内的自己対話-川の畔のささめごと

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天体から地上の身体へ ― 古代日本の一詩人によって読み解かれた天からのメッセージ (1)

2018-03-17 05:34:52 | 哲学

 昨日までの連載「雲雀についての哲学的考察断片」は、そのタイトルからもわかるように、一つの対象に対しての哲学的アプローチの試みであった。万葉集の中の一つの詩的形象からどのような哲学的含意を引き出すことができるか、それがそこでの「賭け」であった。
 今日からの連載「天体から地上の身体へ ― 古代日本の一詩人によって読み解かれた天からのメッセージ」も、やはり万葉集歌を対象とする。その対象について、万葉学者の注釈に依拠しつつ、若干の哲学的考察の展開を試みる。
 考察対象となるのは、山上憶良(660-733)によって詠まれた七夕歌十二首(巻第五・1518-1529)である。この考察は、その多くを伊藤博『萬葉集釋注』と同『萬葉集の歌群と配列 下 古代和歌史研究8』塙書房、1992年)第八章第一節「山上憶良の七夕歌十二首」とに負うている。以下では、煩瑣を避けるため、二書の参照箇所をその都度示すことはしない。

 この考察は、憶良の一連の七夕歌を、古代日本の演劇形式にしたがって構成された一つの思想劇として読むことをその目的としている。この劇的構造分析を通じて、いわばポリフォニックなしかたで展開されてゆく一つの世界観を浮き彫りにすることを試みる。
 『万葉集』の中には、全部で132首の七夕歌が収載されている。中国起源のこの伝説は、遅くとも七世紀の半ばには日本に伝わっていた。集中132首の七夕歌のうち、98首は、巻第十に同一テーマについての歌群(1996-2093)としてまとめられている。これだけ多くの歌が或る一定の編集方針にしたがってひとまとめにされていることは、七夕伝説が七世紀後半に日本各地に広まり、八世紀初頭には、七月七日に七夕伝説を想起することが宮廷および貴族官人たちの間ですでに習慣として定着していたことを意味している。
 憶良が七夕の日(あるいはその翌日)に催された宴席で披露したであろう12首の七夕歌は、巻第八の「秋雑歌」の部立の中にまとめて収載されている。これらの歌が万葉全体で132首を数える七夕歌全体に通底する詩的伝統に属することは確かである。
 しかし、その演劇的性格において、そしていわばその実存的内容、さらには哲学的意味において、その他の七夕歌とは截然と区別されることもまた事実である。つまり、当時すでに広く知られていた七夕伝説が通常その中で喚起される伝統の枠組みを超え出る要素が憶良の一連の七夕歌には見出されるということである。
 当時の演劇形式を踏襲しながら、自身に固有な詩的構想の中で、憶良は、互いに交叉する複数の声を詩的舞台の上に登場させる。それらの声を通じて、この地上世界における有限的人間存在の運命についての一つの思想へと私たちを導く内的共鳴が舞台空間に響くのを私たちは聴くことになるだろう。












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1 コメント

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たのしみです (funkytrain)
2018-03-17 19:05:48
今回は憶良ですか、おもしろそうですね。
どういう展開になるのか、予想つきませんが、楽しみにしております。

さて、前回の「うらうらに」に関して、ひとつ言い忘れたことがあるので、追記させてください。長々と書いてもしょうがないので手短に。

あの「うらうらに」の一首を読んだ時に、まず念頭に浮かんだ哲学文献がハイデガーの『形而上学の根本問題』(GA29/30)でした。

ご承知のとおり、そこでハイデガーはLangeweileについて名高い分析を行っておりますが、そのなかで言われている「深い退屈」ということ、つまり「退屈の第三形式」としての「なんとなく退屈だ」という現象を分析していますが、それを思い出したのです。

「うらうらに」が「遅々として」いるのであれば、その遅々としたさまはまさに字義通りのLangeweileではないかと。つまり彼の言葉でいえば「全体における存在者が、言うことを聞かない」状態です。かくしてDaseinがbetroffenされている、と。betroffenされているがゆえの「悲し」かもしれません。私が「時」にこだわったのは、このハイデガーの分析のせいかもしれません。

und so jedes Dasein wieder eine kleine Weile.(GA29/30, 228)

と言われています。そういう観点で家持の歌を読むのもありかなと思いました。的外れでしたらご容赦ください。

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