さらに怖しい時代がやって来るかもしれない。