内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

鉛直線上の〈孤悲〉のアリア、あるいは、大伴家持における〈雲雀〉と孤愁について(六) ― 雲雀についての哲学的考察断片(十一)

2018-03-13 03:07:40 | 哲学

 今日の記事では、三人の万葉学者たちと一人の詩人のこの歌についての評言を引く。私はそれらの評言に全面的に同意しているわけではないが、家持の名歌が今日の日本詩歌史の中でどのように位置づけられているかを知るてがかりにはなると思うからである。
 まず、中西進『古代史で楽しむ万葉集』(角川ソフィア文庫、2010年)から。

 うらうらと照る春日のゆえに心が悲しいという詩情はかつて何びとも所有しなかったものであろう。しかもそれは「独り物思いに沈むと」、といっている。沈みゆく心には、まぶしい春日が逆に暗いのである。この逆説的な感傷は、しかし近代人ならたやすく理解できるはずである。ひとり、家持の孤独感はこうして古代に稀有な感傷の詩を生み出したのだった。

 次に、小川靖彦『万葉集 隠された歴史のメッセージ』(角川選書、2010年)から。

明確には捉えにくい、深い「孤独」に、捉えにくいままに姿を与えることに成功したのです。社会的存在としての人間の悲しみを初めて詠んだこの歌は、千年以上の時を隔てた現代に生きる私たちの心にも深い共感を呼びます。

 そして、佐佐木幸綱『万葉集の〈われ〉』(角川選書、2007年)から。ただし、この評言は春愁三首すべてに関わる。

ここにいる〈われ〉は、〈いま・ここ〉におさまりきれないものを持ってしまっている。〈いま・ここ〉では完結しきれない悲しさを抱いてしまった一人思う〈われ〉である。

最後に、大岡信『私の万葉集』(講談社文芸文庫、2015年)から、やはり春愁三首についての評言を引いておこう。

このような歌は、むしろ近代人のものの感じ方、はっきり言えば、感傷に大きな価値を見出すようになった近代以降の感受性のあり方に、意外なほど親近性をもっているものだと言えるでしょう。
 これらの歌が、近代に至って初めて脚光を浴び、家持の名を多くの人にとって特別に親しい名にした理由も、同じところにあったのです。

 しかし、上掲の諸家が挙って家持の歌の〈近代性〉を主張していることは、かえって、次のように自ら問い直してみることを私たちに促しはしないだろうか。
 私たち〈近代人〉は、八世紀奈良時代に生きた官人であった歌人家持の歌が本来は有っていなかったかもしれない近代文学的価値意識をその中に投影するというアナクロニズムの誤りを犯してしまっているのではないか、と。












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3 コメント

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時間という視点はどうでしょうか (funkytrain)
2018-03-13 15:41:49
こんにちは。
萬葉びとたちの目前にひろがる世界をわれわれはそう容易には思い浮かべることができないでしょうね。

新潮古典集成の萬葉集五巻の解説がそのあたりの事情をいろいろと書いてくれていて面白いわけですが、たとえば昼と夜は昔は「同じ一日」ではなかった、とか、萬葉のひとびとにとって「心」とは紐状の細長きものだった(枕詞むらきものとの関連で)、などと言われていて、事の当否はさておき興味深いです。

さて、家持の春愁三首について言えば、4290は「夕影」と言われ、4291は「この夕へ」と言われており、問題の4292にあってついに場面は「照れる春日」へと至ります。

夕方の鶯や風になびく笹の葉が「うら悲し」なのはすんなりと飲み込めるような気がしますが、「照れる春日」にあっては、そのような「悲し」はそぐわないような気もします。しかし、「うらうらに」であり、つまりは「春日遅々にして」という仕方で、時間が滞留している。その滞留をいわば垂直に立ち切るようにひばりが飛ぶ。停滞と瞬間が切り合う刹那とでも言いましょうか。何かそこには「むき出しになった時間」というものへの洞察があるようにも思えます。
むきだしの時間そのもの、それを全身で体感することが、すなわち「悲し」なのか、と読みたくなります。

そしてそういう刹那の経験は「歌でなければはらうことのできない」ものだと言われています。かくしてこれらの歌で「締緒を展ぶ」と。からみあった細長きものとしての心がほぐれる、ということでしょうか。

この「歌にあらずしては撥ひかたきのみ」という一文は、日本最古の文学論としてわれわれを思索へと誘ってくれますね。
長文失礼しました。
Re:時間という視点はどうでしょうか (kmomoji1010)
2018-03-13 17:07:23
先にいただいたコメントと今回いただいたコメントにお示しくださった貴重なご洞察に心より感謝申し上げます。おかげさまで、さらに読みを深めることができました。同歌のついてはあと三回分すでに記事ができており、その中で若干ですが、時間の問題にも触れております。ご笑覧いただければ幸いです。
Unknown (funkytrain)
2018-03-14 11:06:06
ご丁寧なお返事いただきありがとうございます。
当方、古典にはまるで知識なく、しかし興味はあるので一応萬葉集や古事記やら日本霊異記やら持ってはいるものの、うまく読みきれず、そこにサイト主さんの読解を読ませていただいて、読むヒントをいただいた、というのが本当のところであります。こちらこそありがとうございます。

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