内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

天体から地上の身体へ ― 古代日本の一詩人によって読み解かれた天からのメッセージ (3)

2018-03-19 00:00:00 | 哲学

第二歌群 ― ポリフォニック・アンサンブル(1520-1522)①

 第二歌群に移ろう。この歌群は長歌一首・短歌二首からなる。この三首は、筑紫に赴任して三年目、天平元年(729)の七夕の夜の詠。今日は長歌のみ読む。

彦星は 織女と 天地の 別れし時ゆ いなむしろ 川に向き立ち 思ふそら 安けなくに 嘆くそら 安けなくに 青波に 望は絶えぬ 白雲に 涙は尽きぬ かくのみや 息づき居らむ かくのみや 恋ひつつあらむ さ丹塗りの 小舟もがも 玉巻きの 真櫂もがも 朝なぎに い搔き渡り 夕潮に い漕ぎ渡り ひさかたの 天の川原に 天飛ぶや 領巾片敷き 真玉手の 玉手さし交へ あまた夜も 寐も寝てしかも 秋にあらずとも (1520)

 この長歌は二つの部分に分かれる。第一部は「涙は尽きぬ」まで。そこまでは、第三者の観点から立てられた導入部。第二部は、伝説の登場人物である牽牛の所作と心情とを牽牛自身の立場で直接的に表現している。この第三者的観点から劇中人物の視点への移動は、日本の古代演劇の伝統的な形式に正確に対応している。この憶良の歌群にかぎらず、聴衆の前で披露されたと考えられる万葉歌あるいは記紀歌謡の中には、このように演劇形式と一致している型が他にも少なからず見られる 。この形式は、第三者の観点からしだいに当事者の身振りへと入ってゆくことで観衆の理解と感動を誘うことをその目的としている。
 伝統的には、二人の登場人物は、疑うことなくそのまま受け入れられた運命の内部において、再会を悦び、自分たちの意志とはまったく独立に永遠に繰り返し課される別れを嘆く。
 ところが、この長歌は、この再会の夜がこの日を超えて延長され更新されることを、それが不可能であることを知りつつ願う牽牛の言葉で閉じられている。この最後の句「秋にあらずとも」は、抗い難く課される運命の固定的な枠組みの中で受動的に悦びかつ悲しむという伝統的な世界観の内のとどまるかわりに、運命への懐疑、運命への抗議を表現していると読むことができる。
 この地上世界での人間の運命についての実存的な問いかけをそこに聴き取ることはできないであろうか。










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